070 約束

「ルシウス?石鹸が出来るまで、次はどうするの?」

「う~ん、そうだな。石鹸が出来るまで、どうしても時間が掛かってしまうから、その間に教会の食事事情でも改善したいかな?」


 昨日、僕とさくらは恵みの森まで軟水を汲みに行き、オリーブオイル、木灰、軟水を混ぜ合わせて、石鹸を作ってみた。

 今は、その鹸化した液体を木の型にはめて乾燥させている段階だ。

 正直、どれくらいの時間や期間で、鹸化した液体が固まるのかが解からない。

 もしかしたら、固まらずに固形の石鹸にならないかも知れない。

 まあ、もともと材料的に試行錯誤して行かなければ固形の石鹸として形にする事は難しいのだけれど。

 後は地道に分量などを調整するしかないのだ。

 そして、僕達はその軟水を汲みに行く途中で、遭遇はしなかったのだが、遠目に複数の動物がいる事を確認していた。

 その見かけた動物の一部に、鳥がいたのだ。

 その時に、「プロネーシス?元の世界のように養鶏をして、鶏肉や鶏卵を定期的に手に入れる事は出来る?」と聞いたところ、『はい。マスター。どちらも雄と雌がいれば始める事は出来ます。ですが、定期的となると、品種改良が必要になります』との事。


 元の世界でいう鶏(にわとり)は、人の手が加わり、長年の品種改良によって生み出された鳥だ。

 簡単に説明すると、鶏肉用の鶏は、卵から孵って成鶏に達する前の生後、50日程で出荷・屠畜される。

 屠畜とは、食肉・皮革などにする為に殺す事。

 鶏卵用の鶏は、雌のみで産卵をする事が出来、約1日(1日と3分の1日)に1個卵を産む。

 ちなみに鶏卵用の雄は、雛の時点で処分される。

 鶏肉用とは違い、産卵を始めるまでに150日前後掛かり、そこからようやく産卵を始める。

 通常ならば一年が経過すると、卵質や産卵率が低下し、自然に換羽して休産期に入るのだが、質の良い卵を維持する為に、強制換羽の方法を取る。

 強制換羽とは、鶏を絶食などの給餌制限により、飢餓の状態に置く事で、新しい羽を抜け変わらせる事。

 これを行う事で、生き残った鶏は、再び質の良い卵を産卵するのだ。

 強制換羽後、8ヶ月間産卵させた後に屠畜する。

 此処までの品種改良をするには、時間、年数が掛かるのだが、養鶏が出来れば、食の改善、料理の進化、栄養面の摂取が、大幅に改善出来る。


「恵みの森にいた鳥は、品種は何になるの?」

『はい。マスター。私が持ち得る情報と照合した結果、ゲーム世界にいた、フォレストコッコが進化した個体だと思われます。こちらのフォレストコッコは、元の世界の鶏を参考に開発された品種になるので、養鶏は可能です』


 この世界の元になっているラグナロクRagnarφkは、地球を参考に擬似世界として創られた世界。

 生態環境から、自然環境まで、その全てを一度トレースしており、そこからオリジナルの設定である、魔力、魔物、種族が加えられている。

 ただゲーム時代は、それらの住み分けが決まっていたが、此処は一度、破壊と再生が行われた世界。

 再構築された上に、生態系がどうなっているのか、正直、僕には解からない。

 きっとその過程で、絶滅してしまった生物も、数え切れない程いる事だろう。


(でも、この恵みの森は、色々と都合が良過ぎる気がする...マナがあれだけ溢れている事もそうだし、生態系から、植生まで含めても...)


 まるで、僕が欲しいと思った物がそこに有るようだ。

 魔力訓練をするには、マナが溢れている恵みの森は好都合。

 体内、体外の魔力操作の訓練に持って来いの場所だから。

 そして、恵みの森にマナが溢れているそのおかけで、山から近い教会にも精霊が存在している。

 このように、教会の環境を改善したいと思いたった時から、恵みの森に行けばそれらの望む物が既に用意されているのだ。


(望んだものが手に入る?...まあ、そんな事は無いか)


 と言うプロネーシスとのやり取りを、恵みの森で鳥を発見した時にしていた。

 なので、今日はそのフォレストコッコを捕まえに行きたい。


「昨日、山を登っている時に、鳥を見付けたんだ」

「鳥?」


 さくらは、鳥の実物を見た事が無い。

 ただそれは、仕方が無い事だ。

 この地域自体が発展途上で、そう言った知識が無いのだから。

 誰かに教わる訳でも、そう言った本が有る訳でも無い。

 それに山登りをしている最中も、登る(歌う)事で精一杯で、周りを見ている余裕は無かったから。


「そう鳥。鳥は、空を自由に飛べる生物なんだよ」

「空を...自由に飛べるの?凄い!私も空を飛んでみたい!」


 空を飛ぶ。

 人ならば誰しもが、一度は考えた事があるのでは無いだろうか?

