終わったはずの物語


 伝説のアイドルの再来。

 魂の継承者。

 神に選ばれし少女。


 そんな色とりどりの形容とともに華々しく始まったはずの私の物語は、神様とやらの気紛れで、あっけなく終わりを迎えることになってしまった。


「手術を受ければ生きることはできます。しかし、お嬢様の目は、もう」


 深い深い暗闇の中で私はその言葉を聞いていた。私の心臓を止めかけ、手足を痺れさせ、網膜をボロボロにしたものは、十万人だか百万人だかに一人の難病らしかった。

 笑っちゃうよね。私は、七十億人に一人の神の子だったはずなのに。


「何とかならないんですか!? 娘はまだ十三歳なんです!」

「米国で手術を受けたとしても、視力の回復する見込みは、よくて五パーセント程度かと」


 目元を覆うようにぐるぐると巻かれたこの包帯を取り去っても、私の目にはもう、どんな光も映らない。

 病室の窓から差し込む明るい日差しも、尊敬するママの瞳に宿る私と同じ輝きも、満員の劇場で私を囲んでいたサイリウムの光の海も。

 親の七光と責めていた人達はきっと満足だろうな。私が光を失っちゃって。


「手術を受けて戻ってくればいいじゃないか。君を失うことはグループにとって大きな損失だ」

じゃなくて、失うことが、だよね」

「何を言う。君はお母さんにも負けない逸材だ。目が見えないくらい何だ! 君がステージに立ってさえいれば、それだけでいい」


 そんなことを言って私を引き止める大人はたくさんいたけど、私は結局、研究生のままステージを降りることを選んだ。

 アイドルでいられなくなるのは身を引き裂かれるより辛い。歌うことを、踊ることを、笑うことを取ったら私には何も残らない。

 だけど、客席の皆の顔を見られなくて何がアイドルだろう。変幻自在の瞳の輝きで日本中を惹き付けたあのママの後継者の私が、この目でファンと心を交わしあえないなんて何の冗談だろう。

 正規メンバーに昇格する前でまだよかった。超新星とか有望新人とか呼ばれている内に辞めれば、たくさんの人を裏切らないで済む。


「必ず戻ってこい。選抜の席を空けてお前を待ってる」


 お偉いさんのそんな言葉も、暗闇に閉ざされた私の心には響かなかった。

 私が退いた特等席には、もっと神様に愛された子が座ればいいよ。



 *  *  *



 世間の好奇や同情の目から引き離すように、パパとママは私をアメリカの病院に移した。世界の医学の粋を集めた大病院の小児病棟には、あとは神様に呼ばれる順番を待つばかりとされた子供達がひしめきあっていた。


「歌えよ、プリンセス。みんなお前の歌を聴いてみたいって言ってるぜ」


 周りの子供達は私をプリンセスと呼んだ。日本人の名前は発音しづらいからか、いつしか大人達まで私をそう呼ぶようになっていた。

 だけど、皆にどんなにせがまれても、私は一曲の歌を口ずさみすらしなかった。自分の中にくすぶる未練の火を早くかき消さないと、いつまでも神様を恨んで苦しみ続けることになるから。


「嘆いても仕方がありません。神様がお決めになったのです」


 ここでは誰もが、人の運命を神様のおぼしだと言う。誰かが死んだ時には、特にその言葉が病棟のあちこちを飛び交った。

 先週はあの子、今週はこの子。仲間達を一人また一人と見送るたび、手術さえ受ければ命は助かると言われている自分が、なんだかズルをしているんじゃないかと思えてくる。


「神様が、貴女には生きなさいって言ってるんだよ」


 隣のベッドの子はよく私にそう言ってくれた。彼女の綺麗な青い瞳が白くかすみ、美しかったブロンドの髪が日に日に抜け落ちていることは、周りの子達や大人達の話でなんとなく私にもわかっていた。


「貴女のポリシーを知った上でそれでもワガママを言うなら、私、やっぱり貴女の歌を聴きたいな。私のママがよく聴いてたの。貴女のお母さん達の歌……」


 仲良くなった彼女がICU集中治療室に移されてから二日目の夜。廊下の騒がしさに私は目を覚まして、嫌な胸騒ぎを抑えながら手探りで病室を出た。皆がすぐ私に気付いて、彼女の待つICUへと私の手を引いてくれた。


「……プリンセス


 力なく私を呼ぶその声に、私は泣きながら駆け寄っていた。「歌って」……と、抱きつく私の耳元に彼女はか細い声で懇願してきた。


「……散りゆく桜のはかなさが……旅立つ僕らの背を押して」


 気付けば私は歌っていた。ママ達から受け継いだ歌を、ぐしゃぐしゃの涙声で。


「すぐに追いつくから……泣かずに待っててね……僕も笑うから――」


 私の歌がサビに入る前に、私と握りあう彼女の手から、すうっと力が消えていくのがわかった。


「ありがとう……プリンセス


 彼女が最期に満足そうに笑ってくれたのが、私の心にはしっかり見えたような気がした。




「……貴女がここに居るのは、全て神様の思し召しよ」


 屋上に出て泣いていた私のもとに、院長先生がやってきて言った。


「貴女はお金持ちの芸能人の家に生まれた。海の向こうまで名を轟かす大スターのもとに生まれた。神様がそうお決めになったからだわ」


 私は思わず顔を上げていた。院長先生はそっと私の頭を撫で、私を優しく包み込むような声で続けた。


「ノブリス・オブリージュ――選ばれし者には果たすべき責任がある。お立ちなさい、プリンセス。貴女に歌わせるために、神様はその命を残されたのよ」


 私の心に、新しい感情の波濤はとうがざぁっと打ち寄せるような気がした。



 



 だから私は、気付けばマイクを握っていた。

 次の日も、その次の日も。

 病院の中庭に大人達が用意してくれたステージの上、裁縫の得意な子達が作ってくれた衣装を着て、全世界に繋がったスマホのカメラの前で。

 もう何も迷わない。もう何も嘆かない。暗闇に落とされた私だからこそ、伝えられることもある。

 病院の子達だけじゃない。世界中で苦しんでいる皆に伝えよう。どんな逆境の中でも、人は輝くことができると。

 それが、神様が私に与えた使命だと言うのなら。


 物語はまだ終わっていない。これが本当の始まりなんだ。私の、そして、追ってくる子達の。


1ワン2トゥ3スリー4フォー――」


 心の目をかっと見開き、地球の裏側までも届くように、ママ達の曲のカウントアップを私は高らかに歌い上げる。

 神様に与えられたこの歌声が、誰かの希望になることを願って。

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