白兵戦

「ダメです、相手の艦隊は我々の追跡を諦めるつもりはないようです」

「クソッ、もっと速度を上げることはできんのか」

「……僭越ながら少佐殿、この船は元々軍船ですらない徴用船舶であります。戦闘用艦艇に求められる高速航行に耐えられる設計にはなっておりません。これ以上速力を上げると転覆の危険性があります」

「……ッ」


 ケルキラ海ラグーナ沖に浮かぶ不審船団こと、カルニラ軍ラグーナ救援部隊を搭載した輸送船団の指揮官搭乗船では、部隊指揮官のアルファン少佐と船長が押し問答を繰り返していた。


 原因は当然、航行中の船団の目の前に現れ、そして彼らを捕捉せんと追跡してくる帝国海軍オストヴィターリ艦隊の存在である。


 完全武装した軍艦で構成される正規艦隊と、海軍をほとんど持たないゆえに民間から徴用した民用船舶を寄せ集めた戦闘能力皆無に等しい輸送部隊。戦力の非対称性は明らかであり、船団は当初の陸軍部隊揚陸という任務を果たすことはおろか、ラグーナまで辿り着くことすら放棄して逃走するしかない状況に陥っている。


「……もしも追いつかれた場合は」

「恐らく、停船命令の後に臨検が行われるでしょう。積荷武装兵員を検められれば、拿捕されることはほぼほぼ間違いないかと」

「……戦うしか、ないというのか」


 アルファン少佐の悲痛さを伴った呟きに、船長は頷き、傍に控える護衛兵たちはその表情に一抹の不安を滲ませる。


 こんなはずではなかった。アルファン少佐は己の置かれた状況を呪う。軍司令部から大隊を率いてラグーナへの救援任務へ向かえと言われた時は、正直言って当たりだと考えた。上層部は『チザーレ軍は弱兵であり、精強な我が軍の手にかかれば赤子の手を捻るが如く一蹴できる』と息巻いて──あるいは、そう唱えることで自らを騙して──いたが、そうは言っても正規軍同士の全面衝突を経験するのはカルニラ軍とて事実上の独立戦争以来なかったことだ。


 前線で正規軍とやり合うことに対する恐怖は、誰しもが共有するところであった。しかし、ラグーナへの増援部隊となれば、相手はまともに訓練を積んでいない民兵隊か装備の整っていない私兵部隊。さらにいえば戦場は有数の貿易港であり、必要なインフラは十分以上に整備され、兵站の問題をほとんど気にしなくて良いという理想的な環境であった。


(なぜ、なぜここにオストヴィターリ艦隊連中が!)


 しかし、順調であったはずの彼らの計画は、目の前に現れた帝国の艦影によって脆くも崩れ去ろうとしていた。


 当然、ケルキラ海における一大勢力であるオストヴィターリ艦隊について懸案する声は出たが、オストヴィターリ帝国弁務官区が大混乱に陥っており、海軍を動かすような余裕がないとの報告を受けて、少なくとも当面の間は大丈夫だろうとの判断が下されていたのだ。


 弁務官区上層部の保身への懸命さを彼らは見誤ったのである。アルファン少佐の後悔など知らぬと言わんばかりにオストヴィターリ艦隊は輸送船団へと迫り――


「撃ってきました!」


 艦砲射撃が始まった。威嚇射撃のつもりなのか、輸送船ではなくその周りを狙って砲撃が行われているが、ただでさえ恐怖に陥っている兵たちにとってその音はパニックを引き起こすには十分すぎた。