 どこまでも広がる大空を、鳥のように自由に飛びまわり、戯れてみたいと。

 元の世界では、乗り物を使えば出来る事だが、此処は魔法がある世界。

 乗り物に乗らなくても、飛翔魔法を覚えれば出来る事だ。


「はっきりとは言えないけど、魔法を覚えれば出来るように...なるのかな?」

「魔法を...覚えれば?」


 飛翔魔法は特定の職業に就いて、魂位を上昇させる事で覚える事が出来る。

 だが、この世界で職業に就くには、どうすれば良いのか解からないのだ。 

 ゲーム時代ならば、最初に選択をした職業をランクアップする事で、新たな職業に就くか、特定のアイテムを使用する事で、新たな職業に就く事が出来た。

 もしくは、某ゲームのように神殿で職業を変更するのか?

 それとも、特定の条件を満たすと、職業に就く事が出来るのか?

 そもそも僕が住んでいる場所が教会なので、教会が神殿の役割を果たしている事が考えられる。

 それに今まで、商人以外で教会を訪れる人を見た事が無いし、それらしき儀式?も見た事が無い。

 一つ目、神殿での転職は出来そうに無い。

 二つ目に関しては、完全に僕の憶測でしかない。

 これらの事は、他人のステータスを見る事が出来れば、直ぐに解決する事なのに、どうやらそんな簡単にはいかないようだ。


(僕が魔力操作だけでは無くて、ちゃんとした魔法が使えれば、もしくは、鑑定のスキルがあれば良かったのに...ここには、それらを補えるアイテムや魔法具があるのかな?)


 基本的に、上級魔法や、限定魔法、固有スキルで無ければ、魔法具で代用出来る。

 ただ教会や、イータフェストの街を見た結果、そう言った物は無さそうだったが。


(でも、教会に置いてある女神像。この魔法具だけは、明らかに特別製なんだよな。元の世界で言うならオーバーテクノロジーってやつ?...何故これだけ?)

「その魔法は、私も覚えられる?」


 思考が脱線してしまったが、僕はさくらの一言で、ふと我に返る。

 この世界では(イータフェスト領になるが)、魔法を使用している人物が極端に少ない。

 教会でも使えるものは、アナスターシア、メリル、メリダ、アプロディアと限られている。

 一応、黒色修道員以上は使えるみたいなのだが、領内での派遣仕事の為に教会には、ほぼいない。

 その為、魔法についての情報が少ないのだ。

 魔法は、誰かに教わる物なのか?

 魂位を上げる事でしか、覚えられないのか?

