「第1回匿名短編コンテスト 始まり編」参加作品

恨み晴らさで置くべきか

 人間ひとに使われ九十九くじゅうく年を経た道具もの付喪神つくもがみるとう。れを教えてれたのは私の六人目の持ち主の娘だった。彼女の母親も祖母もまた祖母もそうであったように、娘は物心ものごころ付く前から屋敷いえ奥座敷おくざしきに閉じ込められ、年に一度の儀式つとめの為だけに生命いのちを繋がれて居た。

 物言わぬ人形にんぎょうに過ぎぬ私だけが、彼女のただ一人の遊び相手であった。


「ねえ、お人形さん。早く貴方あなた付喪神つくもがみに成って、お喋り出来る様に成ってれたら良いのに。来る日も来る日も、お返事の無い貴方に話し掛けるばかりでは、私、其の内に言葉を忘れて仕舞しまうわ」


 人形の私に名が無い様に、其の娘にも又、名は無かった。奥の子とか、とか、妖怪あやかしむすめとか云うのが、人々が彼女を指す時の言い方であった。


「お人形さんは、桜の花を見た事は有る? きっと無いわよね。お母様もお祖母ばあ様も、儀式おつとめの他には此の屋敷いえを出る事無く死んだのだもの」


 生きて居た頃の母親の話と、屋敷いえの人々の気紛れでごくたまに与えられる古びた書物、そして儀式つとめの日に僅かに見る外の景色だけが、彼女の知る世界の全てであった。


「世の人は云うそうだわ、はな桜木さくらぎひと武士ぶしと。お人形さん、知っていて。桜と云うのは春に咲く花らしいわ。世の人が褒める其の美しさを、私は見る事も叶わない……」


 襤褸ぼろにも等しい私の髪をでながら彼女が涙をこぼしたのは、十二に成った年の儀式つとめの日であった。

 年に一度、人々は神無月かんなづきの新月の晩に彼女を奥座敷より連れ出し、輿こしに乗せて山深くの洞穴ほらあなへと向かう。何時いつも彼女の腕に抱かれて居る私も、儀式つとめの時ばかりは引き離され、男衆おとこしゅと共に洞穴を閉ざす岩戸いわとの外でが終わるのを待つ事に成る。


「一体、は何と目合まぐわってるのです」


 新入りに他の者が経緯いきさつを説く声も、私には最早聞き慣れたものだ。


「知らぬのか。此の奥にまうのは人間ひとの血をすすり、人間ひとの肉を喰らう妖怪あやかし。だが、一年に一度、あの娘が身体からだを捧げる事で妖怪あやかししずめ、人の世に災禍わざわいの及ばぬ様にしてるのよ」

「いずれ娘は女に成り妖怪あやかしとの子をはらむ。生まれ落ちる子は女子おなごと決まっている。母親が死ぬ頃には、生まれた娘が同じ役目を果たせる歳に育って居ると云う寸法だ」


 其れは幾度と無く繰り返されて来た営み。妖怪あやかしはらすべを知らぬ人々が代々受け継いで来た生きる道。

 しかし、此の時ばかりは様子が違って居た。

 妖怪あやかしを祓う術を持つ者達が、遂にやって来たのである。


「年に一度、鬼門きもんの開かれる此の時を待って居たのだ。退くが良い、我等われらは中の妖怪あやかしを斬る!」


 すらりと刀を抜き放つ武士さむらい共を前に、屋敷いえ男衆おとこしゅ共は蜘蛛の子を散らす様に逃げて行く。現世うつしよ幽世かくりよを隔てる岩戸はたちま注連縄しめなわごと断ち切られ、寝込ねこみを襲われた妖怪あやかしの甲高く唸る声が洞穴より響いた。

 誰にもかえりみられず放り出された私は、かすかな希望のぞみを抱いて事の次第を見守って居た。ながきにわたり娘達を苦しめ続けた妖怪あやかしに遂に最期さいごの時が訪れるのか。しからば、彼女も永遠とわ宿命さだめより解き放たれ、常人ひととして生きる事が出来るのやも知れぬ。

