梅の花が咲く頃に② (梅花視点)

「そんなことがあったのですね」


 元田舎娘は目を見開き、大袈裟に驚いたふりをする。


「これで満足?」

「はい。ありがとうございます」


 雨蘭は暇を持て余しているのか、「梁様との出会いについて聞かせてほしいです!」と事あるごとにうるさかった。これでしばらくは大人しくなるはずだ。


「雨蘭様〜!! 明啓様がお見えです!!」


 息を切らした使用人が部屋に飛び込んでくる。雨蘭はちらりと梅花の顔色を窺った。


 話をしながらお茶菓子を食べようと誘ってきたのは彼女の方なので、途中で退席することを申し訳なく感じているのだろう。


「行ってらっしゃいな」


 梅花は一人でいる方が気楽だと言って、雨蘭を部屋から追い出す。

 

「明啓様の寵愛っぷりはすごいですね」

「そうねぇ」


 雨蘭つきの若き使用人は、皇太子と雨蘭の関係に憧れを抱いているようだ。冷めた目で見ている梅花とは顔つきが違う。


(はぁ……、私はここで一体何をしているのだろう)


 梅花が翡翠宮へ来たのは、家にいるよりは梁と会える機会が多いだろうと思ったからだ。そして、好きでもない男の元へ嫁がされないようにするためでもある。


 後者の方は上手くいっていると言えるが、梁との仲に進展はない。会える機会すら稀だ。


「あっ! 梅花様宛に明啓様から伝言です。茶室と言えば分かるとのことでしたが、思い当たることはありますか?」


 梅花の憂鬱がその一言で吹き飛ぶ。皇太子に場所を指定されるということは、そこに梁がいるということだ。


 およそひと月ぶりの逢瀬を逃してなるものか。梅花は後宮と呼ばれる敷地を抜けて、急いで茶室へと向かった。


 王宮内の地図はしっかり頭に入っている。もう昔のように迷うことはない。


「開かない……」


 梅花は茶室の前で途方に暮れていた。扉を叩いても中からの反応はなく、力いっぱい引いてもびくともしない。


(梁様がここにいるというのは、誤った情報だったかしら。それとも私が遅かった?)


「開けるのにコツがいるんだよ。いい加減、修繕しないといけないね」


 背後から、低くも高くもない甘やかな声がする。誰なのかは振り返らなくとも分かる。


「梁様」

「また明に僕を監視するよう言われた? 断っても良いんだよ」


 彼は優しく梅花に笑いかける。けれど、その顔はどことなく儚くて、この世の何にも関心がないようにも見える。


 毒茶事件のことがあったからかもしれない。あれ以来、彼がそのうちふっといなくなってしまうのではないかと梅花は怖かった。


「頼まれているのではなく、私の意思です」

「そっか」


 彼は器用に引き戸を開けた。必要なのは力ではなく、少しのコツだったようだ。


「こちらへは何しに?」

「ここを管理してくれている子が急遽帰省することになって、僕が戸締り諸々を申し出たんだ」


 茶室の管理は梁の管轄にあるらしい。


 だからといって梁自ら雑務を代行する必要はない。部下に任せておけば良いのだが、彼には色々思うところがあるのだろう。


 さっさと戸締りをしてしまえば良いものを、彼は自ら茶を淹れてくれる。


「冬なのに水出しでごめんね。火の元は流石に消していったみたい」

「いえ」


 確かに味が薄く、美味しいとは言えなかったが、彼と過ごせるのであれば何だっていい。

 火がついていた頃の名残なのか、建物の中は外に比べて温かく、寒さは大して気にならなかった。

 

 庭園が見える縁側に座り、二人はぽつぽつと世間話などをする。


「皇帝はお元気ですか?」

「うん、元気だね。最近は早く譲位を済ませたい。ひ孫の顔を見たいとうるさいよ」

「……梁様はご結婚されないのでしょうか」


 思い切って踏み込んでみた。唐突すぎただろうか。平静を装いながらも、梅花の心臓は早鐘を打つ。


「今はまだ考えられないかな」

「そうですか」


 したいけれど相手がいない、という返事を期待していた梅花はがっかりする。


(他の誰かと結ばれる予定があると聞かされるよりはましですわ)


「梅花は? 皇太子という肩書はなくとも、良い人ならたくさんいるよ」


 梁のその言葉を聞いて、梅花は違和感を覚える。


 梅花が梁に好意を抱いていることはあからさまなので、本人に気づかれていてもおかしくないと思っていた。

 しかし、今の話の流れからすると、皇太子のことが好きだと勘違いをされているようだ。


「私が好きなのは明啓様でなく、貴方です」

「え?」

「王宮で初めて出会った時から、ずっとお慕いしております」


 思わず口にしてしまった。訂正のつもりだったが、これではただの告白だ。


「……ごめん」


 梅花が動揺するよりも先に、梁が一言で話を終わらせる。話どころか、梅花は人生が終わった心地だった。


「いえ、お気になさらないでください。私が一方的に想っているだけですので」


 渇き切った喉から、どうにか言葉を絞り出す。白い吐息が宙に浮いて消えていく。


 そこからどのように過ごし、どのように翡翠宮に戻ってきたのか、梅花は覚えていない。

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