第4話 胃袋から掴む作戦

「梅花さん、おはようございます!」


 雨蘭は明るく朝の挨拶をする。言いつけを守って彼女の陣地には入らないようにした分、声を張り上げた。


「なに? 何なの? 貴女今何時だと思ってるの? まだ外、暗いじゃない」


 梅花は暗闇の中蠢き、寝ぼけた声で返事をする。まだ鳥も寝ているような早朝なので、当然の反応だ。怒らせることになると想像はついたが、抜け駆けをしたと後から恨まれるのも嫌なので、念のために声をかけた。


「朝食作りの手伝いに行こうと思って。梅花さんもどうですか?」

「はぁ……? そういうのは使用人の仕事でしょう」

「そうかもしれませんが、私たちの人数に対して使用人の割合が少ないと思うんです。自主的に手伝ったら高評価を得られそうじゃないですか?」

「そう思うのなら一人で行ってきなさいよ。私は行かないから」


 梅花は体を起こす素振りすら見せず、寝返りを打って静かになった。どうやら彼女は朝が苦手なようだ。

 日が昇る前に起き、日が暮れて真っ暗になったらすぐに寝る生活をしていた雨蘭とは生活時間帯が異なるのだろう。


「分かりました、おやすみなさい。また何か思いついた時は声をかけますね」


 足音を立てないように細心の注意を払って部屋を出る。個室が並ぶ廊下は静まり返っており、まだ誰も活動を開始していないようだ。


(ええっと、台所はたぶん宿舎と反対の方向にあるはず)


 昨晩は梁の挨拶の後、ささやかな歓迎会と称してその場に豪華な食事が運び込まれた。


 皇帝が訪れることは流石になかったが、梁と明も同じ机を囲んでの晩餐会となり、雨蘭は緊張のあまり食事の味を覚えていない。


 覚えているのは女性たちが皆、梁と話す機会を虎視眈々と狙っていたことと、皿を持って忙しなく行ったり来たりを繰り返す使用人のことだけだ。

 

 建立されたばかりなので、集まった候補者に対して人手が足りていないのだろう。

 そもそも廟とは死者を祀る場所であり、生者への食事を提供することは主目的ではないのだ。人員を割いてもらえないに違いないと雨蘭は推測した。


「失礼します~」


 調理場と思わしき建物を見つけ、中に入るがまだ真っ暗で人気はない。張り切りすぎて料理人よりも先に来てしまったらしい。勝手に調理具や食材を触るのは躊躇われたので、雨蘭は外の草むしりをして待つことにした。


「そこで何をしている」


 機嫌の悪い声が頭の上から降ってくる。草むしりに夢中で、人の気配に気づかなかった。雨蘭は急いで立ち上がり、料理人と思わしき気難しそうな初老の男に頭を下げる。


「私、昨日から勤めることになった雨蘭と申します。朝早く目が覚めたので、何かお手伝いできることがあればと思って来たのですが、何をすれば良いか分からなかったのでとりあえず草むしりをしていました」

「手伝いが増える話なんて聞いていないが、まぁいいか。早速だが、あそこに置いてある芋を全部剥いてくれ。使えないようだったら即刻出て行ってもらう」

「お任せください!」


 雨蘭は腕まくりをする。土に汚れた手を水で入念に洗い、籠に山盛り積まれた芋もついでに洗い、皮むきに取り掛かる。幼少期から目の見えない母を手伝い、家の畑でとれた野菜の調理をしてきたので野菜の処理なら大得意だ。


「剥き終わりました」


 剥き終わった芋を持っていくと、男はまた険しい顔をした。何か失敗しただろうかと雨蘭は不安に思うが、剥きあがった芋をいくつか見て男は唸る。


「完璧だ。見たことない顔だが、王宮の台所で働いた経験があるのか?」

「いえ、外で働くのはこれが初めてです」

「下手な料理人見習いより巧みだ」


(良かった、お役に立てそう!)


 賞賛の言葉を聞き、雨蘭はほっと肩を撫でおろす。次は何をすれば良いかを聞こうとしたところ、小太りの若い女性が小走りに入ってきた。


「お……、おはようございます」

「遅い!!」

「済みません、寝坊をしてしまって」

「ここの主人は優しいが、普通は給仕が遅れましたで済まないんだ。いい加減なことをするならさっさと辞めて出ていけ」


(ひぇ……厳しい世界! 私も気をつけなくちゃ)


 雨蘭は自分が怒られている気分になり、びくりと体を震わせる。先ほどは運良く褒められたが、気を引き締めなければならない。


 緊張した空気が漂う中、官服を纏った黒髪の男が現れる。


「ああ、明様、おはようございます。給仕が遅かったでしょうか。大変申し訳ありません。今から運ばせます」

「今日は外出で昼が遅くなるので、いつもより朝食を多めに出すよう伝えるのを忘れていた」

「承知しました。少しだけお時間をください」


 突然現れた明の要求に応えなければならなくなった料理人は、女官に盛り付けの指示をとばして作業に入る。簡単な卵料理を作るらしい。


 雨蘭は一品の量を増やせば良いのに、と思ってしまうが、家庭料理とは違うのだ。盛り付けにもこだわって、美しく華やかでなければならない。


「料理長さん、私も何か一品作りましょうか?」

「今日来たばかりの人間には任せられん。剥いた芋を短冊切りにしてくれ」

「分かりました」


 先ほどまで皮を剥いていた包丁を軽く洗い、手際良く芋を刻み始めた。朝から真っ黒な格好をした男は雨蘭の存在に気づいたらしく、わざわざ作業場の傍までやって来る。


「お前、こんなところで何をしている」

 

 咎めるような声音だった。

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