第四章 真相には未だ届かず

第25話 幸い命に別状なし

 大変なことになった。


 梁が毒を盛られた件で、平和だった廟内は大騒ぎとなっている。


 早くに応急処置を行ったこと、毒が致死量でなかったことから、幸い梁は一命をとりとめたと聞いた。


 しかし、未来の皇帝が危うく命を落とすところだったのだ。

 皇帝軍の人間が廟にたくさん乗り込んできて、更なる被害が出ないよう警戒しながら、事件の経緯を調査しているらしい。


 梁を助けた雨蘭も、他の者同様に事情聴取を受けた。


「お前はあの場でやけに冷静だったようだが、事件が起こることを知っていたのではあるまいか」


 退路のない密室で、事情聴取を担当する強面の武人に睨まれた。熊のような見た目の男だ。

 普通の女性ならこれだけで怯んでしまうのだろうが、猪とだって闘ったことのある雨蘭は負けじと反論する。


「まさか。事件を予測していたら何が何でも阻止しました。それに、私が犯人だとしたら、毒を飲ませた相手を助けるのはおかしくないでしょうか」

「恩を着せ、取り入ろうとしていた可能性もある」

「そんな汚い真似、絶対にしませんし、思いつきすらしないです!」


 武人との間に火花が散る。

 しばらく言い合いが続いた後、同席していた明が見兼ねて口を挟んだ。


「そいつには事件を画策する脳もなければ、実行する能力もない。見ればわかるだろう」

「……それもそうだな」


 男は雨蘭の貧しい姿を眺めて頷く。明の一言で、疑うことしかしなかった武人は妙に納得をしてしまう。

 

(明様、それは私を助けるための言葉だと信じています)


 礼を言ったら、本当のことを言ったまでだと言われそうだが。


「茶葉について、私の知っていることはお話しした通りです。梅花さんや使用人の話と一致するでしょうし、春鈴さんと香蓮さんが捨てた茶葉は調べれば痕跡が見つかるでしょう」

「そこの調べは大方ついている」

「それなら、梅花さんは無罪放免ですよね?」

「お前に話せることは何もない」


 髭もじゃ武人は冷たく切り捨てた。


 梅花は事件の後、実行犯としてどこかへ連行されたまま戻ってきていない。

 お茶を注いだのは確かに梅花だが、それだけで彼女を犯人扱いするのは軽率だと思う。


「明様……」


 雨蘭は明に訴えかける。


「それ程あの女が大事か」

「親友ですから」

「向こうはそう思っていないようだが」

「それでも、私にとっては大切な友人です」


 友人と言い張る雨蘭に折れた彼は、深い溜め息をついた。


「安心しろ。どうにかする」


 こうして雨蘭は圧迫問答から短時間で解放された。

 一方、事件から数日経つが梅花は未だに姿を見せない。春鈴と香蓮は廟に留まっているというのに、おかしな話だ。


 今は明の「どうにかする」という言葉を信じて、彼女の帰りを待つことしかできない。


 本当に大変なことになってしまった。


(梁様との約束は……なかったも同然だよね)


 この事件により、使用人として雇ってもらえる可能性が潰えてしまった。

 雨蘭はいつも通り廟の掃除をしながらがっくり項垂れる。


 梁の容体や梅花のことの他、とりわけ気になっているのは自分の就職先についてだった。


「おい」


 素っ気ない声に振り向くと、見知らぬ男が立っている。事件調査のため、王宮から来た人間だろうと雨蘭は思った。


「は、はい。何か御用でしょうか」

「御用でしょうか、じゃない。何故まだここにいるんだ。講堂に集まれと伝えてあっただろう」

「えっ、あっ! ぼーっとしてました」


 太陽の位置からして、掃除を開始してから随分時間が経っていたようだ。

 今朝、楊美がわざわざ調理場まで伝えに来てくれたのにも拘わらず、雨蘭はすっかり忘れていた。


「全く、お前というやつは……」


(えっ、あれ……、この声って……)


 よく知る声が、見たことのない男から発せられている。


 さっぱり整えられた黒髪に、少し勝気な薄墨色の目。男らしい端正な顔。どこかで聞いたことのある風貌だが、思い出せない。


「どうせそんなことだろうと立ち寄った俺に、礼を言うんだな」


 黒の官服を着た男は、親しげな口調で話しかけてくる。まるで以前から知り合いであるかのように。


「あの、失礼ですが、どちら様ですか?」

「本気で言ってるのか」

「声が明様に限りなく近いとは思うのですが、その、お顔が……」


 雨蘭は口ごもる。もっと冴えないお顔を想像していましたとは、流石に言えなかった。


「これまでは、女に騒がれるのが面倒で隠していただけだ」


 短くなり、左右に分けられた前髪を摘んで彼は言う。


(うわ〜! 本当に明様なんだ)


 髪が整えられたことにより、陰鬱な雰囲気がすっかり消え、今や高慢な態度も様になる若手美形官僚だ。


「なるほど、確かにそのお顔だと騒がれそうですね。でもどうして急に顔出しを?」


 梁不在の今、顔を出したら確実に飢えた女性たちの標的になるだろう。


「さぁな。何となく気が向いた」

「お顔を出していた方が素敵です」

「惚れたか?」

「いえ、全く」


 雨蘭が即答すると、明は一瞬複雑な顔をしたが、すぐに「お前はそういう奴だよな」と目を細めて笑った。

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