第42話 最終試験は確実に
梅花の特別授業は非常に厳しかった。控え目に言って、料理長よりも恐ろしかった。
(結果が出なかったら梅花さんにボコボコにされるかもしれない……)
彼女には雨蘭に良い結果を出して欲しい理由があるらしく、雨蘭の脳が限界を迎えて尚、知識を詰め込まれ続けた。
扇子を掌にぱしぱし打ち付けながら、鬼の形相で監視する梅花を思い出し、雨蘭は恐怖に震え上がる。
深夜過ぎに勉強会は解散となったが、雨蘭は夢の中でも勉強に追われ、うなされて飛び起きることになった。
「貴女、まさかその姿で行くつもり?」
朝、いつもの農民姿で髪を梳いていると、梅花の鋭い一言が飛んでくる。
彼女は今日もまた鮮やかな赤の衣を纏い、美しい顔が一層際立つ化粧をしている。
「駄目でしょうか……」
「対面問答もあるのだから、きちんとして行きなさい」
梅花の迫力に負け、雨蘭は桃饅頭のおじいちゃん――恵徳帝にいただいた紫の衣に着替える。
雨蘭自身で化粧をしてみたこともあるが、「張り切って慣れない化粧をした田舎娘にしか見えない」と梅花に笑われたので、技術を身につけるまでは彼女に頼むしかない。
「まぁ、こんなものかしらね」
「梅花さんは天才ですね」
手鏡に映る自分の顔を見て、雨蘭は感嘆の息を漏らす。
肌が綺麗に見え、目鼻立ちもはっきりし、まるで別人になったようだ。
「貴女は顔が薄いから、化粧映えするのよ」
「自分でないようで落ち着かないです。どこもおかしくないですよね?」
雨蘭が尋ねると、彼女は衣の歪んだ襟を直してくれる。
「堂々としていなさい。他の候補者たちの驚く顔が楽しみね」
◇◆◇
雨蘭は試験机の前に正座をする。硯と筆を置き、墨を擦れば準備万端だ。
柄にもなく緊張していた雨蘭だが、前回からの成長を感じられて思わず顔が緩んでしまう。
「もしかしてあれって田舎娘?」
「嘘……。化粧で化けたわね」
試験会場に集まった候補者たちは、正装をして化粧をした雨蘭を目の当たりにし、口元を袖で押さえながらひそひそ話し合っていた。
「ふん、化粧で少しましになっただけで、田舎臭さは抜けてないわよ」
「本当にねぇ。皇太子に雑用を頼まれたくらいで、調子に乗りすぎだっての」
「筆と硯を用意したところでどうせ恥をかくだけなのに」
香蓮と春鈴だけは雨蘭に聞こえるよう、わざと大きな声で会話をし、くすくす笑っている。
これから始まる試験のことでいっぱいいっぱいで、雨蘭は彼女らの嫌味を全く気にしていなかったが、ついには試験官が二人を窘めた。
雨蘭の斜め前に座る梅花が、にやりと口元を吊り上げている。どうやら彼女が告げ口をしたらしい。
一方、香蓮と春鈴を注意した試験官は、じっと雨蘭の方を見ている。
(な、何だろう……)
前回、筆を借りられるか聞きに行ってくれた男と同一人物だ。
雨蘭は自分が何かしでかしてしまったのかと焦るが、試験官は意外にも丁寧な口調で尋ねてきた。
「その筆と硯を見せてもらって良いだろうか?」
「は、はい」
試験官は墨がたっぷり入った硯をそっと持ち上げて観察する。彼の眉がぴくりと動いた。
「これをどこで手に入れた」
「とある方から頂きました。何か問題があるのでしょうか」
「旧国時代の名匠の品だ。まさか実物を目にする日が来るとは……」
(ええっ!? 明様は使ってないからって普通にくれたけど、そんなにすごいものだったの!?)
周囲の視線が痛い。
「私にくださるような物なので、きっと偽物ですよ」
雨蘭は誤魔化すが、試験官は本物に違いないと言い張った。
気まずい空気の中、試験が始まる。終わり次第、間違いなく春鈴と香蓮に呼び出されるだろう。
「そこまで。雨蘭以外は退出し、前回同様呼び出しがあるまで自室で待機すること」
試験官の合図と共に雨蘭は筆を置く。
何もできなかった前回はやたらと長く感じた試験が、一瞬で終わってしまった。
最後の問題まで到達できず、また、解答できない問いもあったが、まずまずの出来ではないかと思う。
他の候補者と比べたら圧倒的に劣るだろうが、『使用人に求められる最低限の読み書き』という水準で大目に見てもらいたい。
「雨蘭、雨蘭……欠席だったかな」
雨蘭以外の候補者たちは次々退出していく。
勝手に不在と見なされそうで、雨蘭は慌てて手を挙げた。
「ここにいます!」
「君が、雨蘭?」
「はい、そうです」
「前回筆を持たずに試験を受けた?」
「はい」
試験官の男は頭のてっぺんから爪先まで、不思議そうに雨蘭を見る。
「そうか、君があの子なのか。あまりに美しくなったから気づかなかった。今日も対面問答は君からだ。楊美について向かってくれ」
前回筆を持たずに試験を受けた田舎娘と同一人物だということに、どうやら試験官は気づいていなかったらしい。
(美しい? 私が?)
初めて言われた言葉に雨蘭は目を瞬かせる。
驚きのあまり至ったふわふわした心地から、ふっと意識が戻ると、対面問答の部屋の扉を叩いていた。
「入れ」
「失礼します」
中に入ると、明が一人で机に座っている。緊張が雨蘭を襲うよりも先に、彼が口を開く。
「聞きたいことは一つだけだ。俺と王宮に来る気はあるか?」
薄墨色の鋭い目が、雨蘭を真っ直ぐ見つめている。
「私が何より気掛かりなのは田舎の家族のことです。十分なお給金がもらえるのであれば、明様のもとで働かせてください。掃除、洗濯、肩揉み、何でもします」
事件の真相を解明したら職を与えてくれるという約束を、どうやら明は覚えていてくれたらしい。
「分かった。家族の生活は保証しよう。その代わり、どのような仕事でも文句を言うな」
「はい! ありがとうございます」
雨蘭は笑顔で首を縦に振った。
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