第40話 誤解を解いて
「図々しく呼び出すとは。お前は俺を誰だと思っている?」
講堂にやって来た男は、雨蘭の顔を見るなり悪態をつく。薄っすら笑みを浮かべていることから、心底不機嫌というわけではなさそうだ。
質問に対して「皇太子様です」と返事をすると、男は雨蘭の額を小突いた。
「明様が私を避けているのは分かっているのですが、どうしても直接お話したいことがありまして……」
雨蘭とて皇太子を呼び出すのはどうかと思ったが、今日だけは特別許してほしい。
「ああ、別にお前を嫌って避けているわけではない。皇太子であることを知られた以上、個人的な接触を避けた方が良いと思っただけだ」
躊躇いがちな雨蘭を見て、彼は淡々と言う。
「本当ですか?」
「誤解をさせたか」
「しますよ! 何か怒らせるようなことをして嫌われたのかと思いました。良かった〜」
ほっとして体から力が抜ける。久しぶりの逢瀬に実は随分緊張していたと、雨蘭は今更気づいた。
そして、嫌われていなかったと知り、安堵する自分がいることにも少し驚く。
「今日はどうした」
明は愛おしいものでも見ているかのように目を細め、聞いたことのないような甘やかな声で尋ねる。
それを受け、雨蘭の無防備な心臓はどくりと跳ねた。
(この歳で心の臓を悪くしたかな。よく田舎のお年寄りが動くと胸が苦しくなるって言ってたけど、こんな感じ?)
雨蘭は様子のおかしい胸部に手を当て、ぎゅっと衣を掴んだ。
「どうしたというのは格好のことですか? いつもの通り、梅花さんが化粧をしてくださいました。服も今日は桃色の方を着てみたのですが、どうでしょう」
「悪くない」
明の手が雨蘭に向かって伸びた。
今度は小突くのではなく、毛束を手にとり、さらりと梳くように撫でていく。
(……明様は一体何をしているのだろう。最終試験に品位や身なり確認の項目があるのかな)
雨蘭はされるがまま固まっていた。どう振る舞えば良いのか困惑しているところに、さっと外の光が差し込む。
扉が開き、亜麻色の髪をした男、梁が入ってくる。彼に付き添うようにして梅花も姿を現した。
「ごめんね。邪魔をしたかな?」
「梁様! わざわざお越しくださりありがとうございます」
明は雨蘭と突然現れた梁の顔を見比べる。
「何故梁がここに? お前が呼んだのか」
「はい。そういえば、梁様たちが同席することは伝えていませんでしたね」
「例の件と伝えられたから俺はてっきり……」
雨蘭にとっては想定通りの状況だが、明は何か思い違いをしていたようだ。
「済みません、それで分かると思っていました」
彼は眉間の皺を指で伸ばすような素振りをしながら、大きな溜め息をつく。
「体はもう良いのか」
「ああ。もう心配ないよ。明も元気そうだね。髪、切ったんだ」
幼馴染は短い言葉を交わし、それから気まずい沈黙が訪れた。雨蘭は明と梁の顔色を窺いながら、本題に入るよう促す。
「あの、事件についてですが……」
「僕から話すよ。そうすべきだろう」
梁はそう言って力無く笑う。
彼は雨蘭たちの前を通り過ぎ、一段高くなっている部屋の前方に立つと、玉座と思わしき椅子に手を掛けてこちらを振り返る。
「毒茶事件の犯人は僕なんだ」
静かに控えていた梅花が、目を丸くして「え」と声を漏らす。
明の表情にも僅かな動揺が浮かんで見える。
「あの場で飲むことになってしまったのは完全に事故なのだけれど、茶葉に黄藤草を混入して廟に送るよう頼んだのは紛れもなく僕だ」
雨蘭は固唾を呑んだ。
療養場所を訪れた際は結局、梁は理由まで語らなかった。明には自分の口から説明したいということになり、今に至る。
「お前がそのようなことをするとは信じ難いが、本当なのだとしたら何故毒茶を作らせた」
「明は僕のことを善良な人間だと思っているみたいだけれど、本当はそうでもないよ」
「誰かに飲ませようとしていたのか」
「そう」
明は「誰に」かを問わなかった。代わりに自嘲気味に笑い、近くにあった椅子に座る。
「俺にか」
項垂れるようにして吐いた明の言葉に、梁は何も返さない。
(どうして梁様は何も言わないの!? このまままだと明様を毒殺しようとしていたことになってしまう)
「実はもう、皇帝には話してあるんだ。本来であれば僕は重罪人だ。このまま置いておくわけにはいかないだろう」
「……」
「出ていくよ、王宮には戻らない。もし望むなら処刑をしてくれても構わない」
梁は俯く明の横を通り過ぎ、外へ出て行こうとする。
「梅花も、巻き込んで悪かったね」
「いえ、私は……」
「待ってください!!」
雨蘭は立ち去ろうとする背中に向かって叫んだ。
「梁様は明様のことを疎んでなどいませんよね? 明様だって梁様のことを疎ましく思ったりしていない、違いますか?」
誰からも返事がない。雨蘭は畳み掛けるように話す。
「毒茶は一杯では死なない程度に調合されていたと聞きました。嫌いな相手に飲ませるにしては中途半端ではないですか? 相手は助かり、逆に自分は犯人として捕まる可能性が高い」
論理破綻していても構わない。雨蘭は梁を引き留め、明と腹を割って話して欲しかった。
その結果、毒を飲ませようとしていたことが事実で、決別するというのなら仕方ないと思う。
(でも、きっと違う。梁様はむしろ――)
「苦しめることが目的だったから、死なせる必要はなかったんだ」
梁は笑顔を絶やさない。違和感すら覚えるほど完璧に笑って言い放った。
それを見て、明はピクリと反応する。
「……梁、勝手に出ていくな。出ていくのだとしたら本当のことを話してからにしろ」
「話した通りだ」
「お前は、いつまで経っても嘘をつくのが下手だな。その薄っぺらい笑顔を見れば分かる」
明は雨蘭に視線を送り、訴えかける。
「二人きりにさせてくれ。事の顛末は後に伝える」
「勿論です」
雨蘭は梁と入れ違うようにして講堂を出た。すれ違い際、梁は小さな声で呟く。
「雨蘭、君の推測は大方正しかったよ。僕は消えたいと思っていた」
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