第8話 美人は怒らせると怖い

「え〜、これから君たちに手伝ってもらいたいことの説明をします。……はて? 何してもらうんだっけか」


 腰の曲がった老人は本当に忘れてしまったようで、俯いたまましばらく考え込んでいる。


 候補者たちは廟の前に連れてこられただけでも嫌そうな顔をしていたのに、待ち受けていた老人がこの調子なので、機嫌がどんどん悪化していく。


 昨日は会うことができなかったが、この人が燕爺さんだろう。本当に、どこからどう見ても隠居したお爺さんだ。

 

「廟の掃除とお手入れだと思います」


 すぐそばに立つ梅花の美しい顔が、鬼の形相になっていることに気づき、雨蘭は堪らず発言した。


「そうだ、そうだ。梁様から頼まれたのだった。そこの田舎娘、代わりに説明してくれないか」

「……私ですか?」


 きょろきょろと周囲を見回すが、自分以外に田舎娘は見当たらない。


「田舎娘ですって。私たちと同じ候補者には見えないものね」

「あんな古びた衣で恥ずかしくないのかしら。見栄を張るお金すらないのでしょうね」


 梅花の後ろに控える、桃色の髪をした候補者と、白髪の候補者が嘲笑まじりに話すのが聞こえてくる。

 彼女らは梅花の知り合いらしい。ここへ来る時も、不機嫌な梅花のご機嫌とりをしているようだった。


「どうせ貴女が梁様に何か言ったのでしょう。でなければ、彼がこのようなことを思いつくはずがないわ」


 梅花は鋭い目つきで雨蘭を睨んで言う。美人を怒らせたら怖いと言うが、その通りだ。顔の迫力が違う。


「ええ……確かにここで梁様にお会いしましたが、私は皆さんに掃除をさせろだなんて一言も言っていないですよ。自分で全てやるつもりでしたから」

「梁様にお会いした?」

「ええ。偶然」


 廟の前に集まった候補者全員の目の色が変わった。彼女らの怒りに満ちた視線が雨蘭に突き刺さる。


「あの人は貴女などが会話をして良い相手ではないの! 身の程を知りなさい!」


 梅花は激昂する。桃色と白色の髪の二人もそれに続いて雨蘭を罵った。


「そんなこと言われましても、お見かけしたら挨拶はすべきですし、話しかけられたら無視するわけにはいきません」


 実際に挨拶もせず、無視をしたのなら、彼女らはそれに対しても怒るだろう。


「自分だけ良い思いをして許せない!」

「私、一応梅花さんには声をかけたのですが……」


 事実を述べただけだったが、火に油を注いでしまったようで、彼女らの怒りは爆発する。


 桃色の髪をした女性が雨蘭を突き飛ばした。


 農作業で足腰を鍛えた人間には大した威力ではなかったが、兎のように可愛いらしい女性が手を出してくるなんて、と精神的に衝撃を受ける。


 更に、白髪のこれまた大人しそうな子が、雨蘭の髪をぐいっと引っ張った。

 

「何このぼさぼさの髪」

「なかなか手入れができなくて。卵が手に入っても食べるのに回してしまうんですよね」

「卵? 田舎娘はそんなものを髪につけるの?」


(ああ〜、どうしよう。こうなれば、皆さんの気がすむまで殴ってもらうしかない?)


 燕爺さんは火消しをするつもりはないらしい。長い顎髭をいじりながら、女の戦いを傍観している。


「ぎゃあぎゃあと何の騒ぎだ」


 地を這うような低い声に、女性たちはぴたりと動きを止め、何事もなかったかのように整列する。


「……明様?」

「またお前か」


 黒い官服を着た彼は、相変わらずもっさりした前髪で顔の半分が隠れている。

 表情は読めないが、声音から察するに彼もまた不機嫌な様子だ。


「梁の代理でここへ来た。悪い報告をされたくないなら、黙って手を動かすんだな。廟の手入れや礼拝のことは燕に聞くように。歳で物忘れが激しいが、かつて太常を務めた男だ」

「梅花さん、太常って何ですか?」

「そんなことも知らないの? 祭祀などを担当する国の機関よ」


 言葉を理解できなかった雨蘭は、すっかり大人しく佇む梅花に尋ねた。刺々しい声だが、何だかんだ優しい彼女は教えてくれる。


「それから、掃除のことならそこの庶民に聞くのが良いだろう。普段掃除などすることのない我々より、よく知っているはずだ」


 庶民が誰を指すのかは明らかだ。

 他の女性たちは雨蘭を見下す明の発言にくすくす笑う。


「私たちは燕様に廟のことを教えてもらいに行きましょう。掃除よりも役に立つわ」

「そうね、彼女から仕事を奪うのは可哀想だもの」


 彼女らの怒りは一旦収まったらしい。取り残された雨蘭はほっと一息つき、助け舟を出してくれた明に頭を下げる。


「明様、ありがとうございました」

「何が」

「明様が上手いこと言ってくださったお陰で、あの場が収まりました」

「何故そういうことになる。俺はお前に対する嫌味を言っただけだ」

「そうだとしても結果的には助かったので、お礼を言わせてください。あと、調理場でのこと、済みません。言い過ぎました」


 お詫びの気持ちを込めて、より深く頭を下げる。雨蘭がいつまで経っても頭を下げ続けたままなので、ついに明は舌打ちをした。


「お前といると調子が狂う。さっさと掃除でも何でもしに行け」

「はい! ピカピカにするので見ていてくださいね!」


 誰が見るか、という呟きが聞こえてくるが、どうやら高貴な方には照れ屋が多いらしい。雨蘭は全く気にせず掃除を始めた。


 

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