第46話 白い花束
「少し寄りたいところがある。付き合ってくれるか?」
王宮から出る際、明は少し改まって尋ねた。いつもと違う空気に戸惑いながらも、雨蘭は頷く。
行き先と目的は告げられないまま、彼の馬に乗せてもらい、ただ黙ってついて行った。
周囲を王宮の武人が大袈裟に取り囲んで歩くので、逆に格好の標的になるのではないかと雨蘭は余計な心配をしてしまう。
辿り着いたのは見覚えのある邸宅だった。
周囲を三周、四周もしたのだから、間違えるはずがない。
「ここって梁様のいたところですよね?」
「そうか、訪れたことがあるのか」
白い花や果物を抱えた武人が先に門の中へと入っていく。あれらは明の指示で手配されたものだろう。
「誰かのお見舞いですか」
「ああ。母親のな」
「明様の、お母様……? ど、どうしましょう!? 私、心の準備が……!!」
「必要ない」
明は先に馬を降りると、雨蘭を抱えるようにして降ろしてくれる。
「母親は俺のことすら認識できないから、心配するな」
「え?」
「会えば分かる」
明は白い花を一房だけ手に持つと、屋敷の中を勝手知ったる様子で歩いていく。
その人は、日当たりの良い窓際の寝台にいた。
こちらに気づくと、人懐こく笑いかけてくれる。どう見ても初老の女性であるのに、表情や素振りはまるで少女のようだった。
「こんにちは。どなたかしら」
「貴女の息子だよ」
「まだお嫁に行ってもいないのに息子だなんて。もっと面白い冗談を言ってほしいわ」
彼女はくすくす笑ったかと思いきや、明が花を渡すと、「私の好きな花だ」と言ってうっとりした表情をする。
「気をおかしくして以来、こうなんだ」
明が小さな声で言う。
(この人が、明様のお母様……)
明の綺麗な鼻筋と、薄い唇はもしかしたら母親譲りかもしれないが、一目見て親子とは分かるほど顔立ちは似通ってない。
「あら、そちらの方は?」
「はじめまして! 雨蘭と申します!」
「まぁ、元気な子ねぇ。私の子犬を知らない? 昨日から見てないの」
「子犬ですか?」
明が横から「まともに取り合わなくて良い」と囁く。雨蘭は適当に相槌を打ち、話を合わせた。
「雨蘭、そろそろ行こう」
明が帰ろうとすると、彼女は「ええ」と言って子どものように頬を膨らます。
「もう行くの? 一体何をしに来たの?」
「俺は彼女を幸せにするよ」
「そう? 頑張って」
母と息子は噛み合っているのか、いないのか、分からない会話をして、面会を終えた。
「父は二人娶ったんだ。一人目の嫁に男が生まれないとかいう、下らない理由だった。俺の母親は二人目の嫁で、正妃ではない」
邸宅から廟に戻る間、明は両親のことを語ってくれた。
当時皇太子だった父親の、正妃と側妃の間に軋轢が生まれるのは必然だった。
側妃に男児が生まれてからは尚更、血みどろの争いに発展したのだという。
「結果的に正妃は父と事故死、母は病んであの状態だ。俺が女嫌いなのは、嫌な部分を間近で見てきたからだと思う」
「明様の女嫌いには理由があったのですね」
「その点お前は良い。女らしさに欠けるからな」
明の表情は読めないが、嫌味のつもりで言ったわけではなさそうだ。
彼の後ろで馬に揺られながら、雨蘭は「褒め言葉として受け取っておきます」と返事をしておく。
「まだ不満か」
少し間があいた後、明は一言呟いた。
「何のことですか」
「お前は俺と夫婦になりたくないのだろう」
(またその話……。明様、そういうことに関心が薄そうなのに、意外と気にしてるんだな)
「明様が嫌なわけではなのいのですけど、ただ、なんというか」
「それなら何が不満なんだ」
不満、というよりは腑に落ちないという言い方が正しいだろうか。
何故躊躇いを覚えるのか、雨蘭自身も分かっていない。
「明様だって、別に私のことが好きなわけではないですよね? 人としてはそれなりに好ましく思っていただけているのでしょうが」
雨蘭は自分の口から出た、僻みっぽい言葉を聞いて驚いた。
(あれ、私が引っかかっているのってそういうこと……? そうだとしたら、何だか私ってとても明様のことが……)
「俺はいつも言葉が足りないのだろうな」
明は頭を掻きむしったと思ったら、急に進路を変えた。後ろに乗っているのが普通の女性であれば、馬から振り落とされていただろう。
「明啓様!?」
「ご苦労だった、お前らは王宮に戻れ」
慌てる護衛たちを残し、明の馬は軽快に走り出す。
「え? ええ? ちょっと明様、どこへ?」
馬は来た道を戻り、そこから脇へと外れて坂を登った。しばらく行くと、美しい湖が見えてくる。
少し辺鄙なところにあるにも拘らず、寄り添って歩く男女何組かとすれ違う。どうやら、恋人たちが訪れる場所のようだ。
明は馬を降りると、道端で物売りをしている老婆から真っ白の花束を買い、そのまま雨蘭に差し出す。
あっという間の出来事だった。
「好きだ」
「へ?」
「変な伝え方をしたせいで、お前は勝手な解釈をしたままのようだが、俺はお前のことが好きだよ、雨蘭」
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