「少佐殿、大変です。兵どもが恐慌に陥り、船内で騒ぎが起きています!」

「……」

「対応をご指示ください、少佐殿」

「……分かった、すぐに行く」


 アルファン少佐はある種の覚悟を持って兵たちの下へと向かう。最早交戦は避けられぬものであり、戦闘の際に兵がパニックに陥ることだけは避けなければならない。


――――――――――


「動くな、オストヴィターリ海兵隊だ。武器を捨てて降伏せよ」

「前方区画を制圧!操舵手を確保した」

「第2及び第3小隊は後方区画の制圧を支援せよ、第1小隊はこのまま艦橋へ向かう」


 オストヴィターリ艦隊は威嚇射撃によってカルニラ輸送船団に停船及び降伏を促したが、これをカルニラ側は無視し、艦隊司令官テレーネ大佐は武力行使及び拿捕を隷下の海兵隊へと命令。艦砲により接舷移乗の障害を排除した後に輸送船団を包囲し接舷した各艦から海兵が輸送船内に乗り込み、これに対して船内のカルニラ兵が応戦したことにより、後の世に『第一次チザーレ沖海戦』と呼ばれた――ケルキラ海においては実に数十年ぶりとなる――戦闘が幕を開けた。


 練度と士気で優位に立つオストヴィターリ海兵隊は混乱するカルニラ兵を掃討し、各船の操縦室や武器庫といった要所を次々と制圧していく。


「捕虜はしっかり取っておけよ。我々の行動の正当性を担保する証拠になる」

「心得ております、中隊長殿」


 閉所戦闘用の短銃を装備した特別銃兵隊まで投入したオストヴィターリ海兵隊と対照的に、カルニラ軍は閉所での戦闘で不利になる長槍を装備した徴集兵が多くを占めていた。結果として、カルニラ兵は狭い船内で武器を振ろうとして引っ掛かるという事態が多発し、戦闘を行うという次元ではなく完全に一方的な蹂躙だった。


「絶対に降伏してはならん、少しでも敵に打撃を与えて死ぬのだ!」


 カルニラ指揮官の絶叫が響き、死兵と化したカルニラ兵の無謀な突撃がオストヴィターリ銃兵による斉射の前に空しく散る。やがて彼らは自身の上官よりも、生存に対する本能へ従うことを決意するようになる。絶望的な戦況の中で反乱が起きるに至り、カルニラ軍は完全に崩壊した。


「……私は指揮官のアルファン少佐である。我々は降伏する。部下の兵たちに関して、寛大な処置を願う」


 戦闘が始まってからわずか1時間半後、部隊指揮官のアルファン少佐が投降したことによって、第一次チザーレ沖海戦は終結。カルニラ兵はおよそ半数が死傷し、残りは反乱を起こすかアルファン少佐らと共に投降し武装解除された。一方のオストヴィターリ海兵隊は死者すら出さず、負傷者ですら重傷者7名と軽傷者十数名を出した程度の損害であり、一方的な勝利と言ってよい結果であった。


「敵の指揮官より降伏するとのこと。カルニラ兵の処遇はどうなされますか」

「武装解除の上で拘束しろ。遺体の後処理も忘れるな」

「了解しました。船はどうしますか?」

「損傷の少ない船は拿捕、それが難しい場合は沈めよ。船内の遺体は丁重に取り扱うように」

「ではそのように」

「任せた」


 テレーネは部下からの報告を聞き、まず海兵に死者が出なかったことに安堵し、一方的な蹂躙だったという戦闘の様相を耳にして僅かに顔を顰める。戦闘とはそういうものであることは理解しているが、やはり敵兵に対しては同情を禁じ得ない。


 自らもそうだが──兵隊というのは、誰もが国家理性の忠実なる僕だ。君主の意のままに操れる駒であり、彼らは一兵卒の死に何かを想うことはない。任務に殉じるのは軍人の誉れとはよく言うが、その死が任務の成功に全く資せず、あるいはその任務自体が徒労に終わったとしてもそれは誉なのだろうか?



 沈みゆくカルニラ船を見つめながら考えるテレーネの思索は、艦隊がラグーナに着くまで途切れることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転生したら君主になったので、自国を現代知識で理想郷にします ペルソナ・ノン・グラータ @Natrium0116

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