【2巻10/25発売】皇帝廟の花嫁探し〜仮初後宮に迷い込んだ田舎娘は大人しく使用人を目指します〜【コミカライズ】

藤乃 早雪

プロローグ

人生は桃饅頭ほど甘くない!?

「ごめんねぇ、ウチは女の子を雇う気はないのよ」

「私、ずっと畑の手伝いをしていて力もありますし、健康です! 男の人に負けないくらい働きますからどうかお願いします!」

「そんなに働きたいのなら、お嫁に行くまでの間どこかのお家のお手伝いでもしたら? それじゃ、仕事探し頑張ってね」


 大きな酒屋のおかみさんはそう言い残し、酒蔵に引っ込んでしまう。


「ああ……また駄目だった……」


 何軒回っただろう。とっくに手足の指では足りないほどお願いをして、全て断られている。都に出ればいくらでも良い仕事が見つかると思ったが、甘い考えだった。


(まさかこれほどまでに仕事が見つからないとは。嫁に行くのが女の仕事、というのが都の常識なのね)


 女中としてなら雇ってくれるところもあったが、どこも家事見習いの扱いで、雀の涙ほどのお給金しか出してくれない。


 嫁入り前の修行をしたい、少しでも家計の足しにしたいというのならそれでも良いかもしれないが、雨蘭ユーランの場合は事情が異なる。


(このままだと兄さんに薬を買うどころか、食べていくことすらできない)


 父親が急逝し、ついには兄まで病に倒れてしまった。残っているのは目の見えない母親と、今年十八になる雨蘭、齢十にも満たない幼い弟妹だけである。


 母は家のことならなんとかこなせるが、外に出て働くのは難しい。雨蘭だけでこれまで通り畑を続けていくのは不可能なので、何か他の仕事で家族を養えるだけ稼ぐ必要があるのだ。


 早朝、郊外にある家を出た時の元気はどこへやら。雨蘭は地面を見ながらトボトボ歩く。どうしようとしばらく悩んでも答えは出ず、考えることを止めた。


(元気が取り柄なんだから弱気になっちゃ駄目よ、雨蘭! 地面に仕事が落ちてるわけないんだから、前を向かなくちゃ!)


 バッと顔を上げると、視界に大きな塊が飛び込んできた。人だ。白髪の老人が、地面に手と膝をついて座っている。


(わっ! 仕事は落ちてないけど、人が落ちてた!?)


 雨蘭は何の躊躇いもなく老人の傍に屈んで声をかける。周りに人はたくさんいるのに、どうして誰も気にかけないのか。理解できない。


「おじいちゃん、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫。ありがとう。少し走ったら足が動かなくなってしまった。歳をとったものだな」


 老人はハキハキ答えた。意識と言葉ははっきりしており、見た限り怪我をしている様子もない。雨蘭は一安心して事情を聞くことにする。


「走らなければならない急ぎの用事があるのですか?」

「周囲が外に出るなとうるさいから、抜け出してきたのだ。心だけはまだまだ若いのでね」

「良ければ私、目的の場所までおじいちゃんを背負って連れて行きますよ。それが終わったらお家まで送ります」


 雨蘭の祖父は晩年、ふらふら何処かに出かけて迷子になるということがあったので、同じような状況だろう。


 家の人は心配しているに違いない。しばらく付き合ってあげて、満足したところで家まで送り届けようと考えた。


◇◆◇


「わー! 綺麗ですね!」


 老人に案内された場所は、なんてことない小さな飲食屋台が立ち並ぶ通りの一角だった。


 この場所が特別だとしたら、饅頭屋の隣に立派な桃の木が立っていることだろう。繁華街において異様な雰囲気を放つその木は、丁度満開の花をつけていた。


 桃の国と呼ばれるだけあって、都にも桃の木が植えられているようだ。


「昔よく抜け出して来た思い出の場所でな、春になるとどうしてもここへ来たくなる。一番の目当てはこの店の桃饅頭だがな。ほっほっほ」


 老人は雨蘭の背で声を上げて笑った。今まで聞いたことのない種類の笑い声で、少し変わった人だなと愉快な気持ちになる。

 

「美味しそうですね」

「今まで食べた中で一番美味い桃饅だ。どれ、お嬢さんの分と二つくださいな」


 注文すると店主が蒸籠セイロの中から薄いピンクに染まった饅頭を取り出し、笹の葉にくるんで渡してくれる。


「しまった、小銭を持ってくるのを忘れた」

「私、少しなら持ってます。これで足りますか?」


(本当は使いたくないけど、目の前まで来て食べられないなんておじいちゃんが可哀想だし、受け取った饅頭を返すわけにもいかないし、仕方ないよね)


 雨蘭は老人の代わりになけなしの金で支払った。


「ありがとう、後で必ずお返しするよ」

「大丈夫、素敵な場所を教えてもらったお礼です」


 二人は桃の木の下に腰を下ろし、並んで熱々の饅頭を頬張る。食べている間、雨蘭は家のことや仕事を探していることを話した。

 久しぶりに味わう甘味だからか、桃饅頭は涙が出そうなほど甘く、美味しかった。


「そろそろ帰りましょうか。家まで送ります」


 雨蘭は老人の手をとり、立ち上がる手伝いをする。


「親切にありがとう。丁度良い具合に迎えが来たようだ」

「えっ?」


 振り返ると、馬に乗った男が桃の木へと近づいてくる。迎えとは彼のことらしい。

 武人だと感じさせる逞しいその男は、馬を降りると体格に似合わぬ弱々しい困り顔で老人に語りかけた。


「やはりこちらでしたか……」

「いつものことだから慣れたもんだろう。それより龍偉リュウイや、こちらのお嬢さんにぜひ任せたい仕事がある」


 仕事、という言葉を聞いて雨蘭は反射的に跳び上がった。


「お仕事を紹介いただけるのですか!?」

「住み込み、食事つき、給金も十分出る将来安泰の仕事だ。今日の礼になるかな?」

「ありがとうございます! どういった仕事なのでしょう? 私に務まりますか? 勿論やるからには一生懸命頑張ります!」


 雨蘭は前のめりに返事をする。老人は仙人のような白い髭を触りながら、深く頷いた。


「大変なこともあるだろうが、お嬢さんのような人こそ、相応しいのではないかと直感した。きっと上手くいくだろう」


 迎えに来た龍偉という人物は何か言いたそうな顔をしていたが、最後まで口を挟むことはなかった。


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