058 教会

「ゴーン!!」


 教会の朝は、日の出を知らせる鐘の音と共に起きるそうだ。

 僕は、昨日早く寝た事もあって、その鐘の音で丁度、目が覚めた。

 だが、目が覚めると隣に見慣れぬ人の気配を感じた。


(!?)

「...う〜ん」


 吐息混じりの妙に艶やかな声。

 耳に侵入して来るその音がとても心地良い。

 その場に居るだけだと言うのに漂って来る甘い蜜のような香り。

 鼻腔をくすぐるとても良い匂いだ。

 僕はその人物をマジマジと凝視める。


(そうか...)


 日の当たらない部屋の中。

 その人物の長い髪が僕の腕に乗っている。

 絹のように滑らかな肌触りだ。

 額にうっすらと滲んでいる汗。

 相手の身体の温もりが肌と肌を通して伝わって来る。

 目を閉じているとより強調されている睫毛。

 長くフサフサと重力に逆らって真っ直ぐ上に伸びていた。

 筋の通った綺麗な形の鼻。

 柔らかさと弾力を併せ持った小ぶりな唇。

 女神のように美しい女性だ。


(...そうなんだ。僕は、“転生”したんだった)


 僕の隣で寝ている女性は、転生したばかりの僕(赤児)を拾ってくれた金髪の女性だ。

 知らない人物に知らない部屋。

 いつもと違う光景。

 そう。

 僕は生まれ変わったのだ。

 ラグナロクRagnarφkと言う、ゲーム世界のキャラクターに。

 ただ、そのキャラクターは赤児として退化しているのだけれど。


「...ゴーン!!」

(鐘の音が...全部で5回?)


 静かな早朝の中、鐘が数回音を鳴らしていた。

 もし、時間と言う概念が元の世界と一緒ならば、その回数は現時刻を告げているのだろうか?


(時間の刻み方が元の世界と同じなら、今は、朝の5時って事になるのかな?)


 風を通す為に開けられた木窓には布が掛けられており、太陽の日差しが遮られていた。

 まあ、太陽自体まだ昇っていないのだけれど。

 その為、部屋の中が暗く周囲の状況が確認出来無い。

 それに照明器具のような、電化製品などの便利な文明の利器は無いようだ。


(...ようやく、暗闇に目が慣れて来たようだ)


 暗闇に目が慣れて来たところで僕が最初に見えたものは、照明器具などが無い天井。

 これは憶測になるのだが、僕が居るこの部屋は、隣で寝ている名前の解らない女性の部屋なのだろう。

 でも、何でだろう?

 一人部屋にしては、かなり広く感じる。


(この部屋...一人で暮らすには広いよね?他に、一緒に住んでいる人が居るのかな?)


 今、この部屋の中には金髪の女性以外見当たらない。

 だが、この部屋の広さだ。

 もしかしたら、他に一緒に暮らしている人物が居るのかも知れない。


(部屋の中に他の人の気配は感じないけど...流石に女性一人では無さそうだもんな)


 それは現時点では解らない事だった。

 だが、僕は拾われただけの立場。

 一緒に住まわせて貰っているだけなのだ。

 僕が出来る事は、相手の好意や善意に甘える事だけ。

 もしも、他に一緒に住んでいる人物が居るならば、その相手の迷惑にならないように気を付けなければならない。


(...この世界でも...結局。僕は、他人(ひと)に“生かさせて貰っている”んだな)


 “生かさせて貰っている”。

 それは、人の手助けが無いと生きて行けない事を表していた。

 両親の居ない現実世界で一人。

 初めは病院から始まり、成長と共に施設へと移動し、病気が発症してからはまた病院へと戻る。

 そして、そのまま病院で最期を迎えた。

 ただ、僕自身救いな事は、病院や施設を転々としていた身の為、知らない場所や知らない人に対して、全く抵抗を持っていない事だった。

 まあ、その人物と話すかは、また別の話になるんだけどね。

 そうして生命の期限が定められていた僕の人生。

 周りの協力の下、懸命に生かさせて貰っていたのだ。

 僕は、それに応えようと一生懸命に生きた。

 一番は、自分自身が死にたく無かったからだけど。

 前の人生では相手の好意や善意に甘えるだけで、助けて頂いた人々に恩返しが出来なかった。

 それが生まれ変わった今、後悔として残っていた。

 だが、今の生まれ変わった新しい人生では、好意や善意を受けた恩に対して、しっかりと恩返しをしたい。


(ありがとうございます...いずれ、この御恩をお返し致します)


 僕が成長して自活が出来るようになるまでは、金髪の女性に全力で甘えさせて貰う。

 そして、僕が成長した暁には、自分が貰った御恩に対して持てる知識を最大限利用し、誠心誠意全力でお返しすると心に誓った。


(その為にも、先ずは、言葉を覚えるところから始めないと...)


