過去の私と未来の俺

■2019年10月1日


 直本賞の授賞式より戻り、人生の喜びを妻と噛み締める。

 多くの出会いと幸運に恵まれ、私は作家として一つの大きな目標を果たすことができた。これもまた次のステップへの始まりに過ぎないが、今は私の作品を形作った全てのものに感謝を捧げたい。


 最近、夢の世界への働きかけはもう出来なくなってきた。夢が叶ったからだろうか。

 最後に言葉を交わした時、過去の私は言った。「あんたのおかげだ、ありがとう」と。だが、それを言うなら私の方こそだ。彼が得体の知れぬ「未来の自分」の叱咤激励に根気よく付き合い、いかなる艱難辛苦の中でも筆を折らず夢にかじりついてきたからこそ、今の私があるのだ。

 彼の前にはこれからも多くの苦しみが立ちはだかる。だが、諦めず頑張ってほしい。彼の綴る作品の一作一作、文章の一行一行が、未来の喜びに繋がることを信じて。



■2018年7月6日


 相変わらず過去の私の奴は諦め癖が強くていかん。一回や二回の挑戦で受賞など出来るはずもあるまいに、一回落ちるたびに律儀に落ち込んでいる。先日夢に出てきた時など、自分には根本的に才能がないのではないか、お前は俺を騙しているのではないかと散々な言いようだった。

 だが、私は知っている。自分で言うのも恥ずかしいが、奴には磨けば光る才があることを。

 奴がどんな弱音を吐こうとも、私は奴の尻を叩き続けなければならない。かつて未来の私が私にそうしてくれたように。



■2015年5月10日


 最近は未来の私がとんと夢に出てこなくなったと思っていたら、逆に過去の私を夢に見るようになった。高校を中退し、汗水垂らして働いていた、小説のしの字も知らなかった時分の私だ。

 彼の姿を夢に見て私は悟った。運命は連環しているのだ。今や、私が彼にとっての「未来の自分」となって、彼を導かねばならないのだと。



■2015年4月3日


 美夢の小学校入学と同じくして、俺も念願の大学生となった。これを機に、この日記の一人称も「私」に改めよう。

 学も金もない工場勤めに過ぎなかった私が、今や印税で妻子を養い、自らも大学に行けるまでになったと思うと本当に感慨深い。かつて未来の私から聞かされた大作家には程遠いが、私もようやく一人前の作家になれたようだ。

 最近は夢に出てくることもなくなったが、未来の私にはどれだけ感謝しても足りない。今の私があるのは彼のおかげだ。



■2010年11月20日


 今宵は我が人生最良の日。まさか正夢探偵シリーズがドラマ化するなんて、二年前の俺に言っても到底信じないだろう。

 このアイデアを強く推してくれた編集氏と、文句を言いながらも支えてくれる妻、それに俺をこの道へと導いてくれた未来の俺にも感謝しなければ。



■2008年3月31日


 良いものを書いてもそれだけでは売れないという虚しさよ。いや、この世界では売上が全てだというなら、そもそも俺は「良いもの」を書いているとすら言えないのかもしれない。

 未来の俺が夢に出てくることも最近は少なくなった。奴が言うような売れっ子になど、この先どうしたらなれるというのだろう。



■2005年5月15日


 遂に俺は成し遂げた。初めて作家を志した日から十年、遂に念願の入賞を果たしたのだ。

 望んでいた出版社とは違うが、俺にとっては偉大な一歩だ。

 彼女は喜ぶというより安堵した顔をしていた。無理もない。かくいう俺自身だって、飛び上がるほどの嬉しさよりも、果ての知れない暗闇からやっと解放されるという安心感で一杯なのだ。

 だが、これは始まりに過ぎない。未来の俺の励ましに報いるため、俺はこれからも一人前の作家を目指して修練を続けなければならない。奴が語るバラ色の未来に近付くために。



■2003年6月9日


 絶賛スランプ中。未来の俺は相変わらず頻繁に夢に出てきては発破を掛けてくる。

 たとえ夢だろうと、こんな俺に期待してくれる人間がいるというのは有り難いが。



■1999年3月8日


 また駄目だった。十二回目の公募挑戦にして連戦連敗。今回は二次すら通らなかった体たらくだ。

 やはり俺にはミステリは向いてないのではないか。だからと言って、今さら純文学に転向して芽が出るとも思えない。

 彼女とは最近、もう待てないと言われてよく喧嘩になる。転職活動も上手くいかない。やはり今の日本で高校中退というハンデは厳しい。

 なぜもっと勉強しておかなかったのかと悔やまれる。せめて子供の頃から本を読んでいれば。



■1996年1月24日


今日はめでたい日だ。この俺が、初めて小説という物を書き上げたのだ。何度も序盤だけ書いて挫折してしまったので、ならば解決シーンから書けば良いという逆転の発想が功を奏した。

首尾よく公募初挑戦でいきなり受賞という事にでもなれば、俺も鼻が高い。

未来の俺という奴は、しばしば俺の夢に現れては、お前は必ず大作家になるからと励ましてくる。未来の俺自身が言うのだから間違いない。信じてこの道を進むとしよう。



■1995年7月20日


文章が上手くなるには、多くの小説を読んで、文章のカタと言う物を、見に付けなければならないと、夢に出て来る未来の俺が、煩いので、最近休みの日は、図書館に通って、小説を読む事にしている。

辞書を見て、漢字も書く様にしたが、中々面倒だ。中学で、漢字練習をサボっていたツケが、今になって回って来てるのだ。

そう言えば、工場の先輩が言うには、小説には、純文学と、エンタメと言うのが有るらしい。良くテレビで聞く、茶川賞と、直本賞と言うのは、その種類の違いだそうだが、どっちがどっちかは、忘れた。



■1995年5月11日


今日ねていたら未来のおれとゆうのが、ゆめに出てきてゆった。おれは未来で小せつ家になるから今すぐ、文章の勉強をしろとゆわれた。おれは中学校で国語の成セキずっと2だったし今は、高校を中対して今は工場に働めている。そんなおれが小せつなど筆けるハズがないが、未来のおれは作家で大金持ちになるらしい。そのために今から連習をするために、文章を筆く事にした。ビンボーよりは金持の方がいいに決まってる。

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