第20話 友人を助けてください

(よし、臭くないよね)


 自身の臭いを確認し、北の離れの扉を叩く。


 今日は肥料を撒いたので、いつもより入念に体を洗ったつもりだ。調理場でも指摘を受けなかったので恐らく大丈夫だろう。


「失礼します」


 反応がないので、様子を窺いながらそろりと中に入る。明はまだ書類仕事をしているようで、出来の悪い生徒には目もくれず筆を走らせている。


 邪魔しないよう静かに定位置につき、雨蘭は自習を始めた。


「今日の夜食は何だ」


 程よく集中し始めたところで、腹を空かせた男の声に遮られる。

 主人を第一優先に行動するのが使用人というものだ。雨蘭は持参していた器を差し出す。


「ささみと瓜に花椒ホアジャオを和えたものです」

「お前が考えたのか」

「はい。一応料理長も目は通していますが、夜食は私の自由にさせてもらっています」


 明の計らいで調理場に人員補充があったため、雨蘭は夜食作りに専念させてもらっている。

 彼女に作らせろと明が言ったためか、余程の失敗をしていない限り、料理長は口を出さない。


「……」


 一口箸をつけた後、明は黙り込んでしまう。我ながら上手くできたと思っていたが、気に入ってもらえなかったのだろうか。


「お気に召しませんでしたか?」

「いや、悪くない」

「良かった……、無言だったので何か失敗したのかと思いました」


 悪くないという言葉は、かなり気に入ってくれている証拠だ。決して美味しいとは言ってくれないが、微細な反応で彼の嗜好が分かるようになってきた。

 

 辛いものや刺激の強いものが好き。甘いものは苦手で、鶏肉の皮は食べられない。


 この人のことをもっと知りたい。喜んでくれる食事を振る舞いたい。そう思う自分はやはり使用人適性が高いのではないかと思う。


「黙り込んで悪かったな」

「えっ」

「何だ」

「明様が、謝った……」


 信じられないものを見た。雨蘭はぽかんと口を開け、瞬きを繰り返す。


「俺を何だと思っているんだ」

「態度の大きい文官補佐?」

「自分に非があると思ったら謝罪くらいする」


 不機嫌そうに言うが、攻撃的ではない。彼からしたら雨蘭など、正規の使用人以下の存在でしかないのに、最近やたらと甘いのだった。


(この調子なら話を聞いてくれるかな)


「あの、皇帝訪問時の役割分担はどのように決めたのでしょうか」


 世間話を装って話を振ってみる。


「能力試験の結果と、素養を考えて俺が適当に決めた」

「それでは畑仕事というのも明様が?」

「おいぼれの要求に応えるつもりはなかったが、ぎらついた女どもと同じ空間にいるより、畑を耕していた方が楽だろう。不満か?」

「いえ、幸せです。ありがとうございます」


 やはり、彼なりに雨蘭のことを考えて決めてくれたようだったが――


(おいぼれって、畑を所望された皇帝のこと? この国で一番偉い人をそんな風に言うなんて、本当に態度が大きくて口が悪い……)


 実は優しくて良い人なのに、彼は第一印象で損をしている。


「あの……、お願いしたいのは私のことではなくて、同室の梅花さんのことです。彼女、他の候補者たちから嫌がらせを受けているようなのですが、どうにかできないのでしょうか」

「そのくらい、自分で解決できなくてどうする」


 何か策を考えてくれることを期待したが、明の返事は冷たい。


「でも明様、私の役割には配慮してくださったでしょう?」

「……。梅花という女もお前に嫌がらせをしていただろう? 庇う必要があるとは思えない」

「梅花さんは他の候補者のように隠れて嫌味を言ったり、こそこそ嫌がらせをしたり、手を出してくるような人ではありません。わざわざ私のために教本を取り寄せてくださる優しい方ですよ」


 厳しいことを言う時もあるが、彼女は事実を述べているだけなので、雨蘭は軽率な行動を指摘してもらえて逆にありがたいと思っている。


 梁のことになると多少癇癪を起こすが、恋する乙女というのはそういうものだろう。


「物事を良い方に解釈しすぎだ」

「そうですかね。私は梅花さんのこと、とても好きなのですが。怖そうに見えて本当は優しいところとか、明様にそっくりだと思います」

「……」


 彼はまた黙り込んでしまう。長い前髪のせいで、彼がどんな感情を抱いているのか、表情から窺い知ることができなくて困る。


 綺麗に平らげてくれた夜食の器を下げても尚、動く気配は見られない。


「今日は良く固まりますね。お疲れなら全身をほぐしましょうか?」

「不要だ」

「専門家には劣るかもしれませんが、田舎では力強くて気持ち良いと評判でしたよ。少しだけ試してみませんか」

「要らないと言っている!!」


 雨蘭が明の背後に回ると、近頃にしては珍しく、彼は声を荒げて叫んだ。


「済みません、調子に乗りました」


 身分を弁えない振る舞いだったと反省する。肩を揉もうとした手を引っ込めるが、ふと彼の耳が紅潮していることに気づく。


(私のような下民に触れられるのが、そんなに嫌だったのかな? 筆の使い方を教えてくれた時はそんな素振りはなかったけど……)


「梅花の話だが、今更担当変えをするつもりはない。あれは黄家の娘だ。教養、品格、どれをとっても他と比べて頭ひとつ抜きん出ている」

「やはり梅花さんは明様も一目置くほどすごいのですね」


 候補者たちの中には家柄による贔屓だと言う者もいたが、忖度をしそうにない明が褒めるということは、梅花自身の能力が相応に高いのだろう。


「余程のことがあれば対処するが、お前らの問題はお前らで解決しろ。俺に面倒を押し付けるな」

「明様のケチ」

「何か言ったか?」

「何でもないです」


 時折雨蘭に向ける優しさを、梅花に回してあげてほしいところだが、彼の言うことも一理ある。


 皇太子の妃になるということは、皇族の一員として王宮で暮らすことになり、行く行くは皇妃になるのだろう。

 そうなれば、たくさんの困難が待ち受けていることは雨蘭にも想像できる。


 仮初の後宮と梅花は言った。

 ここは、将来訪れるであろう試練に耐えうる人物か、確かめるための場所なのかもしれない。

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