第2話 同室の天女は照れ屋さん

リャン様、優しい人だったな。無事にやっていけそうで良かった)


 雨蘭は荷解きをしながら雇い主であろう人物のことを思い出していた。笑顔が爽やかで、気さくな雰囲気の青年だった。


 彼への短い挨拶の後は、長く宮仕えをしていたという老婆に部屋へと案内してもらった。

 狭くて申し訳ありませんと謝罪されたが、雨蘭の家がすっぽり収まりそうな広さである。


 同室だという女性が既に部屋の三分の二を陣取っていたが、それでも与えられた空間は雨蘭には広すぎて居心地が悪い。


「随分荷物が少ないようだけど、後から送られてくるのかしら?」


 部屋の隅からくすくすと笑い声が聞こえてくる。最初の挨拶は無視されたので、同室の彼女から初めて掛けられた言葉だった。


(綺麗な人だなぁ……。持ち込んでいる荷物からしてお金持ちのようだし、とても働く必要があるとは思えない)


「いえ、私の荷物はこれだけです」

「そのボロ布ひとつ分の荷物で生活するというの? 農民の逞しさは素晴らしいわね」


 雨蘭が持参したのは小さな布鞄と、家にあった一番大きな布で包んだ最低限の生活用品だけだ。

 簡素な寝台と棚、机と椅子は備え付けられていると事前に聞いており、実際その通りだったので特に困ることもない。


「逞しさは私の少ない取り柄の一つかもしれません」

「能天気で図太いところも取り柄だと思うわ」

「ありがとうございます、梅花メイファさん」


 雨蘭が礼を言うと、彼女は目の下をぴくりと痙攣させた。


「何故私の名前を知っているの? 名乗った覚えはないのだけれど」

「案内してくれた女性がそう呼んでいたので。違いました?」

「農民ふぜいが気安く呼ばないで」


 梅花はそっぽを向いてしまった。


 どの角度から見ても美しい顔だな、と雨蘭はまじまじ梅花を観察した。ぱっちりとしたつり目は猫のよう。艶のある赤みの強い茶色の髪は、彼女の名前によく似合う。


「何見てるのよ」

「この世のものとは思えないくらい綺麗で、まるで天女のようだと見惚れていました。ほら、私はこの通りちんちくりんじゃないですか」


 ミンに言われたが、まさにその通りで反論する気も起きない。


 癖のある黒髪はあっちこっちに跳ねているし、日焼けした肌は冬を越えてもくすんで見える。不細工まではいかないと信じているが、パッとしない顔をしており、美人でないことは間違いない。


「ふんっ。生まれが違うもの、当たり前よ」


 言葉はきついが、容姿を誉められた梅花の頬はうっすら紅く染まっている。


(怖い人かと思ったけど、きっと照れ屋さんなんだな。仲良くなれそうで良かった)


「梅花さん、良かったらこれ食べてください」

「なによ、それ」

「庭で採れた無花果です」


 同僚と食べようと思って持ってきた無花果の若い実を、お土産がわりに梅花に渡そうと考えた。


 雨蘭が彼女の陣地に踏み入ると彼女は眉間に皺を寄せる。雨蘭が手に持つ小さな実の房を見て、更に顔を引き攣らせた。


「嘘でしょう。私の知る無花果はもっと大きいもの」

「ああ、それは熟れた実ですね。これはまだ赤ちゃんなんです。塩につけて食べると美味しいですよ」

「そんなもの、要らないから仕舞って頂戴。それと金輪際私の方へは入って来ないで。穢らわしい」


 梅花は雨蘭の手を跳ね除けた。無花果の房が地面に落ちる。


「どうやって紛れ込んだのか知らないけど、せいぜい恥をかくといいわ」


 雨蘭は無花果を拾って息を吹きかけ、いくつか摘んで頬張った。梅花がその様子を見て「信じられない」と唸る。


(ちょっと苦いけど、眠気覚ましには丁度いいんだよね)


 これ以上梅花を刺激しないように、雨蘭は彼女の陣地を出て大人しく自分の寝台に腰を下ろす。

 しばらくじっとしていたが、することもなく、退屈に耐えられなくなった雨蘭は再び梅花に声を掛けた。


「あの、梅花さんもここへは仕事をしに来たのですよね?」

「はぁ? 何を言ってるの。もしかして、何も知らされていないわけ?」

「皇帝廟を管理する仕事と聞いてきたのですが、もしかして違いましたか?」

「っ、あははは!」


 首を傾げる雨蘭の前で、梅花は高らかに笑った。それからすっと真顔になり、冷たい声で言い放つ。


「貴女、ここに案内されたのが手違いじゃないか、確認した方が良いわよ。貴女と私が同じ扱いなんておかしいもの」

「その方が良さそうですね。私も段々おかしい気がしてきました」


(うーん、確かにおかしい。梅花さんの世話係ならともかく、天女のような彼女と対等なんてこと、絶対有り得ないもの)


 雨蘭は広げた荷物を元に戻した。纏め終え、部屋から出ようとしたところで老婆とぶつかりそうになる。


「雨蘭様、どちらへ行かれるのですか」

「ここは私の居場所ではなさそうなので、正しい処遇を聞きに行こうと思って」

「ここで間違いないですよ。梅花様、雨蘭様、準備が整いましたので、講堂にお集まりください」

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