第五章 皇帝訪問と驚きの事実
第33話 忘れ去られた前菜
(もし、万が一、明様が本物の皇太子だとしたら……梁様は明様を疎ましく思って毒を飲まそうとしていた?)
雨蘭にとっては打ち消したい考えだが、梁が皇太子でないとしたら、実は明の方が本物、という可能性は大いにある。
むしろそう仮定した場合、明の尊大な態度や、模擬演習でお茶に口をつけた順番の謎は解ける。
皇太子の容姿など、余程近しい人間でない限り拝むことはないだろう。
廟で一番の権威を持っており、かつ優れた容姿の梁を、候補者たちが勝手に皇太子だと思い込んでしまってもおかしくない。
「今、他所ごとを考えているだろう」
「済みません!」
野太い声に雨蘭の肩が跳ね上がる。料理長の声を聞いた瞬間に謝る癖がついてしまった。
考え事をしながらでも手はきちんと動いていたようで、目の前にはやけに豪華な野菜の飾り切りが誕生している。
(私ったら、朝からこんなものを出してどうするつもりだったの……)
失敗を繰り返す自分に対し、雨蘭はがくりと項垂れる。
「まさか皇帝訪問の日程のことを忘れてはいないだろうな」
料理長の問いに雨蘭は頷く。
「はい、覚えています。もう翌週ですね」
日が近づき、他の候補者たちは毎日演習や準備で忙しそうにしている。
梁がいなくなってしまったことにより、彼女らのやる気は著しく低下すると思いきや、今度は明に言い寄ろうと必死なようだ。
畑の準備なら順調だ。芋以外の作物も苗を調達し、もう少しすればたくさんの夏野菜が収穫できるだろう。
「前菜はどうなった」
「前菜……?」
何のことだか、一瞬合点がいかなかった。
忘れ去っていた大切なことを思い出し、雨蘭は血の気が引いていくのを感じた。
「やはり忘れていたか。お前が正規の見習いならとっくに破門している」
料理長は最早怒る気も起きないらしい。呆れた目で見下ろされた雨蘭は、心の中で絶叫する。
(うわああぁぁぁぁ!! 皇帝にお出しする前菜!! 梁様の件があって、試食会が延期になってしまったから忘れてた!!)
「今すぐ相応しい前菜を作ってみろ。出来ないのなら、お前には任せられない」
「分かりました。作ってみせます」
こうなったのも全て忘れていた自分が悪い。
無謀かもしれないが、挑戦しないで諦めるのは雨蘭の生き方に反する。
雨蘭は調理台に真剣な顔で向き合った。
以前、梅花からいくつか役立ちそうな料理を教えてもらったが、馴染みのない手の込んだ料理を今この場で再現することは不可能だ。
(私が自信を持って作れる料理となると、毎朝担当している簡単な食事と、故郷の田舎料理くらい。どうする?)
追い込まれた雨蘭に、萌夏がちらちら視線を送ってくる。心配してくれているのだろう。
王宮の台所で働いた経験を持つ彼女は言っていた。料理長の品ですら皇帝はなかなか召し上がってくれない、と。
(ああ、そうか。もしかしたら!!)
誤った解釈をしたかもしれないが、少なくともそう判断した根拠はある。根拠があれば説得ができる。
雨蘭は自分を信じて調理に取り掛かる。
「出来たか」
「はい」
料理長と雨蘭、対峙する二人の間に重苦しい空気が流れた。
「思ったより早かったな」
「手の込んだものが最善とは限りません」
雨蘭は出来立ての品を料理長の前に置く。
「芋のスープか。簡素な品だな」
蒸した芋を潰し、牛の乳や雨蘭が習得した基本のスープを混ぜ合わせて作ったものである。
使う食材に差はあれど、彼の言う通り田舎でも作られる簡単な料理だ。
男が匙で掬い、口に含むのを見守る。
「味は悪くないが、これは庶民向けだ」
「宮廷料理を生業とする方はそう感じるかもしれませんが、私は皇帝のことを考え、この品を作りました」
模擬演習時、お茶の説明をしてみせた梅花の真似をする。
「皇帝はご高齢、かつ季節は夏です。前菜は少なめで、喉を通りやすい方が良いと思います」
「それは一理あるな。だが、あまりにも簡素だ」
「燕様から皇帝の話を聞きましたが、引退して畑をしたがるようなお方です。庶民向けのお料理も、きっと気に入ってくださるはずです」
料理長の作る品は、見た目が美しく、凝っていて、味のしっかりしたものが多い。
高貴な方が好む伝統的な食事なのだろうが、雨蘭のような庶民には重すぎる。
もしかしたら庶民派の皇帝も、たまには質素な料理を食べたいのではないだろうか。
「……」
「あのー、朱様?」
無言でスープを見つめる料理長に恐る恐る声を掛ける。
「少し時間をくれ」
そう言うと、彼は調理場から出て行ってしまう。
朝食の準備は終わっているので問題ないが、雨蘭は答えをもらえないまま取り残されてしまった。
「萌先輩、これはどういう状況でしょう?」
「ウチも初めて見る……アンタ理屈が的確だったから葛藤してるとか?」
料理長に詳しい大先輩に解説を求めるが、彼女にも分からないようだ。
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