第30話 それはあり得ません
「黄藤草と茶葉を間違える――普通なら起こり得ないことです」
真面目そうな青年は目を伏せ、首を横に振る。
「黄藤草は微量であれば鎮痛作用の効果を持つため、ここでも取り扱っていました。しかし、あの量を取り違えるのはあり得ない」
怒り、いや、哀しみだろうか。感情が滲み出る強い口調だった。
「あり得ないことが何故起きてしまったのでしょう」
「僕からしてみれば、意図して混入したとしか思えないのです」
「そのことは調べを受けた時に話しましたか?」
「はい。ただ、彼女はそのようなことをする人物ではない。誰かに唆されたか、騙されたに違いないということも伝えました」
青年は軍の出した結論に納得していないように見えた。協力してもらえるかもしれないと、雨蘭は話を持ちかける。
「私はただ、事件の真実を知りたいと思っています。良ければその人のことを教えてもらえませんか?」
黄藤草を混入した女性は、
名前の通り物静か。博識で、人を傷つけることを好まぬ内向的な性格だと彼は語った。
廟へ送る茶葉の管理は彼女に一任されており、青年は詳しく知らなかったらしい。
「その静さんと、梁様は知り合いだったのでしょうか」
「調べを受ける中で初めて名前を知ったのですが、梁様はよく茶葉を求めにいらっしゃっていました。静さんとはそれなりに親しかったのではないかと思います」
雨蘭は新たに得た情報をもとに、様々な推測をしてみる。
その一、静という女性は梁に対し何らかの恨みがあって黄藤草を混ぜた。
(必ず梁様が飲むとは限らないから違うか)
その二、誰でも良いので毒を飲ませてみたかった。
(話を聞く限り猟奇的なことをする人には思えない)
その三、本当に不注意による事故だった。
(今の時点では皇帝軍が出した結論が一番妥当かも)
「大丈夫ですか? 鼻から血が……」
「へ?」
雨蘭を見て青年が慌てるので、鼻に手を当ててみると、赤いものが付着する。どうやら脳を酷使しすぎて、鼻血が出たらしい。
あれこれ考えて悩むことは、雨蘭には向いていないのだ。頭を使うのは明に頼めば良いと、考えることを放棄する。
難しい話はもう終わりだ。雨蘭はもらった塵紙を鼻に詰め、お茶を飲みながら青年と他愛のない話をした。
これ以上長居するのは申し訳ないと感じ始めた頃、丁度迎えが現れる。
「おい、いるか?」
「明様!」
早く帰りましょうとばかりに、引き戸から顔を出した人物のもとに駆け寄った。
「その鼻は何だ」
「頭を使いすぎたら血が出ました」
「ふっ……」
明が鼻で笑うので、雨蘭は「笑わないでくださいよ!」と言って唇を尖らせる。
血が止まっていることを確認し、そっと塵紙を抜いた。
「茶葉をお忘れですよ」
青年は戸口まで紙の包みを持ってきてくれる。
すっかり忘れていたが、雨蘭は茶葉を求めて茶室を訪れたことになっていた。
包んでもらってしまった以上、不要ですとは言い出せない。
雨蘭は恐る恐る隣の男を見上げる。
「買ったのか?」
「明様……お金を貸してください」
「だろうな。君、恵徳帝廟の公費としてつけておいてくれ」
「畏まりました。今度は夫婦揃っていらしてくださいね」
青年は明に茶葉の包みを渡すと、丁寧に頭を下げて送り出してくれる。
「夫婦とはどういうことだ」
青年の耳に届かない距離まで無言で歩いてから、明はぽそりと呟いた。
(やっぱり気になりますよね!? 私なんかと夫婦に思われて屈辱だろうな)
「済みません。何故か勘違いされてそのままでした。夫婦だなんて、あり得ないですよね」
「まぁ、今日のお前はそこそこ見られるからな」
「そうなんです。門でもじろじろ見られて、そんなに変ですかね」
雨蘭がその場で回ってみせると、重なった白と紫の薄布がふわりと宙に浮く。
梅花に貸した桃色の衣より、こちらの色の方が自分に似合うと思ったが、やはり農民には上質すぎて馴染まないのだろう。
「そういう意味ではない。……意外と似合っているし、可愛いと思う……」
「明様?」
「……髪飾りが」
「あっ! これ! 可愛いですよね」
白い蘭のモチーフに、いくつもの銀細工が雨のように連なり、垂れ下がっている。
梅花が「これは貴女のために作られたものね」と言っていた。
流石に偶然だろうが、自分の名前を連想させるものと知って雨蘭は愛おしく感じている。
その可愛らしい髪飾りが、どうやら明の目にも止まったようだ。
(びっくりした〜。一瞬、私のことを可愛いと言っているのかと思った)
真剣な目で見つめられ、いつもは無愛想な男に「可愛い」と言われたら、無駄に緊張してしまうではないか。
「ところで明様、ここを辞めさせられた
「軍が把握しているはずだ。聞いておく」
二人は黙って帰り道を歩く。
雨蘭は頬に火照る感覚があったが、心なしか明の方も顔が赤かった。
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