第12話 落ちこぼれの奮起

「はぁ……」


 ため息をつきながらも、箒を動かす速度は緩めない。


(三ヶ月が終わるまでに読み書きできるようになると宣言してしまったけど、そもそも勉強ってどうやってするものなんだろう)


 優しい梁の恩情により、筆記試験を無回答ながらも追放を免れた雨蘭だが、問題を先送りにしただけだ。二ヶ月と少し後の試験では、きっちり成果を求められるだろう。


「あの田舎娘、まだいるのね。何のための能力確認試験だったのでしょう」

「清掃要員なのでは? 燕様だけでここの管理をするのは大変でしょうから」


 今日の当番である女性たちの話し声が聞こえてくる。埃叩きを持ったまま暇そうに立っていたので、雨蘭は名前も知らない彼女らに話しかけた。


「あの、勉強とはどのようにするものなのでしょうか?」


 突然話しかけられた二人は大きく目を見開き、何事かと互いに顔を見合わせる。しばらくした後、驚きは笑いに変わったようだ。


「ふふふ……貴女、本気で言ってるの?」

「筆も持っていないような下民が今更勉強? どうせ身にならないから、やめておいた方がいいと思うわ」

「私は本気です! 三ヶ月が終わるまでに読み書きができないと、ここを追い出されてしまうんです」


 最初は口元を隠しながら嘲笑していた彼女らだが、何が面白いのか腹を抱えて笑い始める。


「いい方法を思いついた」

「何ですか?」


 雨蘭は顔を輝かせて尋ねるが、彼女たちの返答は期待外れだった。


「生まれるところからやり直せば良いのよ」

「あはは! そうね、それしかないかもしれない」


 結局、有益な情報が得られないまま掃除を終え、部屋に戻る。


 朝夕の食事の手伝いと、廟の掃除をしている雨蘭の自由時間は夕方の仕込みが始まるまでと、夕食の片付けが済んでからと限られている。


 時間を有効に使って勉学に励まねばならないのに、どのように勉強するかを考えただけで消耗しきってしまっていた。


「酷い顔。追い出されることが決まりでもしたの?」


 無理に頭を使ったことで、顔までおかしくなっていたのだろう。雨蘭の存在を十分の九の確率で無視する梅花が、自ら声をかけてきた。


「いえ、まだです」

「あら残念」

「読み書きをできるようになりたいのですが、どうやって勉強したら良いのか分かりません」


 悔しくて唇をぎゅっと噛み締める。食べ物が底を尽きたり、父親が亡くなったり、これまでの人生にも辛いことはたくさんあったが、自分の力不足に悔しさを感じるのは初めてだ。


「日頃から鬱陶しい女だけど、泣かれるともっと面倒だからやめて頂戴」

「……はい」


 涙が溢れないよう、雨蘭は天井を向いた。


「ふん。特別、貴女のような大きな赤ん坊向けの書物を用意してやったわよ」

「え」

「貴女の寝台の上」


 指示された場所を見ると、古い書物がたくさん積まれている。


「実家に確認したら、私が二、三歳の頃に使っていた教本が残っているというから送ってもらったの。屈辱的でしょう」

「梅花さん……ありがとうございます……!! 持つべきものは友と言いますもんね」

「友人になった覚えはないわ。訂正して」


 喜びのあまり抱きつこうとすると、未だ等分されていない境界線を越えるなと怒られる。


 この書物を置いた時に梅花も線を越えたのではないか、と素朴な疑問を投げかけると、理不尽にも更に怒られた。雨蘭に適用される規則が、梅花には適用されないらしい。


「でもどうして、わざわざ私のために本を?」

「貴女に嫌がらせをするために決まってるじゃない」

「嫌がらせなら、他にも簡単にする方法がありますよね」


(はっ、また口ごたえをしてしまった)


 怒られると身構える雨蘭だったが、梅花は扇で顔を隠すようにしてぽそりと呟く。


「……先日の面接で梁様に褒められたのよ。出自の異なる人間とも上手くやれているって」

「わぁ、流石梅花さん」

「勘違いしないで! 不本意だけれど、梁様は貴女のことを気に入っているようだから、利用することにしたの!」


 無邪気に拍手をすると、梅花はまた怒鳴りつけた。彼女の癇癪にすっかり慣れた雨蘭は、怖いとも悲しいとも感じない。むしろ、照れを必死に隠していて可愛いとさえ思う。


 好きな人に気に入られようと、誇りを捨ててまで雨蘭に歩み寄ろうとするところにも好感が持てる。


(他の皆さんも梁様狙いのようだけど、誰よりも梅花さんと上手く行ってほしいな)


「梁様は女として私を気に入っているのではなく、使用人兼、明様をやる気にさせる係として期待してくださっているのだと思います」


 雨蘭は憤る彼女を宥める言葉を考える。


「そうよね。そう思わないとやってられない。私がこんなちんちくりんに負けるはずがないじゃないの」

「その意気です! それに、梁様は梅花さんのことをこの世のものとは思えないくらい美人と仰っていましたよ」

「なっ、それは本当なの!?」

「はい」


 一瞬で梅花の顔が赤く染まった。急に大人しくなり、扇で顔を隠してしまう。


(あれ。私がそう言ったのを肯定しただけだった気がするけど、梁様も美人って思ってるってことだよね)


 細かいことは考えないことにした。

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