一本の角瓶
昭和三十二年、
終戦より十余年。焦土からの復興を見届け、今やその命には微塵の未練もなかった。元より、あの男が居なければとうに南洋の果てで死んでいたはずの命である。
――いや、あの男を
もはや思うようには動かなくなった首をゆっくりともたげ、鮫島は部屋の隅の
忘れもしない昭和十年。鮫島が巡洋艦「
当時の海軍には、高級士官に限っては帰艦時刻を守らぬこともやむなしという悪風が蔓延していた。多分に漏れず、鮫島もまた自身の遅刻のため短艇を待たせたり、自艦への招待客のために定期便を遅らせるといったことを平然と行っていた。
ところが、あるとき、三十分ばかり遅らせた定期便で鮫島が客らとともに
鮫島は彼を艦長室に呼び出し、
わけを聞かせてほしい、と鮫島が努めて穏やかな声で尋ねると、心の
部下の模範となるべき上官が自ら規則を
鮫島は時の海軍次官
この新米士官の首を繋いだことが、後に巡り巡って己の命を救うことになるとは、このときの鮫島には知るよしもなかった。
時は移り大東亜戦争後期。鮫島は第八艦隊司令長官として、ブーゲンビル島ブインの守備隊司令の任にあった。
日本より遥か五千キロの南、ブーゲンビル島に航空拠点を置いていた日本陸海軍は、アメリカ軍の猛攻撃にあえなく
海軍では潜水艦による物資補給作戦が立案されたが、敵の機雷や対潜部隊がぎっしりと待ち受ける海域を切り抜け、地獄の三丁目と呼ばれたブインに物資を送り届けるなど、並の潜水艦乗りにこなせる芸当ではない。事実、同様の補給作戦に向かった潜水艦は、次々と敵に撃沈され海の藻屑と消えていった。
日に日に激しさを増す敵の攻撃、そして木の根を
遠くラバウルからこの地を目指し出発した潜水艦は、もう何隻が沈められてしまっただろうか。最新鋭のレーダーを持つ敵の
だが、それでもその男は来た。夜間に潜航して日中に水上航走するという常識破りの方法で敵の目を
その潜水艦長こそ、八年前に鮫島が己への暴行を不問に付した、あの板倉光馬だったのだ。水雷学校を経て潜水艦の道一筋に転じた板倉は、持ち前の根性と機転を活かして多くの死線を生き延び、今や海軍屈指の操艦技術と実戦経験を持つひとかどの潜水艦長へと成長していたのである。
「八年前、長官をなぐった一少尉が、潜水艦長としてブイン輸送の命を受けて参りました」――。
板倉から部隊の者を経て鮫島に渡された手紙には、往時の回想と感慨がしたためられていた。顔を合わせることは叶わなかったが、板倉は手紙のほか、寸志としてサントリーウイスキーの角瓶と煙草の包みを鮫島に差し入れてくれた。鮫島もまた感涙にむせび、手製のパイプ七本に返事の手紙を添えて彼に贈り、互いの武運長久を祈りあった。
八年前のあの時、彼を
「板倉少佐がお見えになりましたよ」
妻の声が病床の鮫島の耳を叩いた。
鮫島はゆっくりと腕を持ち上げ、茶箪笥の上を指差した。歴戦の潜水艦長の目が驚きに見開かれた。
「閣下、その角瓶は、もしや……」
満足に喋ることのできない鮫島にかわり、妻が板倉に告げた。貴官が命がけで届けてくれたこの角瓶だけは、手放すことが出来なかったのだと。
鮫島が病床から微笑みかけると、板倉は男泣きに泣き崩れた。空瓶に活けられた真っ白な山茶花が、海に生きた
⚓ ⚓ ⚓
参考文献
『どん亀艦長青春記―伊号不沈潜水艦長の記録』(板倉光馬, 1984, 光人社)
『伝説の潜水艦長―夫・板倉光馬の生涯』(板倉恭子・片岡紀明, 2007, 光人社)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。