第37話 正しい解釈のはずです

 雨蘭は操られた人形のように、ぎこちないお辞儀をして謁見の間を出る。頭の中は真っ白だ。


「終わったか」


 今一番会いたくない人物が、渡り廊下の欄干に背を預けて立っている。

 欄干を乗り越えて逃げ出さない限り、彼の前を通らなければ外には出られない。


(あわわわわわわ)


 おろおろと挙動不審な動きをする雨蘭に、明が一歩、また一歩と迫る。


「老いぼれに聞いたな」

「聞きましたけど、嘘ですよね?」

「何が」

「明様が私とけっ、結婚するなんて、そんなこと明日世界が滅ぶにしてもあるわけないです」


 近づいてくる男に対し、雨蘭もじりじり後退りするが、あっという間に壁際に追い詰められた。

 やたらと端正な顔が視界いっぱいに広がり、視線を合わせられずに固く目を閉じる。


(また頬をぎゅっとされる? いや、殴られる!?)


「あり得なくもない」

「へ?」


 驚いて目を開けた。想像以上に男の顔が近くにあり、雨蘭は少しでも距離を置こうと身を捩る。


「この際だから言うが、俺はお前のことを割と好ましく思っている。女としてかは……認めたくないが」


 沈黙。しばらくの間、過去最高に居心地の悪い静寂が訪れる。


 雨蘭は暴力的なまでに次々と想定外のことを聞かされて、動揺のあまり頭の中身が回転するような感覚に襲われた。


「何か言ったらどうだ」

「何を言えば良いのですか?」

「嬉しいとか、光栄だとか、何かあるだろう」


 明の発言に対して感想を言えということか。雨蘭はほとんど機能していない頭を使って、彼の言葉の真意を汲み取ろうとする。


「……ありがとうございます?」

「何故疑問系なんだ」

「明様は私を嫁として迎えたら煩わしい花嫁探しから逃れることができ、一方私は実質使用人として働くことができて、互いに利があるということですよね?」


 明からの反応がない。


「そうだとしたらとてもありがたいのですが、流石に度が過ぎているような……」


 彼の口ぶりからして、雨蘭のことを女としてではなく、人としてそれなりに好んでいるということだろう。


 それを庶民好きの皇帝が勘違いし、結婚相手にどうかと言い出した。


 女性に興味のない明は、雨蘭を使用人に近しい嫁の末端として迎えれば、花嫁探しという煩わしい行事から逃れられると考えたのではないか。


 皇帝に早く結婚しろと言われ続け、彼はおかしくなってしまったに違いない。


「……」

「違いますか?」


 混乱しつつも、雨蘭は正しい解釈をした自信がある。

 

「もういい。お前がそう捉えたのなら、そういうことにしておく」


 明は拗ねたような、怒ったような、棘のある声で言い、雨蘭が来た道へと消えていく。

 これからまた、皇帝と家族喧嘩をするつもりなのかもしれない。


(……結局、結婚の話は考え直してくれるのかな?)


 残された雨蘭は、明が正気に戻ることを祈った。


◇◆◇


 部屋に戻ると、梅花は着飾った美しい姿のまま、椅子に座って本を読んでいた。皇帝の帰り支度が整うまで、時間を潰しているのだろう。


「梅花さん……」

「何その顔、気持ち悪い」


 崩壊した雨蘭の顔面を見て、彼女は即座に冷たく切り捨てる。


「皇帝に呼び出されて明様と結婚してほしいと言われたのですが、どう考えてもおかしいですよね?」


 あり得ないと言ってほしかった。もしくは、貴女は相応しい相手ではないと罵ってほしかった。

 ところが、梅花は意外にも平然とした顔をしている。


「良かったじゃない。良い暮らしができるわよ」

「うぇぇぇぇ? 皇太子妃の座は私のものよ! 明様は貴女のような下民が関わって良い人ではないの! と怒ってくれないのですか?」


 雨蘭はいつかの梅花を真似て尋ねる。


「私を他の女たちと一緒にしないで頂戴。私が好きなのは梁様なの。皇太子妃になりたいわけではない」

「そんなぁ……」


 ふらふらと寝台に倒れ込む。煎餅布団が力の抜けた雨蘭を受け止めてくれた。


「梅花さんは明様が皇太子だと知って、驚かなかったのですか?」

「勘違いしていたことを知った時には当然驚いたし、落ち込んだわよ」

「そうは見えませんけど」

「少し前から知っていたもの」

「え!?」


 実は梁が皇太子でないことに、梅花は少し前から気づいていたという。実家に戻った際、父親と会話をする中で知ったらしい。


 以前、梅花がひどく塞ぎ込んでいたのは、嫌がらせを受けたことだけが理由ではなかったのだ。


「気づいていたなら教えてくださいよ〜!!」

「言おうとしたけれど、梁様たちに何か事情があるのかもしれないと思って」


(そういえば、床に伏せる梅花さんに杏子をあげた時、何かを言いかけて止めたような……)


 彼女の判断は正しかったのかもしれないが、あの時知ることができていれば、少なくとも皇太子に毒茶を吐かせる手伝いをさせずに済んだだろう。


「私などを嫁にするなんて、国の未来が危ぶまれます」

「……」


 項垂れる雨蘭に対し、梅花はしばらく黙り込んでから、別の切り口で話を展開する。


「女としての魅力はさておき、貴女のように強靭な肉体と精神を持った人間の血を混ぜる、というのは案外ありなのかもしれないわね」

「どういうことでしょう?」

「ここ数代、皇族の血筋には病弱な人間が生まれることが多いの」


 生まれ持った要因以外にも、特殊な環境に置かれることが影響しているのかもしれないが、と梅花は付け加える。


「なるほど。皇帝が庶民を嫁に迎えることに抵抗がないのは、そうした理由からかもしれません」


 萌夏から聞いた話では、皇帝の息子、つまりは明の父親と伯父は三人とも亡くなっている。

 それ故、学はないが逞しい田舎娘を嫁に迎えるという、とんでもない発想に至ったのかもしれない。


(それならあり得ない話ではないのかな?)


 雨蘭は一瞬受け入れそうになるが、やはり普通の使用人として雇ってもらいたいと思うのだった。


 

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