第47話 本心に気づくとき

 出会ったばかりの頃は会話をすることすら嫌がっていた男が、花を差し出し「好きだ」と言う。


 狐につままれた気持ちになりながら、雨蘭は花束を受け取った。


「明様は花嫁探しから逃れるために、手頃な私を選んだのですよね?」

「違う。誰も選ばない選択もできた」


 雨蘭は「では何故私を選んだのですか」と聞こうとして、話が堂々巡りしていることに気づく。


 答えは聞くまでもない。雨蘭の手にある白い花と共に受け取った言葉の通り、「好き」だからだろう。


「その、明様の言う好きというのは……」


 腰を引き寄せられたと思ったら、額に唇が落とされる。


「こういう意味だ」

「そう、ですか」


 自分から行動に移した癖に、明は真っ赤になった顔を手で覆う。雨蘭も恥ずかしさに唇を噛み締めて俯いた。


「いつどこに、私を好きになる要素があったのでしょう」

「分からない。気づいた時には手遅れだった」

「手遅れって」

「受け入れるまで時間がかかった。なんせ、お前は変なやつだったからな」

 

 どちらとも何も言わず、手が重ねられる。

 

「そこが良かったのかもしれませんね」

「そうだろうな。母親と会って、改めてそう思った」


 歯痒いが、不快ではない。むしろ雨蘭の胸の内には仄かな喜びが湧いてくる。


 妥協や互いの利のために嫁に選んだと言われるよりも、嬉しい。


(たぶん、これが好きって感情なんだろうな……)


 あれほど理解に苦しんだ『好き』が、すっと体に馴染んだ気がする。


「明様……」

「何だ、断ろうたって無駄だからな。俺への恋愛感情がないことはとうに分かっている」


 だから外堀を埋めるような形で囲ったのだと、明は拗ねたような口調で言う。


「後宮入りは仕事と思ってくれて構わない。望むのなら女官と同じように過ごせば良い。ただ、俺はそうは思っていないということを伝えておく」


 雨蘭が顔を上げると、彼はそっぽを向いている。


 普段から素直でない人だ。想いを告げるのは恥ずかしかったに違いない。それでも、真っ直ぐ気持ちを伝えてくれた。


「あの、明様」

「否定の言葉なら不要だ」

「違います」


(私もきっと、貴方のことが好きなんです)


 そう伝えたら、この人はどんな表情を見せてくれるのだろう。

 雨蘭は知りたいと思った。彼が何を考えて、どう感じているのか、もっと知りたい。


「どうせまた的外れな解釈をしたのだろう」

「違いますって。たぶん」


 落胆しないよう予防線を張る明に、雨蘭は思わず笑ってしまった。彼は「ほら見たことか、間違いなく勘違いしている」と言って雨蘭の頬をつねる。


 廟に足を踏み入れてからの三ヶ月、怒涛の日々だった。


 朱料理長のもとで修行し、燕に廟や国のことを教えてもらい、読み書きの勉強をしたと思ったら畑を耕し、事件捜査の真似事もした。


 振り返ってみると、それらの日々の中に明がいて、彼のさりげない助けがあったからこそ、ここまで来れたように思う。


 そんな風に感じてしまうということは、やっぱりそうなのだ。


「明様、私も貴方のことが――」

「ちょっとそこのお兄さん」


 自然な流れで言おうとしたところに、腰の曲がった老婆が割り込んでくる。

 雨蘭は重ねていた手をパッと放した。


 老婆はすずいと明に迫り、顔をじっと見たと思ったら、無遠慮に手のひらまで確認する。


「おい、突然何だ」

「これは良くない、良くないぞぉ〜っ!! 離縁の相が出ておる」

「はぁ?」

「お主、女に対して冷たいじゃろう。顔でやっていけるのは若いうちだけじゃ。そういう男は最初は良くてもそのうち飽きたら捨てられるものだ」


 見知らぬ老婆に迫られ、顔を顰めていた明だが、気になる言葉があったのか瞬間的に真顔へ戻る。


「それはお前の持論だ」

「そういう男を何人も見てきた。経験談ゆえ確度が高い」

「有難い言葉をどうも。そうならないよう気をつけることにする」


 明は老婆を振り払おうとするが、彼女はめげずに付き纏う。腰が曲がっているとは思えない、驚きの俊敏さだ。


「お主は離縁の相が出ているから、気をつけるだけではいかん。この数珠を買いなさい」

「不要だ! 離れろ!」

「いーや、離れん。ワシはお主のためを思って言っておるんじゃ」


 雨蘭は占いや呪いの類を信じていないが、田舎の母は好んで利用していた。

 冬を越すために貯めてあった銭を、雨蘭の将来の旦那を占うという呪術師に使い込んだ時は流石に怒ったが。


「高い物でなければ、買ってみたらどうですか」


 彼女は呪術師というよりは、しつこい物売りの類だろう。


 雨蘭であれば正面を切って戦うことも可能だが、一介の庶民、それも腰の曲がった老婆にたじたじな皇太子というのは見ていて面白い。


「お前はこの老婆の言うことを信じるのか」

「うーん。確かに、普段からもう少し、分かりやすい優しさを見せてくれたら嬉しいかもしれません」


 冗談のつもりだったが、彼は真に受けたらしい。神妙な顔で老婆に言われるがまま、雨蘭の分も数珠を買い上げた。


「とんだ邪魔が入った。先程言いかけていた言葉だが……」

「また今度にします。時間ならこれからたくさんあると思うので」


 買ってもらった水晶石の数珠を左腕に通す。夕暮れの橙の中できらきら輝いて美しい。


 後宮での暮らしも楽しいものだったら良いな、と雨蘭は思う。躊躇いはいつの間にか消えていた。

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