第36話 皇帝の思惑

明啓ミンケイ、お前は席を外すように」


 皇帝は明にしっかりとした口調で指示を出す。孫だからといって特別甘やかしているわけではないらしい。


(明様の本当のお名前、明啓っていうんだ)


 どうやら明というのは略称のようで、正式な名前はいかにも皇族だ。


「俺のいないところでこの女に色々話すつもりだろう」


 明は出ていけと言われたことが余程不満なのか、下唇を噛み、皇帝を睨んでいる。


「好きな子に向かってこの女はないだろう。その調子では何も進展していないな」

「……っ、勝手なことを言うな!」


 雨蘭は声を荒げて反抗する明の姿に驚いた。

 いつも冷静で大人びた彼が、動揺を滲ませて国の最高権力者に噛み付いている。


(そりゃ私みたいな田舎娘を好きな子だと勘違いされたら怒るよね)


「話したいことは全て話すつもりだ。聞きたいのなら聞いていけば良い」

「最悪だ」


 そう吐き捨て、明は舌打ちしながら部屋を出る。

 取り残された雨蘭は、突然始まった家族喧嘩に呆気にとられていた。


「あ、あのー、大丈夫ですか?」

「いつものことだ、問題ない」

「明様、皇帝の前だと少し雰囲気が違いますね」

「そうだろう。大方お嬢さんの前では格好つけているのだろうよ」


 孫が反抗するのはいつものことらしい。皇帝は特に気にする素振りもなく、どっしりと構えている。


 二人きり、いや皇帝の側近を含めると三人という状況になってしまった。


 これまでは、ただの老人と若者として気軽に話すことができていたが、立場を明かして対峙した途端に雨蘭は言葉を失ってしまう。


「あの、話というのは……」

「半ば騙すような形でここへ連れてきて悪かった」


 皇帝はあろうことか、庶民である雨蘭に向かって軽く頭を下げた。


「いえっ! お気遣いなく! 何かの間違いかなとは思いましたけど、色々経験させて頂いて感謝しています」

「そろそろ明に身を固めてもらわなくてはと思っていたのだが、如何せん捻くれていて、女嫌いな困った孫でな。強硬手段に出たというわけだ」


 顎に生えた長い白髭をいじりながら皇帝は言う。


「梁様のお嫁さん探しではなく、明様のお嫁さん探しだったのですね」

「あの子はあの子で仕事にしか興味がないものだから、ついでに良い子が見つかれば良いとは思っていたが、あまり上手くいかなかったようだね」


(梁様は完全に、明様のお相手を探すためのお仕事モードだったと思います……)


 恐らく梁は、候補者たちのことを明の嫁に相応しい人物か、という視点でしか見ていなかったと雨蘭は推測する。


 以前、梁が困ったように「皇帝が孫の結婚相手を探しているのは本当」と回答していたのは、自分の花嫁探しではない認識だったからだろう。


「私は街でお嬢さんに会った時、ピンときたよ。こりゃ、孫のどちらかが気に入るとな」


 皇帝は「ほっほっほ」と変な笑い方をする。


(孫のどちらか?)


 雨蘭はまるで孫が二人いるような発言が気になり、『気に入る』の部分を聞き流す。


「梁様は拾い子という噂をお聞きしましたが、他にもお孫さんがいるのでしょうか?」

「ほう。知っておったか」

「毒茶事件の真相を調べる中で、静さんという方に聞きました」


 雨蘭が情報源を伝えると、「そこまで行き着いたか」と皇帝は呟く。


 皇帝は雨蘭たちが知らない何か、事件の真相に迫る事実を既に知っている。そんな直感が働いた。


「梁は昔、才を見込んで拾ってきた戦孤児だが、私にとっては孫同然だ。行く行くは丞相として明を支えてもらいたかったのだが、今回の件があってはなぁ」


 雨蘭は梁と明の関係のこと。梁の心情についてを尋ねようとしたが、その前に皇帝がにこりと笑って話をすり替える。


「それで、どうだ。明啓のことを少しは良いと思ってくれているかな?」

「えーっと? 明様は一見分かりにくいですが、優しい方ですよね」

「男としてはどうだ? 態度は悪いが、私に似てなかなかの男前だろう」


 何故このようなことを聞くのだろう。雨蘭は皇帝の意図を理解できなかった。


「明様をそのような目で見たことは一度もないです」


 明のことは男性だと認識してはいるが、恋愛対象として捉えたことはない。

 庶民の自分が偉い人とどうこうなろうと考えること自体おこがましい、と雨蘭は思う。


「こりゃ駄目だな、龍偉」

「ですが、そういうところが彼にとっては良かったのでしょう」


 皇帝は隣に立つ側近と小声で話すが、耳の良い雨蘭には全て聞こえてくる。

 彼は雨蘭に向き直ると、真剣な声で言う。


「雨蘭や、率直に言おう。孫と結婚してくれないか」

「はい!?!?!?」


 心の声が漏れ出た。雨蘭の裏返った声が密室に響く。


 相手は皇帝だというのに、この人は一体何をふざけたことを言っているのだろうと思ってしまう。


「明啓と結婚してやってほしい」


 雨蘭が聞き直していると思ったのか、皇帝は念押しのように繰り返す。


 言葉の意味を理解できないのではない。あまりに突拍子もなくあり得ないことを頼まれて、ただただ混乱しているだけだ。


「重く考えずにただ、結婚を――」

「私は田舎の貧しい農民で、こんな見た目ですし、明様も私などと夫婦メオトになろうとは絶対思わないはずです!」


 三度目の申し出を遮るようにして、雨蘭はあり得ないという感想を伝える。


「全くもって伝わっていませんね」

「素直になれない明啓も悪いが、この子も相当疎いのだろう」


 男たちはまたひそひそと会話し、呆然と佇む雨蘭に言葉をかける。


「毒茶事件の後、私と明啓は取引をした」


 皇帝訪問を成功させること。事件の真相を暴くこと。

 それらを前提に、皇帝軍の調査を終了し、容疑者として勾留されている人間の解放を認めるという内容だったらしい。


「あ」


(梅花さんの件だ)


 彼女が何事もなく廟に戻って来れたのは、明が皇帝に願い出たかららしい。


「お嬢さんが頼んだのだろう」

「確かに、頼みましたが、でもそれと、これとは……」

「明啓にその気がないのなら、私がお嬢さんを廟の管理人として雇うぞ、と提案もしたこともあるのだが、拒否されてしまったよ」


 これが皇帝の話したかったことらしい。昼食のスープについては、美味しかったとおまけのように賞賛の言葉を頂いた。

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