第31話 地の果てまでも追いかける

 雨蘭は鼻歌を歌いながら、ご機嫌に芋を植えている。先日もらってきた芋が、畑の作物第一号となった。


 何か重要なことを忘れている気もするが、真に重要であれば、自ずと要件の方からやって来るだろうと呑気に考える。


「おい、芋女」

「はい、何でしょう?」


 土に汚れた顔を上げると、畑の隅に渋い顔をした明が立っている。


「当然のように返事をするな。何だ、その格好は。元通りじゃないか」

「畑仕事をする時にお洒落はできませんから。それより明様が畑にいらっしゃるのは初めてですね。視察ですか?」

「違う、調べていた女の件だ。早くしろと急かしていただろう」


 彼は手に持っている巻物を気怠そうに振る。恐らくその中に彼女の行方が記載されているのだろう。


 できる限り早急に、と雨蘭がお願いしていたため、彼自らわざわざ届けに来てくれたらしい。


「居場所が分かったのですね!」


 畝の間を駆け、明から巻物をもらうと中身を確認する。


(うん、何も分からない)


 にょろにょろと書かれた文字は、雨蘭には未だ解読不能だった。


「案外近くにいる。都の中央市場で年老いた薬売りの父親を手伝っているらしい」

「今すぐ行ってきます」

「馬は……いらないな。少しは銭を持っていけ。必要経費だ、好きに使って良い」


 明は懐から布の包みを取り出すと、雨蘭に渡した。少しと言うが、これまで雨蘭が持った銭の中で一番重い。


「ありがとうございます!」


◇◆◇


 都にいくつかある市場のうち、中央市場が一番大きい。


 雨蘭は過去に一度だけ、故郷全体が大豊作だった年に、父やご近所さんと一緒に中央市場まで売りにきたことがあった。


 当時と変わらず、市場は活気に満ち、たくさんの人で賑わっている。


 肉、魚、果物。切り花、衣服、雑貨。様々な売り物で溢れ、混ざり合った強い臭いにむせそうになる。

 ここでは何もかもが売り物になり、どんな物でも手に入るような気がした。


(とりあえず来てみたけど、ここから探し出すのは至難の業だなぁ)


 市場の姿は毎日変わる。生鮮食品類は大体固まって定位置に存在するが、その他は混沌としている。


 闇雲に探して回るよりも、『薬売りの老人とその娘』という情報をもとに、聞き込みをした方が早い。


「人探しをしているんですけど、ここで薬売りをしているお爺さんを知りませんか?」


 ひとまず目が合った女性に尋ねてみる。薄い布切れの上に、ずらりと並べられた木彫りの彫刻は、彼女か、彼女の家族の作品だろう。


「あー、少し前までこのあたりにいたけど、最近見かけないね」

「場所を移動したんじゃないかい? 向かいのお婆なら世話になってたみたいだし、知ってるかもね」

「おーい、玉婆! 前に買ってた薬屋の爺さんの行方を知らない?」


 隣で昼食をとっていた別の中年女性が口を挟むと、瞬く間に向かいに座る老婆に声がかかる。


「あの人ならぽっくり逝っちまっただよ」

「違う、違う。それは靴屋の旦那だろうが。薬売りならこの前東の入り口近くで見たぞ」


 息子らしき男性が老婆の話を訂正すると、雨蘭が声をかけた女性はからっと笑って言う。


「だってさ。何か買ってくれたら情報代はまけといてやるよ」


 彼女ら物売りは逞しい。


 いつもの雨蘭なら負けじと交渉したかもしれないが、今日は明にもらったお金がある。

 穏便に済ませてしまおうと、売り物を眺めた。

 

「うーん、それならこの狐? 猫? の置物をください。知り合いにそっくり」

「お姉さん! うちも情報提供したんだから何か買ってくれよ」


 向かいの男性からも声がかかる。こうして聞き込みの度に応じていたところ、雨蘭の両手はすぐに塞がってしまった。


「あっ、すみません!」


 雨蘭が脇見をしていたせいで人にぶつかる。明によく似た動物の彫刻が地面に転がり落ちた。


「大丈夫?」

「はい。ありがとうございます」


 ぶつかった相手――白髪混じりの女性はわざわざ転がった彫刻を拾い上げ、雨蘭に渡してくれる。


(頭が良くて、優しそうな人……)


 聡明さが顔に滲み出ているとでも言えば良いのだろうか。市場にいる他の誰とも異なる気品と、控えめな雰囲気がある。


 雨蘭の直感が働いた。


「もしかして、ジンさんですか?」

「確かに名前は静ですけど……どこかでお会いしたことがありました?」

「私、廟での事故の真相を調べているんです。少しお話させてもらえませんか?」


 その言葉を聞いた瞬間、静は血相を変えて駆け出した。


(しまった、もっと慎重に話を切り出すべきだった!)


「静さん待って!! これ、少し預かっていてください!」


 偶然近くにいた子供向けの玩具を売り歩く男に荷物を押し付け、雨蘭は全速力で追いかける。足が特別速いとは言えないが、相手は年配の女性である。持久力で負けるはずがない。


「待ってください! 私はただの使用人見習いで、ただ話を聞きたいだけなんです!」


 人波を縫うように、時に押しのけ、魚売り場から流れた謎の液体に足をとられながらも、雨蘭は走り続ける。


(あと少し……! 私はどこまでも追いかけますよ!)


 気迫が伝わったのか、静は急に足を止めた。雨蘭は咄嗟に踏ん張るが、勢い余って彼女に突撃しそうになる。


「わーっ!! どいてください!!」


 言葉に従い、静は雨蘭を避けた。

 雨蘭はそのまま、道に並べられていた盆栽の棚に突っ込んでしまう。


「お前〜っ!! 何てことをしてくれたんだ!!」


 どんがらがっしゃんという音の後、売主の悲鳴が響き渡る。


「済みません! お金を払うので赦してください!」


 雨蘭は有り金全てを差し出した。これで足りなかったら、明に金を無心するしかない。


「貴女、これは多すぎるわ。ここにあるのは大して価値のない盆栽よ」

「静さん……」


 静は横からひょいと銭を掴み、盆栽売りの男に渡す。


「これだけあれば足りるわね、弁償するということで赦して頂戴。さあ、行きましょう」


「どうして待っていてくれたのですか?」


 逃げようと思えば、今のうちに逃げられたはずだ。雨蘭は不思議に思って静に尋ねる。


「ここから逃げたところで、貴女、地の果てまで追ってきそうだもの」


 彼女の息は乱れていたが、冷静な口調だった。

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