第23話 模擬演習

 梁の後に入ってきた黒髪の男、明は部屋の後ろに雨蘭がいるのを見つけると、口もとを引き攣らせる。

 何故お前がここにいる、とでも言いたいのだろう。雨蘭は笑顔で返事をしておいた。


「各々既に自分の役割を把握し、練習していると思います。今日は一回目なので、通しではなく、要所要所の動きを確認します」


 梁は優しい声音で模擬演習の流れを説明する。試験ではないので安心してほしいと場を和ませることも忘れない。


「まずは出迎えるところから。今日は燕が皇帝の代わりを務めます。恵徳帝はまだまだお元気ですが、高齢であることへの配慮を忘れないようにしてください」

「燕はともかく、皇帝は色仕掛けやおべっかが通用する人間ではない。無駄なことを考えるなよ」


 穏やかに話が進行する中、明は横から厳しい口調で釘を刺した。


「明はもう少し柔らかい言い方ができないのかな」

「そういう役回りはお前に任せている」


 梁は幼馴染の直接的な言い方に苦言を呈するが、今日に限って雨蘭は良いぞもっと言ってやれと思う。


 犯人探しをするつもりはないが、きっとこの中に梅花の髪飾りを隠し、衣を台無しにした人物がいる。

 もしかしたら模擬演習中にも、梅花を泣かせる不届者が現れるかもしれない。


 気を引き締めるが、雨蘭の心配をよそに梅花は演習をそつなくこなしてみせる。


(はぁ〜。梅花さん、所作がとても綺麗)


 複数いる出迎え役の中央に梅花は胸を張って立ち、皇帝役の燕が乗った輿に向かってしなやかに頭を下げた。


 降りようとした燕がふらつくと、無礼を詫びながらさっと手を差し伸べる。


「ほぉ、良い判断じゃ」

「お体に触れるのは失礼かと思ったのですが、実際の場面でもこのような対応で問題ないでしょうか」

「構わん、構わん。恵徳帝はこのような心遣いを喜ぶ。硬くなりすぎない方が良い」


 梅花に支えられ、燕は鼻の下を伸ばしている。雨蘭が手を引いても何の反応も示さないというのに、美女の力は偉大だ。


 梅花が基本の流れをしっかり理解した上で臨機応変に振る舞う一方、他の候補者たちの粗雑さが雨蘭の目についた。


 そう感じたのは官僚二人も同じだったようで、言葉を濁して講評を行った梁に対し、明は厳しい言葉を投げかける。


「下らない足の引っ張り合いをする暇があるなら、自分の技量を上げる努力をしろ」


 下民である雨蘭にだけ厳しいのかと思いきや、彼は誰に対しても言う時は言うらしい。


 梅花だけが褒められ、他は叱られるという状況に、ある者は泣き、ある者は恨めしそうに梅花を睨んでいる。


(何という地獄絵図……)


 明には梅花が嫌がらせを受けていることを伝えてあったはずなのだが、結果的に火に油を注いでしまっている。

 このままでは逆恨みで梅花への攻撃が強まりかねない。


「部屋に戻って少し休憩しようか。明はああ言ったけど、本番までまだ時間はあるから、ゆっくりで構わないよ。梅花はお茶出しの準備をしておいて」

「はい」


 梁は状況を見て的確な判断をしてくれた。

 梅花を集団から外れるようにし、自らは率先して他の候補者たちを宥める。


 彼は優しく、気配りができて素敵な人であることは間違い無いが、厳しく伝えることも時には大事だと客観的に見ていて雨蘭は思う。


 明の言う通り、彼らはそれぞれ飴と鞭の異なる役目を果たし、それが上手く機能しているのだろう。


(なかなか戻ってこないな……何かあったのかも)


 梅花が戻ってくる気配がない。お茶を淹れにいくにしては時間がかかっている。


 候補者たちは既に落ち着き、この機会に梁の心を掴もうと必死だ。誰も次の演習に移りましょうとは言い出さない。


 部屋の隅に一人佇む明は、様子を見てこいと暇を持て余している雨蘭に顎で指示を出す。

 雨蘭は小さく頷き、恐らく一通りのことを把握しているだろう老婆に尋ねた。


「楊美様、お茶を準備する場所というのはどこなのでしょう」

「隣の小さな部屋です。手伝いの者をつけましたが……戻りが少し遅いですね。私が様子を見てきましょうか」

「いえ、ここはの私が行ってきます」


 明も親しい人間を行かせた方が良いと判断し、雨蘭に訴えたに違いない。


「梅花さーん? 大丈夫ですかー?」


 隣の部屋の扉は開いていた。驚かせないよう、声を掛けてから顔を出す。


「うるさいわね。丁度今から運ぶところよ」


 梅花は雨蘭を見ると顔を顰めた。彼女の前には茶器が揃っており、一見問題はなさそうだ。


 手伝いのために控えている若い使用人は、雨蘭に対しても軽く頭を下げてくれる。

 

「遅かったので何かあったのかと思いました。梅花さん、自分でお茶を淹れる機会もなさそうですし」

「もしかして嫌味? お客様に茶を出すくらい出来て当然のこと。時間がかかったのは茶葉がどこにもなかったというだけ。まさかここまでやられているとは」


 彼女は怒りを言葉に滲ませる。尋常ではないほどの殺気を放っていることから、雨蘭は茶葉が切れていたのではなく、誰かが故意に隠したのだと悟った。


「同一犯でしょうか」

「恐らく春鈴と香蓮の仕業ね。そこの彼女が茶葉を見つけてきてくれたから良かったものの、大恥をかくところだった」


 雨蘭だったら、部屋に戻って素直に申告するが、彼女の自尊心は人を頼ることを許さないのだろう。


「無事解決できたのなら良かったです。この後も頑張ってくださいね」

「ふん。貴女はさっさと畑に行きなさいよ」


 いつもの彼女らしい、気の強い台詞に雨蘭は思わず微笑んでしまう。その様子を見て梅花は更に「気持ち悪い」と罵った。


「それでこそ梅花さんです。さぁ、戻りましょう」

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