 まあ、これだけ魔力操作が自由に出来るので、その内、任意で習得出来そうだが。


「そう。魔法を覚えれば。でも今日は、その鳥を捕獲する事をやろうか?」

「鳥を捕獲?すると、なにかあるの?また何かの素材?」


 鳥を知らないさくらは、その用途が解からない。

 どうやら石鹸のように、何かを作成する為の素材だと思っているようだ。


「鳥は、食べる為に捕獲するんだよ」

「えっ?鳥は食べられるの?」


 教会の食生活は野菜中心で、穀物のポリッジがメインと言う、代わり映えの無いメニューだ。

 ごくたまに、先日の街訪問の際にお肉を購入して、教会全員で分けて食べる事もあるが。

 ただ教会には、孤児も含めると、40名近くいるので、食べたお肉は一口にも満たなかった。


「食べられるよ!前に食べたお肉は解るかな?」

「うん!あれ美味しかった!」


 食べたお肉が一口未満だとしても、その味は忘れられないものだ。

 猪のような動物の肉で、少し野生的なお肉だが、野菜や穀物しか食べていなかった身としては、極上の一品だった。


「あれとは、また別の味になるけど、そのお肉がまた食べられたら、さくらはどう思う?」

「お肉がまた食べられるの!?そうなったら嬉しいな!」


 お肉が食べられる事が、とても嬉しそうだ。

 それもその筈。

 僕が転生して教会に住んでから、お肉を食べたのは、その時が初めてだったから。


「じゃあ、その為にも山に行って鳥を捕まえよう!」

「うん!!」

「そうしたら、さくらも、これを背負って貰って良い?」

「ルシウス、これは何?」


 僕がさくらに見せた物は、木で作った簡単な篭。

 これは鳥を捕獲した際に、逃がさないように運ぶ為の物。


「篭と言って、鳥を捕獲した場合に入れるものだよ」

「かご?」


 僕はさくらに篭を渡して、背中に背負うようにジェスチャーする。


「あっ、軽いんだね!」


 さくらは篭を背負い、その重量や、質感を確かめている。

 すると突然、篭を背負った状態で、その場でくるりと一回転をした。

 この篭は決してお洒落な物では無いし、どちらかと言えば簡素で不恰好な物だ。

 でもその様子から、女性が新しい鞄を身に付けた時のように、しきりに自身の格好を気にしている。


(ふふふっ。小さくてもやっぱり女性なんだな。オシャレ...か。さくらも興味あるみたいだから、ここら辺も今後の改善に考えてみようかな?)


 身に纏う服から、アクセサリーや、髪飾り。

 現時点でも、裁縫技術はあるのだから、必要になるのは、それらを加工する為の細工技術。


(鑑定した訳では無いけど、見た目で考えれば教会にいるのは人族だけ。他の種族はいないのかな?ドワーフみたいな手先が器用な種族がいれば、話は早いんだけどな)


 ドワーフは基本的に、種族特性として、才能に、細工スキルや、鍛冶スキルと言った能力を持っている。


(でも、先ずは、出来る事をやっていかなくちゃ。鳥の捕獲が上手く出来るか、どうかにかかっている。最悪...屠畜かな)


 さくらの方を見て、不安を感じる。

 僕は、何かを殺す事に抵抗を持っていない。

 それが動物だろうが、魔物だろうが、例え、人だろうが。

 食べる為には、動物を殺さなければいけない。

 生きる為には、魔物を殺さなければいけない。

 それは、人を含めて。

 仮定での話になるが、盗賊が襲ってきた場合、家族を脅かす敵対勢力が現れた場合など。

 もし、その場面が訪れたら、僕は躊躇無く人でも殺すだろう。

 でもそのどれに対しても、さくらは経験の無い事。


(経験しない方が良い事だけど...でも、食べ物に関しては、理解してた方が良いよな?取り合えず捕獲をしに行ってから考えるか)


「じゃあ、さくら。山に向かおう」

「うん!ルシウス!鳥を捕獲するの楽しみだね!」


 こうして僕達は、山登りを開始した。

 その行為は、もはや慣れたもので、舗装のされていない山道をスラスラと登山する。


「♪♪♪~」


 鼻歌が聞こえ始めた。

 うん。

 さくらは、今日も楽しそうだ。

 この事から、僕の中で、とても不思議に感じている事がある。

 さくらは、顔(表情)を隠しているのに、感情は隠さないのだ。

 それは、何故だろうか?

 僕には解らない事。

 でもさくらと一緒にいる事は、何よりも、とても楽しい事なのだ。


「鳥さん♪鳥さん♪」


 鼻歌から変わって、言葉にメロディが乗って来た。

 これは、さくらの気分が上がって来た兆候。

 その陽気な気分が、言葉に感情を乗せて、やがて歌となり、魔力を纏って行くのだ。


(これって感情によって、魔力の性質が変化をしているよな?じゃあ歌に魔法を乗せる事も...出来るようになる?)


 さくらは歌う事で、魔力訓練を自動で行っている。

 それは僕が毎日行っている、魔流訓練、魔纏訓練、魔集訓練と同じように。

 但し、僕は魔力を属性変化させる事は出来無いが、さくらはその時の感情によって魔力の性質(属性)が変化をしている。

 それは、まだ極微小な属性変化だが、確かに魔力の性質が属性変化をしているのだ。


「♪♪♪~」

(うん...僕はさくらの声に、歌が大好きだな)


 歌には歌詞がある。

 その歌詞にはメッセージがあり、メロディーが乗る事で、意味や、感情を、相手に伝えるものだ。

 まだ幼く、拙いものだが、さくらの歌には、それが顕著に現れている気がする。

 今でも魅了されている歌なのに、これが成長したらどうなってしまうのだろうか?


(元の世界では、歌姫って言うんだっけ?でも...それで収まるかな?)


 周囲を見渡すと、さくらの歌に反応するように、山に生息する生物や精霊が陽気に動いている。

 いや、これは踊っているのか?