 だが、洞穴をめ尽くす炎の音と妖怪あやかしの断末魔に続き、私が聴いたのは、彼女の涙ながらに訴える声であった。


「お願い、お父様を斬らないで。お父様は人間ひとあやめては居ないのよ」

「おのれ、我等われらたぶらかすか、妖怪あやかしの娘! 我等われらの此の剣は、妖怪あやかしを見逃す事を知らぬ!」


 洞穴の前に転がったまま私は聴いた。妖怪あやかしを庇わんとする娘の身体に、武士さむらい共が容赦なく刀を振り下ろす音を。

 燃える洞穴から這う様に逃げ出す娘の背中に、続けざまやいばが浴びせられる。

 娘の苦悶の声がをざわめかせた、次の瞬間には、私は己でも気付かぬ内に

 おののき散らばる一人が取り落とした刀を私は拾い上げる。炎を照り返す其の白刃はくじんに、能面のうめんの様な己の顔が映った。

 しかし、今にも武士さむらい共に斬り掛からんとした時、私の足首を掴んでくる小さな手があった。


「斬っては駄目」


 今や息も絶え絶えの娘が、赤と白の血に染まった顔で、力無く私を見上げて居た。


「……人間ひとを、傷付けては駄目。私達の生命いのちは其の為に在るのだから。貴方が人を傷付ければ、お母様達の苦しみも全て無駄になって仕舞う」


 虫の息で彼女が語る言葉に、私が刀を取り落とした其の時、武士さむらい共がと私達の周りを取り囲んだ。

 其の中心に立つのは、燃える炎の赤を纏いし戦装束いくさしょうぞく


「闇より生まれでし邪悪よこしまなる魔物よ、我が火焔ほむらの前に滅びるが良い。急急きゅうきゅう如律令にょりつりょう!」


 閃く刃に炎を宿し、武士さむらいが私の首を一刀の元に斬り飛ばす。

 胴から離れて宙に舞った私の首は娘のそばに落ち、そして勢いを増す炎が辺りを包んで行った。

 武士さむらい共の後ろ姿が遠ざかる中、娘の震える手が私の顔に触れる。


「ねえ、お人形さん。叶わない事だと判っては居るけれど……私、死ぬ前に一度、桜の花が見たかったわ。薄紅うすくれないに咲く其の花を、此の目で、一度……」


 娘の最期さいごの言葉を聞き、私は底知れぬ慟哭どうこくを震わせて居た。

 元より物言わぬ人形の私は如何どうなろうと構わぬ。だが、何故なにゆえ、此の娘が死なねばならぬ。

 娘のむくろと共に炎に飲まれ、私は、人形とて心を持つ事を初めて知った。彼女を苦しめた人間共への恨みの心を。

 魂魄こんぱくに留まりて、恨み晴らさで置くべきか――。




 あるじと共に地獄に落ちる事すら許されぬ私の魂は、其れより遥かな時を経て、一つの声を聞く。


なんじ、恨みに染まりし哀れな人形よ。我ときたれ。共に人間ひとへの恨みを晴らそうぞ」

「……私は」


 己の喉から出る声に私は驚いた。物言わぬ人形であった筈の私が、何時いつしか人間ひとの如く口を利ける様に成って居た。


「私は、人間ひとは斬りません。其れが臨終いまわの望みなれば。……其れでもよろしければ、お供致しましょう」

「ふふ、面白い人形やつよ。付いて参れ。いくさを始めよう」


 人間ひとに使われ九十九くじゅうく年を経た道具もの付喪神つくもがみに成ると云う。ようやく口を利ける様に成ったと云うのに、私と言葉を交わしたがって居た娘は最早此の世に居らぬ。

 代わりに残されたのは、心無き人間共への底知れぬ恨み。

 生易なまやさしくあやめてなどやらぬ。此の目に映る者共全てに、あやめるよりも尚残酷な責苦せめくを与え、人間ひとの醜さを炙り出してやろう。

 今、此の時が、私の復讐の始まりだ。

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