梅の花が咲く頃に③ (梅花視点)

「梅花さん、実家に戻ってしまうというのは本当ですか!?」


 雨蘭が絶望を露わに尋ねる。


「ええ、そうよ。貴女ももう一人でやっていけるでしょう」

「そんなぁ」


 梅花としては雨蘭と特別親しく接しているつもりはないのだが、何故か懐かれている。廟の時からそうだった。


 嫌味を嫌味と受け止めない行き過ぎた前向きさと、強引とも呼べる距離の詰め方。そして、善良な人間であることは、何より彼女の強みだ。


 皇太子に溺愛されていることもあり、多少礼儀作法がなっていなかったところで、後宮でもたくましく生きていくだろう。

 そんな雨蘭を羨ましいと思ってしまうことが、梅花は嫌で仕方ない。


 雇用元の了承を得た上で、王宮を離れることを決意した。


「いつ頃発つのでしょう」

「今日、迎えが到着次第ね」

「今日!? そんな、急すぎます!!」


 梅花にとっては急なことではない。雨蘭に伝わると面倒なので、ぎりぎりまで伏せてもらっていただけだ。


「もう決めたことなの。引き留めても無駄よ」


 折良く荷物の運び出しが始まる。


 荷車が来たということは、そろそろ門の外に梅花の迎えも来ているはずだ。

 梅花はこれ以上、雨蘭の引き留めにあいたくなく、外に出ることにした。


 暦上は春でも未だ寒さは厳しい。かじかむ手を擦り合わせ、息を吐き掛けながら半年ほど暮らした場所を仰ぎ見る。


(もうここを訪れることもないでしょうね)


 広い王宮の端から正門までの道を歩きながら、梅花が思い出すのはやはり梁のことだった。


 ここを歩いていればまた、彼に会える気がして切ない。けれど、会ったところでどうにかなるわけでもない。彼を困らせるだけだ。


 目から溢れるはずの雫が鼻を通って流れてくる。黄家の娘なのだから、こんなところで泣くわけにはいかない。


 強く、気高く、美しく。


 みっともなく、終わった恋に縋るような真似もするものか。


「梅花」


 幻聴、幻覚だと思った。


「会えて良かった」


 亜麻色の髪をした美しい男は、そう言って蕩けるように笑う。けれど鼻の頭は真っ赤で、体も小刻みに震えているように見える。


「梁様……ずっと、ここにいらっしゃったのですか?」

「僕は後宮には入れないから、ここで待つのが一番良いと思って」


 どうやら梁は長い時間、門の前で待ってくれていたらしい。


「どうして」

「明から今日発つと聞いて。って、そういうことではないよね」


 彼は眉尻を垂らし、申し訳なさそうにする。

 

 期待をしてしまいそうになるから、思わせぶりはよしてほしいと梅花は思う。


「実は君のお父上から、婿養子として黄家に入らないかという誘いを頂いていたんだ。僕は事実上、孤児で後ろ盾となる家がないから」


 寒いのに、梅花の体は急に熱を持つ。

 梁はゆっくりと話を続けた。


「君がもし良ければ、いずれという形で話を受けようと思う」


 梅花の口から「え?」という言葉が漏れる。


「梁様は、私のことを好きでも何でもないのでしょう? 同情なら不要です」


 素直に受け止められず、声を震わせながら尋ねる。父親が彼に話を持ちかけていたなんて、梅花は知らなかった。


「同情のつもりはないよ」

「茶室で私が好きだと言った時、拒絶したではないですか」

「それは……、僕なんかを好きでいてくれて申し訳ないという気持ちから出た言葉だ」

「結婚はまだ考えられないのでは?」

「それも、僕はまだ家族を持つに相応しい人間ではないと思っていたから……」


 梁の声は段々小さく、歯切れが悪くなっていく。


「梁様は悪い方に考えすぎです」


 外見も、中身も、誰もが羨むほど素敵で素晴らしい人なのに、何故こうも後ろ向きな考えに至るのだろう。

 そこが良いところでもあるのだが、梅花はいつも不思議だった。


「梅花は明のことが好きだと思っていたんだ」

「とんだ誤解です。私はずっと、貴方のことが――」

「うん。ずっと僕を好きでいてくれたと聞いて申し訳ないと同時に、嬉しかった。事件の真相を知って尚、傍に居てくれてありがとう」


 不意に抱き締められ、梅花は瞬きを繰り返した後に鼻を啜る。

 華奢な人だと思っていたが、骨ばった体つきはやはり男性のものだ。


「当然です。私はここで出会った時、可愛げのない態度をとったのに優しくしてくださって嬉しかった」

「あの時は、一生懸命で可愛い子だなと思ったよ」

「そう、ですか」


 門の外が少々騒がしい。どうやら梅花の迎えが着いたようだ。


 名残惜しいが、寒空の下いつまでもこうしているわけにはいかない。梅花は「帰らなくては」と言い、体を離す。


「君に相応しい人間になれるよう頑張るから、もう少しだけ待ってほしい」

「私が老婆になる前に決めてくださいね」

「そんなには待たせないと思う」


 二人は顔を見合わせて笑う。


 これまでの人生で一番幸せな時間だと梅花は思った。心が温かい。これまでの虚勢や負の感情が解けて消えていく。


(約束をもらった。それだけでもう十分)


 それに、彼はきっと約束を違えるような人間ではない。


「梅花さん!! 待って!! 行かないでください!! あれ、梁様?」


 雨蘭が鼻水を垂らしながら駆けてきた。


「早く戻らないと騒ぎになるわよ。また顔を出すから安心なさい」


 雨蘭のことだ。許可も取らず、女官のふりをして抜け出してきたのだろう。

 困った子だと梅花は笑い、迎えの車に乗り込む。


 道中ふと簾を上げて外を見る。厳しい寒さの中、梅の花が咲いていた。




番外編 梅の花が咲く頃に〈了〉

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