第48話 甘やかされてます
「あ……」
口から食べかけの野菜かすがぽろりと溢れる。お腹が空きすぎたあまり、欲張って口に入れてしまったことが災いした。
雨蘭は恐る恐る梅花の顔色を窺う。
「だから、貴女は一度に詰め込みすぎなの! 一口は親指の先程度になさいと何度言ったら分かるのかしら」
案の定、厳しい言葉が飛んできた。梅花は自分の食事を後回しにして雨蘭を見張っているくらいなので、見逃してくれるわけがない。
「はい……むみまひぇん」
「口にいれたまま喋らない!!」
最近はずっとこの調子で、雨蘭は朝から晩まで梅花にしごかれながら、後宮に入る準備をしている。
候補者たちが去り、食事を提供する人数が減ったことで、朝と夕方の調理場の手伝いはお役御免を言い渡された。
今でも時折、料理長のいない時を見計らって萌夏の手伝いをしに行くが、「立場を自覚しなさい」と梅花に怒られるのであまり顔を出せていない。
畑など言語道断、廟の若い使用人に任せることになってしまった。
廟の掃除だけは変わらず毎日行っているものの、梅花も一緒なので抜け出す隙はない。
「こんな状態で後宮入りしたら、周りの女官たちに舐められるわよ」
「はい」
「背筋を伸ばす」
「はい……」
何をするにも怒られてばかりで楽しくない。近頃の雨蘭の楽しみといえば、廟を引き上げた明が顔を見せに来ることくらいだろうか。
「そのくらいにしてやってくれ」
食べ方指導が行われている個室に、官服姿の男が顔を出す。
「明様!!」
救世主の登場に雨蘭は自然と笑顔になった。
今日は来ると聞いていなかったので、尚更嬉しい。これでしばらく鬼の特訓から解放される。
「無自覚なのかもしれないですが、最近の明啓様は雨蘭を甘やかしすぎです」
「甘いか?」
梅花に苦言を呈された明は、雨蘭に尋ねる。
「いえ。もっと甘やかしてくれても良いくらいです」
雨蘭がはきはき答えると、梅花は盛大に溜め息をついた。
「はぁ……、先が思いやられる」
「悪いな。今日は梁も来ているから、後で顔を出すと良い」
皇太子の労いの言葉は効果
「梅花さん、梁様が帰ってしまわないうちに行ってきた方が良いですよ」
「そうね。私ったら明啓様がいらしているのに、配慮が足りませんでした。邪魔者はこれにて失礼します」
雨蘭の囁きを聞くと、彼女はあっさり出て行った。
(梁様がいらしてなかったら、このまま指導を続行したんだろうな)
「梁のことになると相変わらずだな」
「ですね。あの二人は上手くいっているのでしょうか?」
「さぁな。ただ、梁は放っておくと仕事ばかりになるから、ああいう存在が側にいた方が良いだろう」
梅花はやはり、雨蘭の指導役になるにあたり、明と取り引きをしていたらしい。
今後も梁との関わりが持てるよう取り計らうこと。それが梅花の出した条件だったようだ。
「今日は何しにこちらへ?」
「見せたいものがあってな。梅花にも同席してもらおうと思ったが、まぁ良いだろう」
「ささっと食べてしまうので、ちょっと待ってくださいね」
梅花がいないのを良いことに、雨蘭は残りのご飯を掻き込んだ。
一昔前の明なら「食べ方が汚ない」と注意をしてきただろうが、彼は向かいに座り、雨蘭の荒っぽい食事の様子を満足そうに眺めている。
湖で老婆に言われたことを気にしているのか、あれ以来雨蘭に対して激甘なのだ。
もっと甘やかしても良いと言ってみたものの、これ以上優しくされたら自分が駄目人間になる気がする。
◇◆◇
「わぁ、すごい」
食後に連れてこられたのは、以前皇帝と面会をした謁見の間だった。
がらんとした広い空間に、煌びやかな服飾類や、高級そうな家具がずらりと並んでいる。
(どうしたんだろ。ここで店でも開くつもりかな)
雨蘭は他人事のように眺めていた。
「どうだ?」
「芸術品の展示会ですか? それとも商売を始めるんですか?」
そう言うと、明はふっと息を漏らして笑う。
「全てお前のものだ」
「私のもの!? これ全部ですか!?」
驚きのあまり心臓が止まるかと思った。
入り口から玉座に至るまで、直線の両脇にぎっしり並んだ品々の全てが雨蘭のものだと言うのだ。
梅花が着ていそうな金の刺繍が施された衣服も、どっしりとした箪笥や、朱色の美しい鏡台も、何もかも自分のものだと思うと眩暈がしてくる。
「嫁入り道具というものが必要なのだと聞いた」
「それはこんなにたくさん必要なものなのでしょうか」
「分からないが、お前は何も持っていないからな。生活に困らないよう揃えさせた」
(ええ……)
今でも生活には困っていないので恐らく必要ない代物だと思うが、明が嬉しそうなので黙っておく。
ただ、お金の使い方については、早いうちに話し合っておいた方が良さそうだ。
「翡翠宮の整備がそろそろ終わるらしい。早ければ今月末、来月には間違いなく移れるだろう」
「楽しそうですね」
「それはそうだろう」
柄にもなく喜びを滲ませる明がどこか子どもっぽくて、そういうところも愛おしいなぁと雨蘭は思うのだった。
少しずつ、少しずつ、今まで気づいていなかった感情に名前をつけて、胸の内がいっぱいになったら言葉にしよう。
「好きですよ」
そう言うと、明は口をぽかんと開けたまま静止する。
「今か」
「はい」
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