 まだ、この世界の言葉が解らない。

 女性の名前すら解らない。

 その為、僕が最初にやるべき事は言葉を覚える事だ。

 話せるようになれば、自分の意思を伝える事も、相手の意思を理解する事も出来るのだから。


(僕を拾ってくれた女性には、自分の言葉で、自分の意思で、しっかりと感謝を伝えたいな...)


 そこで、僕はある事を思い出した。

 僕から独立している精神体の一部、思考と記憶を司るプロネーシスの事だ。

 僕が寝ている時、その精身体の一部であるプロネーシスはどうしているのか?

 僕が寝ている時と同じように、その機能が停止しているのか?

 まあ、僕自身。

 寝ている時でも脳自体は休まずに動いているのだけれど。


(...プロネーシス、起きている?)

『はい。マスター。起きていると言う問いに対してですが、私は、記憶と思考の能力が停止する事はありませんので、その活動を休める事がありません』


 やはり、プロネーシスは活動を休める事が無く、絶えず記憶と思考が働いているようだ。

 ただ、その際限の無い容量の多さに僕は驚く。

 プロネーシスは、元の世界のあらゆる情報を記憶している上に、この世界のゲーム時代の情報までを記憶しているからだ。

 そして、今も尚。

 更新されて行く情報と言う記憶。

 その計り知れない膨大な量の情報が、僕の精身体の一部に収まっていると考えると不思議で仕方がない。

 まあ、魔法がある世界だ。

 三次元では無い、四次元の空間があるくらいだ。

 これは理論では説明出来無い事なので、最初からそう言うものだろうと納得して行く。


(...それは、疲れないの?)

『はい。マスター。私が疲れる事はありません。記憶と思考の能力は“世界が時を刻むように当たり前にあるもの”で、言わば止まる事の無い永久機関でございます。偶然にもそこに私と言う意思が加わっただけなので問題はありません』


 プロネーシスは、もともとゲームの才能と言う、記憶と思考を司る潜在能力(特殊能力)。

 そこに、転移と転生と言う偶然が重なった事で、プロネーシスと言う人格が形成されたのだ。

 ただ、あくまでも人格を持つ意思は副産物であり、記憶と思考の能力がメイン機能となっている。

 そして、その副産物には人間のような感情が有る訳では無い。

 その為、意思の磨耗や精神が磨り減ると言った事は、皆無なのだと。


(そうなんだ。...そういうものって事なんだね)


 全部を理解した訳では無い。

 だけど、プロネーシスとは会話が出来る。

 意思の共有が出来る。

 これからの僕は、時間がたっぷりとあるのだから。

 プロネーシスと心の中で会話をしていると突然、この部屋の扉が「ギイ」と音を立てて開く。


(あれっ!?...部屋に誰か入って来た!?)


 突然、部屋の中へと入って来る人物“達”。

 その足音から一人では無いと言う事だ。

 この状況に警戒をしようにも、僕は赤児の状態。

 もし、その人物達に何かをされたとしても防ぎようが無い。


(こんな朝早くに、一体誰が!?)

『マスター、問題ありません。部屋に来た人物達は、この部屋の主の従者です』


 僕の意思を汲み取ったプロネーシスが即座に答えてくれた。

 プロネーシスが僕を落ち着かせるように説明する。

 僕が就寝していた間も、プロネーシスは周囲を記録していて、既に、その人物達を確認していたみたいだ。

 それも絶えず、どんな些細な事も含めて。

 そこで僕は、プロネーシスに対してある疑問が生まれた。


(...プロネーシスって、周りが見えてるの?)


