幸せ太りと陰の努力(明視点)
「……明、少し太った?」
皇帝廟での花嫁探しの幕が閉じてから早数ヶ月。明の執務部屋に稟議書を持ってきた梁は、顔を合わせるなりそう言った。
「お前は……肝心なことは溜め込む癖に、時折無神経な発言をするよな」
幼馴染という間柄、忖度するつもりも、忖度してもらうつもりもないのだが、今の一言は心を抉った。
というのも実は、明自身も少し気になり始めていたことなのである。
(やはり太ったか……)
久しぶりに手料理が食べたいと雨蘭に漏らしたら、彼女は後宮を抜け出して頻繁に夜食を作ってくるようになった。
そうなることを見越して、廟の調理場で雨蘭と仲良くしていた見習いを宮廷に戻してある。
加えて、現料理長には雨蘭のことを伝えてあるので、調理場に行くこと自体は問題ないのだが――。
折角作ってくれたのだからと、残さず食べるようにしているうちに、明の体は緩んできたらしい。
「元々痩せてたし、そのくらいなら健康的で良いと思うけど」
「いや、良くない。どうにかする」
梁に太ったと思われたということは、他の者たちも内心そう感じているに違いない。
従者の間では今頃、「あれはきっと幸せ太りだ」と噂されているような気がして、明は頭を抱えた。
早急に痩せる必要がある。
夜食を止めるように言うのが一番手っ取り早いが、雨蘭の残念がる姿を想像した明は、すぐさま別の手段を考えた。
(久しぶりに剣の稽古でもするか)
体を動かすことは嫌いではない。むしろ、日がな机に座って書類仕事をしているより性に合っている。
剣の稽古なら、ぎりぎり仕事として認められるだろう。
◇
痩せると決意してから一ヶ月が経ち、筋肉がついたことで、体は随分引き締まってきたように思う。
仕事を終え、一通りの就寝準備を済ませてから明は後宮に向かった。
毎度、輿を用意すると言われるが、大した距離ではない。
軽い運動にもなるので、明は自分の足で歩くことを好んだ。
「明様、お帰りなさい!!」
明が翡翠宮の玄関に入ると、足音を聞きつけた雨蘭が飛び出してくる。
「ああ。お前は今日も変わらず能天気だな」
彼女の嬉しそうな笑顔を見て、可愛いと思うと同時に、一日の疲れが吹き飛んだ。
素直にそう言えば良いのに、気を抜くと未だに捻くれたことを言ってしまう。
明はしまったと口を押さえるが、雨蘭は全く気にしていないようだ。
声を弾ませながら「もう冬だというのに、今日はすっごく大きな蛇が出たんですよ」と、その日起きた他愛のない出来事を、まるで大事件のように語って聞かせてくれる。
こういうところが好きなんだよな、と明は微笑んだ。
「今日のお夜食は鶏粥です!」
雨蘭は明に座って待つよう促すと、自ら「じゃじゃーん」と言いながら、夜食膳を出してくる。
目の前に置かれ、きらきらとした目で見られたら、やはり要らないとは言えない。
明は困ったように笑って、匙を手に取った。
「上に載った揚げ玉葱が美味い」
「こうすると歯応えが良いと教えてもらったんです」
「そうか。良かったな」
そう言うと、雨蘭は嬉しそうに「えへへ」と笑う。
半ば無理やり後宮入りをさせてしまったが、彼女はいつも楽しそうだ。
これからもずっと、その笑顔を見せてほしい。
彼女が楽しく過ごせるよう、せめて宮中では自由でいさせてやりたいと思う。
(己の思考が怖い)
自分がそんなことを思うようになるなんて、数ヶ月前の明からしたら信じられない。
ふと視線を移すと、雨蘭が明の上腕あたりをじーっと見つめていた。
珍しく静かだと思ったら、何をしているのやら。
「何だ。虫でもついてたか?」
「いえ。明様って腕とか、意外と逞しいなぁと思いまして」
明は瞬きを繰り返す。
(そういえば、前に、逞しい男が好きと言っていたような……)
太った体を引き締めるために鍛えているとは言えなくて、明は「別に、男ならこれくらい普通だろ」と返事をする。
そして、その後も筋肉をつけるべく、せっせと体を鍛え続けるのだった。
幸せ太りと陰の努力〈了〉
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