073 決意
教会での日課である朝の作業が終わり、自由時間となった頃。
僕とさくらは、文字を教えると言う約束を守る為に教会の広場で合流をしていた。
「じゃあ、約束通り文字の勉強を始めようか?」
「ルシウス、ありがとう!」
これから文字について教えて行くのだが、元の世界のように“紙”と“鉛筆”がある訳では無い。
さくらに文字を教える為には、地面を紙として、鉛筆を枝に置き換えて、地面に文字を書いて教えて行く。
「今から地面に文字を書いていくんだけど、最初は、どういった文字があるのかを見て貰っても良いかな?」
「うん!」
僕は地面に、この国で使用されている全二五文字を書き出して行く。
この文字は、元の世界で言えばギリシャ文字に近く、アルファベットへと進化して行くその前の行程で止まっている感じだ。
当然、文字一つ一つに決められた読み方がある訳だが、それらを組み合わせる事で違う意味を持つようになる。
「これが僕達の住む、王国マギケーニヒライヒで使われている文字だよ」
「王国で使われている文字?それは、国によって変わるって事なの?」
さくらは僕が話した、「王国マギケーニヒライヒで使われている文字」に反応を示す。
これがこの世界の共通語なら良いのだが、国や地域によって文明は変わるものだ。
他の国が、どのように発展しているのか解らない現状では、不確かな事は言えなかった。
「僕も今は、この国の文字しか知らないから確証は持てないのだけれど、国が変われば、使用する文字や言語も変わり、当然、話す言葉も違ってくるものなんだ」
「国によって変わる言葉...なんだか、想像つかないね?」
世界を知らなければ、国によって文明が違うと話したところで想像がつかない話だとは思う。
殆どの人は、自分の居る国から出る事は無く、ましてや自分の住む街から出る事も無く、そこで生涯を終えるのだから。
自分の手の届く範囲で物事を考える事が、極当たり前の行為なのだから。
「ここ以外に、どんな国があるのかも解らないからね...で、話は戻るんだけど、地面に書いたこの二五文字を組み合わせたものが言葉になるんだ」
「言葉...私達が今話しているものが、言葉で良いんだよね?」
文字は知らないが、言葉は解る。
言葉は他人との意思疎通やコミュニケーションを図る為に生み出されたもの。
そして、この国では親から子へと引き継がれて来た文化だ。
「そう。僕達が話しているものが言葉。その言葉を話さずとも相手に伝えるもの、記憶する為のものが文字なんだ」
「言葉を伝えるもの...記憶するもの...何だか、それは凄いね!!だからルシウスは、沢山の本を読んでいるから何でも知っているんだね!!」
教会にも、本が幾つか置いてあった。
この国の本は、“羊皮紙”と、“インク”を使用した一点もので、とても高価な物だ。
それが教会には存在しているのだ。
元の世界を知っている僕からすれば、此処での暮らしの水準は現代と比べたら低いもので裕福とは言えない。
だが、この街で考えるなら良い方なのだ。
教会に住む、40名近くの人が暮らしていけている事。
野菜中心だが全員が食事を取れる環境。
病気以外での致死率の低さ。
それらを考慮し、周りと比べると教会は良い暮らしになってしまうのだ。
「じゃあ、一つ一つの文字の読み方から説明するね」
「はい!ルシウス先生!」
さくらが僕の事を先生と呼んでいるが、これは決して茶化している訳では無く、とても真剣なやりとりだ。
僕は、元の世界で誰かに何かを教える事など全くした事が無かった身。
なので、今この状況(偉そうに人に教えると言う事)が少しむず痒い。
でも、自分の事で精一杯だった僕が、誰か人の役に立てる事が、とても嬉しく思っている。
自分の姿を俯瞰して見られる訳では無いのだが、きっと口元が自然に緩んでいる事だろう。
「この文字の読み方は…」
そうして僕は、さくらに文字の読み方を一文字ずつ説明して、全二五文字の説明を終える。
すると、さくらは僕が文字を発音した音に続き、復唱をしては地面に同じように文字を書いて覚えようとしていた。
「えーっと、この文字が...で、これは...だから」
僕は、さくらの一生懸命な姿に心が惹かれる。
何か行動を起こす時に手を抜く事やサボる事は簡単に出来てしまう。
でも、さくらは、そう言った事を全くしないのだ。
道から逸れて近道をしたり、先回りをして誤魔化すのでは無く、真っ直ぐに進んで、その道のり全てを自分の力へと吸収して行く。
この行動が、志が僕と同じな為、とても共感出来るのだ。
(手を抜いたりサボる事は簡単だ。でも、それをせずに...こうして物事に、真摯に挑戦する姿が格好良いんだよね!!)
