はじめまして/生きる意味(梁視点)
痛い。悲しい。お腹が空いた。
戦が続くうちに、いつしかそんな感情すら失っていた。
遅かれ早かれどうせ死ぬ。それなら何のために生きているのだろう。
そんなことを考えもしたが、そのうち思考することもなくなった。
ただ運よく一日を生き延びる。それを繰り返すだけの日々――。
「お前が初めての臣下だ。これからは俺に尽くして、俺のために生きろ」
薄墨色の目をした子どもは胸を張り、偉そうに言った。
瞬間、薄暗くぼんやりとした景色にさっと光が降り注ぐ。急に色づいた景色に梁は目を見開いた。
「こら、明啓! 驕り高ぶるなといつも言っているだろう。一体どこでそんな言葉を覚えてくるんだ……」
「はぁ? なめられないようにしろって言ってるのもじじいだろ!?」
「それはしっかり勉強をし、教養を身につけろという意味だ」
お爺さんとその孫はしばらく言い合いを続けるが、老人はこの国の主であり、子どもの方はいずれ後を継ぐ人物である。
本来ならどこの馬の骨とも分からぬ戦孤児である梁が接して良い人間ではないのだ。
「お前、名前は?」
自分と同じ背丈ほどの子どもは自信に満ちた顔で尋ねる。
「梁」
「それだけか?」
「うん」
「俺のことは明様と呼べばいい。――痛っ!」
陛下は持っていた扇子で孫の頭を叩いた。骨組が容赦なく振り下ろされたので、それなりに痛いだろう。
「孫がすまないね。この子とは友人――いや兄弟のように接してやってほしい。名前も明と呼べば良い」
梁は「気になさらないでください」と言って微笑んだ。
自然と表情筋が動くのを感じて、自分のことなのに少し驚く。
(ああ、自分は生きる目的を与えてもらえて嬉しかったんだ)
しばらくここで暮らすようにと預けられた茶室では、梁が何の感情も持たないせいで世話役の女性を困らせているようだった。
感情は、どうやら忘れていただけで完全に失ってしまったわけではないらしい。
「明啓、この子はこの歳でもう三か国語を話すぞ。戦場で生き抜く術も、計算の仕方も知っている」
「うるさいな」
「孫は友達が一人もいないんだ。仲良くしてやってくれ」
「余計なお世話だじじい!」
握手をするよう促された子どもは少し不服そうな顔をしながらも、梁に向かって手を差し出す。
梁は自分の汚い手で握って良いものか一瞬躊躇ったが、彼の手をとり素直な気持ちを言葉にした。
「明、よろしくね。君が望むなら僕は生涯仕えるよ」
◇◆◇
「雨蘭にも一生俺についてこい! とか言ったの?」
地方から上がってきた稟議書に目を通す幼馴染に向かって、からかい半分で梁は言う。
明はぴくりと眉を動かした。
「何の話だ」
「僕が初めて明と会った時、そんな感じだったから」
少しからかいすぎたかもしれない。明は筆を置き、どんと机を叩いてこちらを睨む。
「子どもの頃のことは思い出すな。あれは黒歴史だ」
「残念ながら一言一句覚えているよ。覚えることは簡単でも忘れることは難しいんだ」
「そうだとしても忘れろ。二度と話題に出すな」
「はいはい」
梁は苦笑し、自分の仕事に戻る。ふた月後に控えた園遊会の準備に追われていた。
奉汪国とは一触即発の関係にある北方の国の使者も訪れるので、粗相のないよう細心の注意を払わなければならない。
(君は忘れろって言うけど、僕はあの言葉が嬉しかったんだよ、明)
何もない自分に、生きる意味を与えてくれた言葉だったのだから。
はじめまして/生きる意味〈了〉
書籍版寄りのお話でした。書籍ではかなり早い段階で明=皇太子であることが読者には明かされ、明視点での梁とのやりとりも出てきます。(もちろん雨蘭とのやりとりも!)
いよいよ明日が書籍の正式な発売日です。
書籍の番外編には『梅の花が咲く頃に』を入れたい気持ちもあったのですが、一度web版を読んだ方でも楽しんでいただけるよう、梁視点で黄家への婿養子入りを打診されるあたりを書き下ろしています。
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