第45話 畑なら作れば良いよ

「明様!! 先に家族を味方につけるなんて卑怯です!!」


 家族を廟の門まで見送った後、雨蘭は全力疾走で北の離れに突撃した。

 ようやく明に文句を言うことができたが、時既に遅しというやつである。


「家族の生活を保証するというのはお前との約束だからな。安心しただろう」


 先に応接間から切り上げた明は、欠伸をしながら巻物に筆を走らせている。


「それとこれとは話が違います。ですが、兄のことはありがとうございました」


 強引に話を進めようとしていることはいただけないが、兄の元気な姿を見ることができたのは有り難かった。


 雨蘭が頼んだわけでもないのに、いつの間に医者を手配してくれていたのだろう。


「良かったな」

「はい」


(自分勝手で横暴なようで、さりげなく優しいんだよな)


 雨蘭は作業する明の姿をしばらく眺めた。


 梁が復帰して仕事が落ち着いたのか、部屋は片付き、明の横顔にもどこか余裕がある。


「話があるなら座ったらどうだ」

「……失礼します」


 雨蘭が勉強する時に使っていた椅子は、以前と同じ場所――執務机の隅に置かれていた。

 大人しく座って待ってみるが、彼が手を止める気配は一向にない。


 これほど仕事熱心な男だっただろうか。

 雨蘭に文句を言う隙を与えないように、わざと忙しいふりをしているように思えてくる。


「明様は本当に私を嫁として迎えるつもりなのですか」

「ああ」

「私はまだ納得していません。勝手に話を進められても困ります」


 皇太子と知る前の感覚で強気に直談判をする雨蘭だが、本来であれば拒否権など与えられていない。


 国の最高権力者が「結婚する」と言ったなら、相手が田舎娘であろうと猪であろうと、結婚できないわけがないのだ。


「どうしたら納得する」

「分かりません」


 明はようやく筆を置き、雨蘭に端正な顔を向ける。


 髪を短くし、顔を出した状態の彼には未だ慣れない。

 前世でどれ程の徳を積んだらこのような美しい顔に生まれるのだろう、と雨蘭は考えた。


「後宮という場所が嫌なのか? それなら安心しろ。昔の所謂、何人も妃がいて女の陰謀が渦巻く後宮というのは今は存在しない」

「そうなのですね」

「恵徳帝が解体したからな。まぁ、今でも娶ろうと思えば何人でも娶れるが、そのつもりもない。厄介ごとを招くだけだ」


(明様は熱心に何を言っているのだろう? 私以外を娶るつもりはないと言っているように聞こえるのだけれど)


 雨蘭が後宮に入るのだとしても、彼は由緒正しきお嬢様を正妻として囲うべきだろう。


「この後、暇だな?」

「はい、特別な用はないです」


 時間ができたら、畑の様子でも見に行こうと思っていたくらいだ。


「皇帝のところに顔を出しに行く。準備して待っていろ」

「ええ、おじいちゃんの家に遊びに行く、みたいな気軽さで言わないでくださいよ……」


 雨蘭は仕方なく宿舎に戻り、梅花に小言を言われながらも正装の準備をした。


◇◆◇


「ようやく話がまとまったか、明啓」


 急な来訪だったというのに、皇帝は随分嬉しそうだ。自身の二倍はありそうな椅子に座り、二人を迎えてくれる。


 雨蘭は以前燕に教えてもらったことを思い出し、膝をついて挨拶をした。


「おお、おお、どこのご令嬢かと思ったら雨蘭か。見違えるように美しい。他にも似合いそうなものを見繕っておくよ」


 そのうち本当に贈られてきそうなので、遠慮しますと言うべきか雨蘭が迷っていると、明が形式張った口調で報告を始める。


「先日伝えた通り、彼女にはいずれ後宮入りしてもらうつもりでいます」

「勿論だ。翡翠宮を使ってもらいなさい。古すぎるようであれば、好きに改築しても良い」


 皇帝の言葉の節々には、喜びが滲み出ている。

 女性に興味がなかった孫が、やっと嫁を迎える気になってくれて嬉しい、といったところだろうか。


「後宮入りに不満があるのなら、この人に言っておくといい」


 明は突然、黙って控える雨蘭に話を振った。


 皇帝の笑顔が曇ったのを見た雨蘭は、慌てて話を和らげる。


「不満といいますか、私のように身分の低い人間が、形式だけだったとしても明様と夫婦になっていいものか、恐縮でして」

「構わん、構わん。翡翠宮に住んでいた皇后――明啓の祖母も、当時の後宮では一般庶民と変わらない立場だった」


 皇帝は白髭をいじりながら、懐かしそうに頷く。言葉の雰囲気からして、皇后は既に崩御されているらしい。


「素敵な方だったのでしょうね」

「ああ、それはもう気立ての良い、可愛らしい人でなぁ」

「その話を聞くと二日はかかるから止めておけ」


 昔話が始まりそうになったのを明が止めた。恵徳帝は愛妻家だったのだろう。


「他には何かあるかな?」

「他……私は田舎で畑を耕しながら、家族仲睦まじく暮らすのが夢でした。なので後宮に入るというのは、私の理想とは少し異なるかな、と……」


 もごもご言い淀む雨蘭に、皇帝は解決策を持ちかける。


「ふむ。簡単なことだ。翡翠宮の敷地に畑を作って暮らせば良い」


(だ、駄目だ……何を言っても明様のもとに嫁ぐ未来を回避できそうにない……)


「もうお手上げです」

「そうだろう。さっさと諦めることだな」


 どうやら雨蘭が後宮入りするのは避けられないらしい。


 後宮に入れば、故郷に残してきた家族の生活は今後一切心配する必要がなく、雨蘭自身も何不自由ない生活を送ることができる。


 格式高い生活に窮屈な思いはするだろうが、生活を保証してもらう代償だと割り切れば良い。


(家族の暮らしを支えるという当初の目的は達成されるし、悪い条件ではない、か……。でも、明様は本当にこれで良いのかな)


 端正な顔をした隣の男をちらりと見る。


 彼は雨蘭が帰りたがっていると思ったのか、「また顔を出す」と言って皇帝との話を切り上げ、さっさと謁見の間を出て行こうとした。


「雨蘭や、孫たちのことをありがとう」


 皇帝は残された田舎娘に向かって、穏やかに微笑みかける。


「いえ、私は何も……」

「私ももう長くない。これからもよくしてやってくれ」


 雨蘭は膝をついて皇帝に挨拶をしてから、先を行く明を追いかけた。

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