 最初は、僕の精身体の一部と言う事で、僕が見た物をプロネーシスは記憶(共有)しているのかと考えていた。

 だが、僕が寝ている間も、僕が目を閉じて視界が無い状態なのに、プロネーシスは周囲を把握していたのだ。


『はい。マスター。私には直接見ると言う視覚はありませんが、周囲の空間内全てを、記憶・把握しております。ただ、その空間の範囲は、マスターの魔力に依存しておりますが』


 どうやら、プロネーシスに視覚は無いようだ。

 だが、空間そのものを記憶・把握している。

 但し、その範囲は僕の魔力量に比例して、大きくも小さくもなるとの事。

 確かに思い返せば、僕もゲーム時代に集中が増した時、空間を把握すると言う似たような事が出来ていたが、プロネーシスは常時、絶えずにそれをしている訳だ。

 それは、とんでもなく凄い事では無いのか?


(...その範囲って、どれ位になるの?)

『現状の、マスターの魔力量ですと、最大で、この部屋二個分の範囲となります』


 成る程。

 その範囲を空間丸ごと把握出来ているのならば、事前に危険を察知出来る訳だ。

 今の赤児の状態を考えると、プロネーシスの空間把握能力は僕にとって大変助かる能力だ。


(どんな危険があるかは解らないけど、この能力があるなら、事前に察知が出来るって訳だ)

『はい。マスター』


 そうして僕達が頭の中でやり取りをしていると、部屋に入って来た人物達が、隣で寝ている女性の下へとやって来た。

 その人物達は、灰色の修道服を着ている二人の女性。


(灰色の...シスター?)


 実際はどうだか解らない。

 一人は見た目で言えば、15歳前後の女性。

 その女性は長身で、暗くて顔が良く見えないが、茶髪のベリーショート。


(この女性は背が高いけど、14~15歳くらいかな?)


 まだ太陽は昇っていない時間。

 だが、木窓に掛かっている布を外し、窓の外の光を少しでも部屋の中に入れようとしていた。


(まだ日差しは出ていない...だけど、それでも外の方が明るいんだな)


 そして、もう一人は、まだ年端も行かない少女。

 僕が拾われた日に、教会の玄関の前で待っていた少女だ。


(こっちの子は、7~8歳くらいかな?)


 その少女は、小学生低学年位の年齢だろう。

 長身の女性と同じように茶髪だが、こちらの少女は肩に掛かる位の髪の長さだ。

 幼いのに迷い無く行動をしている。

 少女が金髪の女性の下に来て、優しく身体を揺さぶる。


「■■■■■■■■■。■■■■■■■■」

(おはようございます。アナスターシア様)


 言葉は相変わらず解らないまま。

 だが、その従者二人の行動から、金髪の女性を起こしに来ている事が解る。


「う...んっ?」


 金髪の女性は、二人に起こされる事でようやく目を覚ます。

 すると、起こされた金髪の女性は、寝起きで頭が働いていない状態だと言うのに、「バッ!」と身体を起こしては直ぐさま僕の事を気に掛けた。

 何故だか、心配そうな表情を浮かべたまま僕の顔を覗き込んでは、何処か少し安心したようで、その後、僕の額に女性の額を重ねて何かを確認して来た。


(近っ!?)


 それは、最も原始的なやり方だが、きっと僕の体調(体温)を確認しているのだろう。

 そうして僕の体調の無事が確認出来ると、金髪の女性は「ホッ」と息を吐き、ようやく安心をした表情を見せた。

 その時。

 「ニコッ」と優しく微笑んで、言葉を何か喋る。


「■■■■」

(おはよう)


 僕は、女性に何を話し掛けられたのだろう?

 その言葉を理解する事が出来なかった。

 でも、何となく。

 その言葉は挨拶なんだろうと感じた。

 ただ、その言葉よりも、金髪の女性の美しく優しそうな笑顔の方が、とても印象に残った。


(女神の...微笑み?)


 もし、そのシーンを切り取って、絵画で描かれていたのならば、芸術として後世まで一生残り語り継がれて行く物だろう。

 笑顔で包み込む無償の愛として、女神の微笑みとして。

 

(ああ。やはり、この人の笑顔はあたたかいな...)


