第16話 モテない理由

「昨日は申し訳ありませんでした!!」


 早朝、爽快に目覚めた雨蘭は万全の状態で料理長を出迎え、全力で頭を下げる。

 

「傷が塞がるまで来なくていい」


 料理長は相変わらず険しい顔つきをしており、眉間には深い皺が刻まれている。

 雨蘭は怯みそうになるのをぐっと堪えた。


「食器棚や食物庫の整理など、できることをします。朱様が料理するところを見て学びたいんです」

「邪魔になるようだったら追い出すからな」

「はい!」


(ふぅ、許してもらえて良かった〜)


 緊張が解け、雨蘭はほっと胸を撫で下ろす。


 埃を立てないよう、調理場の隅で食材の整理や鮮度の確認をしながら、料理長が腕を振るうのを観察した。

 

 野菜を切る大きさ。下味の付け方。生肉の処理。炒める時の鍋の振り方や味付けをするタイミング。

 直接的には教えてくれないので、彼が料理をしているところを出来る限り見て、技を盗む必要がある。


「料理長、話がある」


 師匠の一挙一動を集中して見守る雨蘭の前を、黒い影が横切った。


(明様? どうしたのだろう)


 明が調理場に乗り込んでくるのは雨蘭の知る限り二回目だ。よくあることなのだろうか。


「済みません。朝食ならもうすぐ出来上がります」


 あの厳しい料理長が、明に対しては軽く頭を下げる。


「ああ。そういうことではない。そこの女、雨蘭のことだが、梁の指示による別件で負荷をかけすぎた。こちらも配慮をするが、大目に見てやってほしい」

「はぁ」


 料理長は疑問を孕んだ歯切れの悪い返事をする。かき混ぜるのを怠ったせいか、じゅうじゅう音を立てる鍋から焦げた臭いが漂ってくる。


「人手が足りないなら手配しよう。それと、毎日彼女に夜食を作らせて、仕事終わりに北の離れへ運ばせてくれ。大層なものは不要だ」


 一方的に要求を告げると、明はさっさと出ていってしまう。料理長は不思議そうな顔で雨蘭を見た。


「お前は一体……」

「た、ただの見習い使用人ですよ!? 梁様の命を受けることになったのは、全くの偶然、奇跡のようなものです」


 誤解されないよう慌てて弁明する。梁と話した。梁に何かをしてもらった。というのは、この敷地内では禁句と見なした方が良い。 


「あのもさ髪男、この前も来てたけど一体誰よ。朱様があんなに動揺するなんて早々ないのに」


 焦げた料理に気付き、慌てる料理長の目を盗んで萌夏が尋ねてくる。

 

「さぁ。私もどのような役職の方か詳しく知りませんが、梁様の補佐をされているようです」

「あー、ここの管理長に近いってわけね」


 梁の幼馴染、かつ彼に尊大な態度をとれる立場というのはなかなかすごいのではないだろうか。

 候補者女性たちが明には全く騒がないことが不思議である。


◇◆◇


「こんばんは。夜食をお待ちしました」

「入れ」


 言われた通り夜食を持って離れに赴くと、明は昨日と同じように部屋へ上げてくれる。

 雨蘭が昨日座っていた椅子は同じ場所に置かれたままだ。


「突っ立っていないで勉強しろ」

「ここで、しても良いのでしょうか」


 机と明の顔を交互に見る。「外でしろという意味だ」と言われると思ったが、彼は黙って頷いた。


「最近何だか明様がお優しい気がするのですが……気のせいでしょうか」


 雨蘭は遠慮がちに椅子に座る。明は遅い時間まで仕事をしていたのか、机には巻き物が山積みになっている。

 梁からは仕事に熱心でないと聞いていたので、少し意外だった。


「毎日毎日、外で勉強するお前が哀れに思えてきただけだ」

「済みません、気を遣わせてしまったのですね」

「それに、お前が終わるのを待っているより、教えてさっさと帰す方が効率的だと気づいた」


 机に散らばった仕事道具を整理しながら、明は何気なく言う。


「いつも私を待っていてくださったのですか?」

「感謝しろよ」

「はい」


 彼の分かりにくい優しさに気づいた時、嬉しくて雨蘭の顔はじわじわ緩んでしまう。


「明様は何故女性に好かれないのでしょう」


 心の声が漏れて出た。明は椅子にどっかり腰を下ろし、太々しく頬杖をつく。


「腹の立つ言い方だな」

「あっ、嫌味ではなく、単に不思議なだけです。恐らく明様は頭が良くて、地位もあって、一見怖いけれど優しいのに、皆さん梁様ばかりに夢中なので」

「煽ってるとしか思えない」

「ええ……」


 雨蘭は褒めているつもりだったが、彼にはそう受け取ってもらえなかったようだ。


「俺は梁のように優しくないからな」

「優しいと思いますけど」

「そんなことを言うのはお前くらいだよ」


 一瞬ふっ、と明の口元が綻んだ。初めて見る表情に驚いて動悸がする。


(明様って笑うんだ)


 急に雰囲気が和らいだので、雨蘭は先程から気になっていたことをお願いしてみようと思った。


「あの……お前ではなく、名前を呼んでくださると嬉しいです」

「忘れた」

「えっ!? 今朝料理長と話す時に呼んでましたよね? 覚えてくださっていたんだー! と感動したのですが」


 名前は覚えられていないものと思っていたが、あの時彼は雨蘭の名をはっきり口にした。

 誰かに名前を呼ばれて嬉しいと感じたのは、あれが初めてのことだった。


「さっさと勉強しろ、ちんちくりん」

「うう、分かりました」


 鬱陶しそうに手で払いのける仕草をされたので諦める。流石に厚かましいお願いだったかもしれない。


 しばらく黙って簡単な詩集を読んでいた雨蘭だったが、名案を思いつき勢いよく顔を上げた。


「顔を出したら良いのでは?」

「嫌だね」


 明は即答する。


 顔の半分を隠す前髪を上げ、乱雑に伸びた髪をさっぱりさせれば、かなり印象が変わるだろう。


(見せられないほど酷い顔をしているのかな)


 昔大きな火傷を負ったとかで、真夏でも長袖の服を着る隣人がいたことを思い出す。

 触れられたくないことかもしれないと、雨蘭はそれ以上追求するのをやめた。


「俺にあれこれ言う前に、お前は自分の身なりをなんとかするんだな」

「私は花嫁を目指すつもりはないので、最低限服さえ着ていれば良いかなーと思っています」


 雨蘭とて、未来永劫独り身でいたいわけではない。

 兄の病気が治り、お金が貯まったら実家に戻り、ゆくゆくは逞しい人と結婚して大きな畑を持てたら良い。


 ただそれは、雨蘭にとってまだまだ遠い未来の話に思えた。

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