「匿名短文おバカ上司企画/本庄照擬態杯」参加作品

敵機に帽子を振れ

「本日は羊羹ようかんの早食い競争を行う!」

 潜水艦長、三ツ倉みつくら少佐の発令を聞き、しょう航海長の俺は「またか」という溜息を無言で飲み込んだ。

 うちの艦長――帝国海軍における「艦長」は軍艦の長を指し、駆逐艦や潜水艦の長は「駆逐艦長」なり「潜水艦長」なりであるのだが――は端的に言って馬鹿である。「お」を付してと呼んでもよい。

 見ろ、若い兵達の顔を。きつい航海の最中さなかで滅多にありつけるものではない甘味、普通に食わしてくれればいいものを、妙な競争など強いられたお陰で誰も彼も喜び半分困惑半分といった風情じゃあないか。


「おう、美味かったか?」

 艦長直々に声を掛けられ、一番乗りで羊羹を飲み込んだばかりの若年兵は目を白黒させ、己の喉元をばんばんと叩いて答えた。

「はっ、味は、よく分からなかったであります!」

 むさ苦しい艦内にたちまち下士官かしかん、兵達の笑いが巻き起こる。笑っている者達も羊羹を喉に詰まらせたり、慌てて水で流し込んだりとそれぞれに四苦八苦しているのだが。

『俺も貴様らも遅かれ早かれ死ぬ。ならばせめて、死ぬ前にいい思いはさせてやりたいじゃないか』

 というのが彼の口癖であったが、その「いい思い」の基準がずれているからお馬鹿なのである。


「よしよし、我が海軍自慢の間宮まみや羊羹はまだまだどっさりあるからな。食い足りん者は幾らでも食え。俺が思うに、江田島えたじま羊羹よりこちらの方が味は上だ」

「艦長、我々は江田島を知らんのですよ」

 つい俺は突っ込んでしまった。兵学校江田島出の士官様と、俺達現場の水兵ジョンベラ上がりとではハナから棲む世界が違う。兵学校生徒が週末のたび舌鼓を打ったという養浩館ようこうかんの羊羹の味など、このの話の中でしか知る由もない。

「ふむう、だが貴様らにも無礼講の良さは分かろう」

 また始まるぞ、と俺の脳内の回路が告げる。先輩後輩の仕来しきたりに厳しい兵学校にあって、唯一その垣根を取り払って楽しめる場であった週末の短艇たんてい巡航……の話が、ほうら、いつもの如く始まった。食い物を積み込んだ短艇カッターで宮島あたりまで漕ぎ出し一夜を明かす――俺達古参には耳にタコが出来るほど聞き慣れた話だが、まあ、素直に目を輝かせて聞き入っている若年兵も居るからいいか。


「そうだ、折角の水上航走中だ。羊羹の残りは甲板そとで潮気を浴びながら食うか、なあ」

 と、艦長がまたぞろ妙なことを言い出した。潜水艦は蓄電池バッテリーの充電の為に内火ディーゼルを焚いて水上航走をせねばならず、今がその時という訳だったが、酒乱でも知られるこの人のこと、甲板で無礼講となれば大人しく羊羹だけで済む筈もない。いつぞやのように艦長自ら泥酔して海に落ち、友軍に「溺者デキシャ救助訓練ヲ実施セリ、異常ナシ」などと電信を打つ羽目にならねばよいが。


「おお、先程の驟雨スコールが嘘のようだ。灼熱の太陽が海面に映えるじゃないか」

 有志物好き十数名を伴って甲板に上がった三ツ倉少佐が、育ちの良さを思い出させる妙に詩的な物言いをするので、俺はつられて「艦長は何故潜水艦を志したのですか」と素朴な疑問を口にしていた。

 潜水艦というのは海軍でも群を抜いて過酷な世界である。いいとこ出の坊っちゃんが好んで進む道ではない。おおかた兵学校のハンモック成績ナンバーが悪くて潜水艦畑に回されたのだろう、と思っていたら、艦長は意外にもこんなことを言った。

「決まっている、貴様らとの距離が近いからだ」

 虚飾を感じさせないその一言に、この人はそんなに無礼講が好きなのかと呆れかけた、その時である。


「右四十度、敵機!」

 見張員の絶叫につられて空を仰げば、低空で真っ直ぐこちらへ突っ込んでくる敵爆撃機B 2 4の機影が肉眼でもはっきりと見えた。

 げぇっと悲鳴を上げる周囲の下士官、兵達。敵は電探レーダーで我が艦の位置を捉え、先の驟雨スコールに紛れて忍び寄ってきたのに違いない。まさに絶体絶命、急いで潜航しても爆撃の餌食であるし、機銃の準備をする時間もない。

 ああ、戦場での死は元より覚悟の上だが、このふねで運命を共にすることになるとは。最後に太陽を見られたのがせめてもの僥倖ぎょうこうだったか、と近付く敵機の轟音を聞きながら俺が腹をくくったとき、


「敵機に帽子を振れ!」


 思いもよらない命令が鼓膜を叩いた。艦長自身が艦橋から身を乗り出し必死に帽子を振るのを見て、俺達もその意図を察し、逡巡のいとまもなくそれに続く。

 まんまと味方と誤認してくれたのか、呑気にバンクを振りながら転舵する敵の機影。

「両舷停止、潜航急げ!」

 艦長に続いて全員が艦内に飛び込み、ふねは脱兎の勢いで潜航を開始する。深度計の針が五十mメートルに達する頃、慌てて戻ってきた敵が投下したのであろう爆弾の炸裂音が遠く頭上に反響した。俺達はまさしく九死に一生を得たのだ。

 だが、こんな無茶苦茶な脱出の仕方があるものか――。息を切らしながら艦長の顔を見ると、


「遅かれ早かれ死ぬと言った。だが今ではない。その時を延ばすのも俺の仕事だ」


 誇らしげなその笑顔に、今少し、このお馬鹿な上官に命を預けてみるのも一興かと思った。


(参考:板倉光馬『どん亀艦長青春記― 伊号不沈潜水艦長の記録』)

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