 今の僕には、もう知る事が出来無い事だ。

 だが、僕に母親が居たのなら、「母親とは、こんな感じだったのかな?」と考える。

 そして、解らない言葉に関しては、出来る限り早めに理解して行こうと。


(うん。言葉は少しずつ覚えて行こう)


 その間も、灰色修道服の女性達は行動をしていた。

 どうやら、金髪の女性の身の回りの世話は、灰色修道服を着ている二人の女性が全てを担当しているみたいだ。

 後に知った事だが、灰色修道服の女性達は、先に自分達の身を清めてから此処に来ている。

 そうして自分達の準備が出来てから、主(あるじ)である金髪の女性を起こすのだ。

 目を覚ました金髪の女性は、着替えから身の清めと、灰色修道服の二人にして貰う。

 身を清める場所は井戸場がある教会の外では無く、部屋に付属している水捌けの良い小部屋。

 そこは水瓶が置いてあるだけの、簡易な風呂場(?)になる。

 身を清めると言っても、シャンプーや、石鹸などは無く、身体を水で流して拭うだけ。

 その際、灰色修道服の女性達が魔法で水をお湯にしていたが。

 現代文明のような水を一瞬でお湯にする便利な魔法具などは無いようだ。


(ここは一度壊れてしまった世界...ゲーム時代の文明も、魔法具も、リセットされたって事なのかな?)


 明らかにゲーム時代よりも文明が低くなっている生活様式。

 ゲーム時代も、九つの世界によっては進んでいる文明はバラバラだったが、此処まで酷いものでは無かった。

 やはり、“世界が今一度、何も無いところからやり直している”とそんな感じを受けた。

 そして、金髪の女性の身体を清め終わると、白と青色の修道服に着替えをする。

 ただ、修道服への着替えも、金髪の女性本人がやらずに、必ず灰色修道服の女性達主体で着替えていた。

 身の回りのお世話は、全て二人の従者がやるみたいだ。


(主従関係...ここは、貴族社会になるのかな?)


 元の世界にも昔にあった制度だ。

 文明の向上や、人権の確保により廃れた制度だが、この世界では、まだそれがあるのかも知れない。

 そうなると、生きて行く上でいろいろと面倒になりそうだ。

 だが、まだ断言する事は出来なかった。


(一般人が虐げられる世界で無ければ良いんだけど...ここでは平民になるのか?)


 そうして一通りの準備が終わった時。

 全員で部屋の奥の祭壇へと向かい女神像に祈りを捧げる。

 これは全員が例外無く、地面に膝を着いて行われる。

 金髪の女性を筆頭に三角形を作り、灰色修道服の女性達が後ろに控えた形で。

 祈りを捧げる際に、何やら言葉を喋っているのだが、雰囲気的に感謝を述べているのだろう。


(これって、感謝の言葉を言っているんだよね?...何だか、ゲーム時代の呪文に似ている?)


 灰色修道服の女性達は、金髪の女性が述べる言葉に復唱してお祈りを捧げている。

 全員で祈りの言葉を述べて行くと、女神像の真下にある魔法陣が白色に光り出した。

 それは、祈りを捧げるごとに、魔法陣へと魔力が広がって。


(魔法陣?じゃあ、女神像は魔法具なのか!!)


 魔法陣が白色の魔力で満たされると、今度は、魔法陣の上に設置してある女神像に魔力が集まり始めた。

 どうやら、女神像に魔力を溜めているらしい。

 女神像は魔法具のようで、教会に取って何らかの役割を持っているみたいだ。

 ただ、この時は、女神像に魔力が溜まるだけで終わってしまったが。


(あれっ?何も起こらない?...ただの...神への祈り?...だけど、もう、そんな存在は居ないんだよな)


 ゲーム時代に居たアース神族や、ヴァン神族と言った神々は、現実化した際に殺されてしまった。

 世界の浄化として、あの忌々しい四体の魔物に全員が殺されたのだ。

 だが、そこである事に気付く。


(あれっ!?現実化した時に、世界中の人々も殺された筈だけど...目の前に居る?)


 現実化してからの創造神達との戦い。

 その戦いは、まさに“最後の審判”と呼ばれるものであった。

 世界に存在をしていた人々(NPC)や神々、そして、プレイヤーの死を、目の前で体験をした。


(全員、死んだ筈なんだよね?...いや、世界には生き残りが居たって事か?)


 だが、目の前には、こうして生きている人達が居た。

 と言う事は、あの戦いの生き残りがいるかも知れないと言う希望。


(じゃあ、神々にも...もしかしたら、プレイヤーにも生き残りが居る?)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る