書籍1巻発売記念SS

未来の旦那様(雨蘭視点)

「兄さん、見て見て! このあたりすっごい山菜生えてる!!」


 家から少し離れた畑に向かう途中、思わぬご馳走を見つけた雨蘭は大興奮の面持ちで山の斜面を駆け登った。


 冬の厳しい寒さは日に日に和らいでおり、土から芽を出した山菜たちが春を告げている。

 どの季節もそれぞれ良さがあると思うが、春というのは生命の息吹を感じられて心が躍る。


 ごほごほ、と背後から濁った音がした。


 いつもなら雨蘭に負けず劣らず自然の恵みに目を輝かせる兄が、青白い顔で咳き込んでいる。その様子に雨蘭の浮かれた気持ちはさっと陰った。

 何故なら昨年、父親に少し元気がないなと思っていたところ、急に倒れてそのまま帰らぬ人になったからだ。


「兄さん、大丈夫?」

「ああ、少し疲れただけだと思う」


 まだ日が昇り始めたところだ。一日働いて疲れたなら分かるが、一晩寝たのに疲れがとれないというのはどうもおかしい。――少なくとも雨蘭の家では。

 

「今日は帰って休んでて。私一人で大丈夫だから」

「いや、大丈夫だ。お前にばかり負担をかけるわけにはいかない」

「何言ってるの。家族なんだから気にしなくて良いって。それより兄さんが無理して倒れた時の方が困るよ」


 働き盛りの兄までいなくなってしまったら、どうやって暮らしていけば良いのだろう。

 不安が胸を渦巻くが、雨蘭は兄に余計な心配をかけないよう笑ってみせた。


◇◆◇


「おかーさーん、夕飯なんだけど山菜いっぱい採れたから……お母さん!?」

「あら雨蘭、丁度良いところに」


 畑仕事を終えぼろ家に帰ると、母の前には怪しげな装飾を身に纏った男が胡坐をかいて座っていた。

 一目見て呪術師か占い師の類だろうと分かる。困ったことに、母はそういう腹の足しにならないものが好きなのだ。


「えっ、何、また占いお願いしたの!?」

「都で評判の占い師さんなんだって。兄さんも喪が明けたらお嫁さんが来ることだし、あなたの将来が心配で」

(それでどうして占い師に頼むことになるの!?)


 雨蘭は心のうちで思わず叫び、恐る恐る出費の程を訪ねる。嫌な予感しかしない。


「……いくらだった?」

「貯めてたお金の半分くらい。これでもかなり値引いてもらったのよ」

「お母さん……」


 雨蘭は大きな溜め息をつく。占い師は良くない状況を察してか、静かに家を出て行った。


 昨年の春は豊作で夏までは父も生きていたので、万年貧乏な家にしては珍しく多少の蓄えがあったのだが、それが一瞬にして半分になってしまった。

 豊作の次の年は不作になることも多いので、手を付けずに貯めてあったのだが。


(でももう使っちゃったんだから仕方ない)


 雨蘭は気持ちを切り替え、目の悪い母に寄り添うように座って話を聞く。


「それで、占い師さんは何だって?」

「それがね。この人形を置いたらひと月経たないうちに良い人が見つかるって。お相手は美男子で、しかもとても裕福な方らしいの。きっと今よりも良い暮らしができるようになるわね」

(絶対嘘だー!!)


 雨蘭は心の中で再び叫ぶ。


 修繕の追いつかない藁ぶきの天井からは雨漏りし、隙間風がびゅうびゅう吹き抜ける貧相な家に住む雨蘭が、どうして裕福な美男子に出会えるというのか。

 仮に出会えたとしてもその男の視界にすら入らないだろう。


「へぇ……本当に、そうだったら良いねぇ……」


 遠い目をした雨蘭はのっぺりした声で返事をする。

 母はそんな雨蘭の手に手を重ね、微笑み、頷いた。


「良くないことがあった分、きっと良いことがあるはずよ」

「うん」


 父を亡くしてから塞ぎこんでいた母だったが、占いのおかげで希望が持てたのだとしたら、無駄な出費ではなかったのだろう。


 ごほごほと兄が咳き込む声が聞こえてくる。不安は尽きないが、この先良いことがたくさんあるに違いないと思うことにする。


(それにしても、未来の旦那様かぁ……)


 一体どんな人なのだろう。


 まだまだ嫁に行くつもりはないが、雨蘭は黒くぼやけた人影を思い描きながら、少しだけ楽しみに思った。




未来の旦那様〈了〉



雨蘭の兄が病に倒れる前……本編が始まる前のお話です。


今日から発売日までの4日間、書籍発売記念SSを更新しますので、どうぞよろしくお願いいたします。詳しくは近況ノートをご確認ください!

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