第28話 貴方は一体誰ですか
「それで例の使用人に会うことはできたのですが、肝心の茶葉の出所については大した収穫がありませんでした」
無事、夕方までに廟へと戻ってきた雨蘭は、夜食の差し入れがてら明に報告する。
事件があった日から彼は忙しくしており、廟を空けることも多かった。
勉強会は自然に一時休止となり、夜食だけ渡すか、置くか、雨蘭の腹に入れるかして帰っていたが、今日は珍しく部屋に上げてくれた。
「分かったのはお前が馬並みの脚力ということだけだな」
「田舎の人間ならこれくらい普通ですよ」
鬱陶しい前髪がなくなったことにより、明が農民の発言に驚き、呆れていることが表情から読み取れる。
「その女は、茶葉は王宮から送られてきたものと言っただろう」
「はい。丁度王宮から茶葉がいくつか届いたところで、梅花さんが出来れば白茶が良いと仰ったので、その中から
白毫とは白い産毛がいっぱいついた芽から作られる高級なお茶だ。茶葉は専門外の雨蘭でも知っている。
「軍の調書と同じ内容だな」
「ですよねぇ。規則では公費の管理人である梁様の検収確認を待つ必要があったのを、事情を聞いた荷受け人が特別に許可してしまったらしいですね」
使用人の彼女は、単に梅花の要望に合ったお茶を選んだだけだろう。
実際に会話した時の雰囲気からしても、怪しい人物ではないと雨蘭の直感が告げている。
「今日は芋か」
夜食の包みを明けた彼の頬が、ぴくりと引き攣ったのを雨蘭は見逃さない。
「嫌いでしたか?」
「嫌いではないが、もう少しどうにかならなかったのか。これではまるでお前だ、芋女」
彼は箸で蒸し芋をつついた。
(お金持ちは丸ごと蒸した芋に齧り付く幸せを知らないのね)
芋は良い。他の作物と比べて育てるのに手がかからず、多少痩せた土地でも実をつけてくれる。蔓も葉も食べられて、いつだって貧乏人の味方だ。
事件に関する収穫はなかったが、雨蘭は採れたての芋を大量に得て帰ってきた。
解雇された使用人の村で少し畑仕事を手伝ったところ、今年は豊作だからと分けてもらえたのだ。
総合的には大満足の結果である。
(明日はもう少し調理をしたものを出そう)
文句を言いながらも口に詰め込み、咀嚼をする男を見て思う。
きっと明は雨蘭が想像するよりずっと忙しいのだ。物がなかった部屋に書物や巻物が散乱し、彼の目の下には黒い影がこびりついている。
「何だ、勉強はいいのか」
「梅花さんに見てもらうので大丈夫です」
彼女が雨蘭の勉強に付き合ってくれるかはさておき、明にこれ以上負担をかけたくないと思った。
「忙しいと思うので、私はこれで失礼しますね」
「待て。勉強しないというなら膝を貸せ」
空になった芋の器を回収して帰ろうと手を伸ばしたところ、彼は雨蘭の袖を掴んで引き留めた。
「膝……ですか?」
「使用人になりたいのなら、使用人の仕事を教えてやる」
「それは有難いですが、私は何をすれば良いのでしょう」
手を貸してくれと言われたことはあるが、膝を貸せとはどういうことだと雨蘭は不思議に思う。
「まずはあそこに座れ」
「寝台のことですか?」
何かおかしいと思ったが、彼が「そうだ」と言うので雨蘭は寝台の指定された位置に腰掛けた。すると明は無言で雨蘭の膝――正確には太腿の上に頭を乗せ、寝台に横たわる。
「えーっと?」
状況を理解できず、しばらく固まった。
(この前は下民ごときが俺に触れるな! という感じだったのに……)
つい先日、肩を揉もうとした時のことを思い出す。あの時は明が固まってばかりいたが、今日は雨蘭の番だ。
「これも使用人の仕事なのでしょうか」
「ああ。主人の疲れを癒すのも立派な仕事だろう」
明がそう言い張るので、雇い主が望むのであれば、こういう仕事もあるのかもしれないと雨蘭は納得する。
「明様は私に触れられるのが嫌だったのでは?」
「あれは驚いただけだ。それにしても硬い膝枕だな」
「ご不満でしたら、正規の使用人を呼びましょうか」
「このままで良い」
雨蘭は戸惑いながらもそっと、膝の上の柔らかな黒髪を撫でてみる。怒られるかと思いきや、男は目を細め、今にも眠ってしまいそうだ。
「少し寝る。帰りたくなったら起こせ」
「はい」
余程疲れていたのだろう。しばらくすると明は小さな寝息を立て始めた。
会話がなくなり、しん、とすると、膝の上で寝ている人物は一体誰なのだろうという感覚に襲われる。
前髪と共に、以前の人格はどこかへ行ってしまったのだろうか。
もしくは、仕事のしすぎで頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
(温かい……)
久しぶりの温もりに、故郷の家族を思い出す。
兄は薬を買えただろうか。幼い弟妹は母を困らせていないだろうか。
二人分の体温で体が温まったせいか、雨蘭まで急な眠気に襲われる。大きな欠伸をひとつして、無駄に大きな寝台に背を預けた。
(んん? 体が痛い)
いつものすっきりとした目覚めでなく、体に重さと痛みを感じて目が覚める。
「あれ、いつもと違う……」
ぼんやり視界に映る天井の高さや色の違いを、雨蘭はしばらく不思議に思って見つめていた。
(そうだ、昨日明様に膝枕を頼まれて、そのまま寝落ちてしまったんだ!)
どこでも眠れる特技が仇になった。朝までぐっすり眠ってしまったらしい。
驚いて飛び起きると、雨蘭の太腿に乗ったままだった男の頭が寝台にごとりと落ちた。
「明様! おはようございます!」
「うるさい、もう少し優しく起こせないのか」
明は寝ぼけ眼のまま、ゆっくり上体を起こす。
「済みません、私、朝のお手伝いに行かないと」
「朝?」
「帰りたくないと思ったとか、そういう訳では全くなくて! 睡魔に負けて、あのまま寝てしまったようです」
白み始めた外の景色を手で示す。
彼は「お前というやつは……」と不機嫌そうに呟くと、頭を掻きむしった。
(料理長の機嫌を損ねる前に調理場に入らないと!)
いつもならまだ暗いうちに支度をして宿舎を出るのに、今日はいつもの時間より少し遅い感覚がある。
「謝罪なら後ほど、とにかく行ってきます!」
雨蘭は明への謝罪を後回しにして、部屋を出ようとするが、「おい」と呼び止められる。
「昼頃に王宮に行く予定がある。付いてくるか?」
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