(とても...綺麗な光景だ)


 幻想。

 ファンタジー。

 物語や、創作物で、そう呼ばれるものが目の前にある。


「...守らなければ」


 気付かぬ内に、ぼそっと声に漏れていたが、僕はこの自然を守る事を。

 さくらの歌(感情)を守る事を決意する。

 そうして山を登って行くと、ようやくお目当ての鳥、フォレストコッコの進化体がいた。

 とりあえず名前は、そのままフォレストコッコで呼ぼうかな。


「さくら、見て。あれが鳥だよ」

「あれが、とり?」


 さくらは、フォレストコッコの全身を凝視して、確認している。


「鳥は手の変わりに翼を持っているんだ。翼を動かす事で空を飛べるんだけど、僕達が捕まえる目の前の鳥は、空を飛ばないもの。フォレストコッコって言うんだ」

「翼...空を飛ばないって、どういう事なの?」


 鶏の原種は、赤色野鶏という鳥。

 空を自由に飛び回る事は出来無いが、一定の距離(数10m位)なら、羽を広げて飛ぶ事が出来る。

 そして品種改良された鶏は、家畜や食用として、都合の良いように変化をして来た品種。

 食用として鶏の体重が増えた事で、飛ぶ為の翼による揚力が、キャパオーバーになってしまったからだ。


「フォレストコッコは、短い距離なら翼を広げて飛ぶ事は出来るけど、他の鳥のように、空を自由に飛ぶ事は出来無いんだ。それは翼で飛翔する力よりも身体の方が重いから、飛ばない鳥なんだ」

「そうなんだ!ふふふっ。本当に、ルシウスは何でも知っていて凄いね!!」


 さくらは前かがみになり、僕の顔をマジマジと見つめた後に、嬉しそうに笑った。

 僕は、さくらの知らない知識を話している。

 それは、5歳児には解らない言葉で説明をしているのだが、さくらはその知らない言葉(知識)を直に理解してくれる。

 まあ、もしかしたら理解では無く、言葉を記憶に留めているだけかも知れないが。


「さくらの方が凄いよ!だって、僕が話す事を解ってくれるんだもん!」


 僕が話す事は、この世界の母親であるアナスターシアや、メリルに、メリダでも、解らない事がある。

 ただそれで、気味悪がれる事が無い事が救いだ。


「だから、本当にありがとう」

「えへへっ。じゃあ教会に戻ったら、私にも文字を教えてくれる?」


 教会内部での識字率は低い。

 文字の読み書きを出来るのは限られていて、黒色修道員以上で、その従者までだ。

 黒色修道員は殆ど教会に居ないので、実質アナスターシアと、メリルにメリダと、僕くらいだろう。

 さくらの母親である、アプロディアに関しては読めそうな気もするけど。


「文字を?」

「ルシウスは教会に置いてある本を読めるでしょ?私も本が読めるようになれば、もっと、ルシウスの力になれると思うの!」


 さくらは、僕の知識は本から得たものだと思っているようだ。

 あながち間違えでは無いが、教会に置いてある本で解る事は少ない。

 この国の歴史や聖典。

 架空の英雄の冒険譚。

 偏りがあるが、魔法についての考察書。

 日常で役立つ豆知識。

 大体そんなところだ。


(まあ、知らないよりかは、知っていた方が役に立つか)

「うん。解った!...じゃあ、約束だね!」


 そう言って僕は、さくらの左手を手に取った。

 さくらの反対側の右手は、胸の前でギュッと握られている。

 さくらには、僕と同じように左手を軽く握って貰い、拳を作って貰う。

 僕は、その握られた拳の状態からさくらの小指だけを取り出して、自分の小指を絡める。

 そして人差し指、中指、薬指は握った状態のままお互いの拳を合わせた。

 すると、お互いに親指だけ自由に動かせる状態となる。

 僕はその状態のままで、さくらに向かって宣言をする。


「教会に戻ったら、さくらに文字を教える」


 宣言をした後は、お互いに浮いている親指の腹の部分をお辞儀させて、親指同士をくっつけた。


「や・く・そ・く!」

「や、く、そ、く?」


 僕の真似をして、さくらが復唱する。

 何をしているのか解らない様子で、さくらの発声はたどたどしいが、その姿は見ていてとても癒される。


「ルシウス?これは...どう言った意味があるの?」

「これは、僕とさくらとの誓いかな。強制力は無いものだけど、僕とさくらで決めた事を守る為の儀式?と言うのかな?え~と、契約みたいなものかな?」


 誓い。

 儀式。

 契約。

 これらのどれも、さくらの知らない言葉だけど解るかな?


「そっかあ。これが、やくそくって事なんだね。ルシウスとのやくそく。ふふふっ」


 さくらが笑っている。

 どうやら何となく意味が伝わっているようだ。

 良かった。


「じゃあ、フォレストコッコを捕まえようか?」

「うん!」

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