人にはそれぞれ性格がある。
それは一人一人が違い、良い部分や悪い部分も含めて個性となる。
個性とは、自分特有の性質であり、自分らしさを表すもの。
それは、自分の外側(表面)にあるものでは無く、内側(内面)にあるものだ。
隠したり、偽造が出来たとしても、人が持つ本質までは中々変えられない。
(本質ばかりは中々変えられないものだ...それに、教えたら教えた分だけ吸収するなんて凄過ぎるでしょ!)
これだけ物覚えが良いとなると、さくらには才能(ギフト)として成長補助の能力があるのかも知れない。
これはまだ憶測に過ぎないのだが、もし、その才能が有ると過程して、ゲーム時代と違って、この現実化した世界で何処まで成長する事が出来るのか?
これがとても楽しみである。
「じゃあ、文字については理解したみたいだから、次は、この文字を組み合わせて言葉にしてみようか?」
「うん!お願いします」
勉強を始めた初日と言う事もあるので、さくらの集中力が持つ範囲で、知識を頭に詰め込んで行く。
先ずは、自分達に関わりのある言葉や名前から教えて行くつもりだ。
「これとこの文字を繋げると...これで、さくらって読むんだよ」
「これで、さくら?...私の名前だね!」
さくらは、自身の名前を表す文字を知って、とても嬉しそうだ。
この世界では、自分の名前すら読み書き出来ずに人生を全うする人間が殆どなのだから。
文字を読み書き出来るだけでも仕事に就けてしまう。
そんな世界なのだ。
「これが僕の名前、ルシウス。これが、さくらのお母様、アプロディア様、僕のお母様、アナスターシア様、そして、メリル様、メリダ様」
「これが、ルシウスに、お母様、アナスターシア様、メリル様にメリダ様。ルシウス!文字は凄いんだね!!」
さくらが僕の方へと振り返り、その文字に感動をしている。
文字は、言わば一つの記号で、複数の意味を持つものだ。
単体でも意味を成し、組み合わさる事で、その意味は変化をして行く。
文字を理解すれば、他人との意思疎通をより詳細に出来るのだ。
「じゃあ、この文字を書き写しながら覚えて行こうか?」
「はい!ルシウス先生!」
さくらが片手を上に真っ直ぐ上げて、元気良く返事をした。
名前を表す文字を地面に書いては消してを繰り返し、目と身体で覚えて行く。
「文字♪言葉♪名前♪」
やはり、どんな時でも歌は忘れないようだ。
でも、本人が楽しく勉強をしている時の方が知識は身につくものだ。
それに、歌えると言う事は心に余裕がある状態。
これが勉強を嫌々やらされている状態では、集中が出来ていない状態になるので覚える事に苦戦をしてしまう。
(本人の希望あってのものだけど、学びながら楽しめる事が一番だよね...僕も、もっと色々な事を覚えて行かないとな...)
僕が、さくらの行動を見守りながらそんな事を考えていると、僕達の背後から声を掛けられる。
「ルシウス?こんなところで何をしているのですか?」
声を掛けて来たのは教会の最高責任者であり、僕の母親である、アナスターシアだ。
僕は周囲に魔力を広げていた為、その人物が誰なのか解っていたが、さくらは突然の事で驚いていた。
さくらは慌てて文字を書く事を止め、姿勢を正して僕の隣に並んだ。
僕は僕でアナスターシアの方へと向き直し、先程の問いの返事をする。
「はい。お母様。ここで文字の勉強をしていました」
「文字の勉強...を?...ルシウスは、文字が読めるのですか!?」
アナスターシアが、まさかと言った様子で驚いている。
ただ、その際、驚いた表情や態度を見せていると言うのに、それでも気品を感じてしまうのだから素直に驚嘆する。
人間の本性が現れるのは、こう言った咄嗟の時なのだから。
「はい。このように地面に文字を書いて、さくらと勉強をしていたところです」
僕は地面に書いた文字を指しながら説明する。
実物を見て貰う事が手っ取り早いのだから。
「これは...私達の名前ですか?まさか、この年で文字を覚えているなんて...」
アナスターシアが口元を押さえながら深く思慮してしまう。
元の世界ならば、簡単な読み書き程度なら既に覚える年齢だが、此処ではそんな事があり得ない世界。
しかも、僕達の年齢が5歳なのだから。
「ルシウスは、文字を一体何処まで理解していますか?」
アナスターシアが言う理解が、何を指しているのかが僕には解らなかった。
ありのままの事を答えるしか出来無かった。
「...理解ですか?それでしたら、教会に置いてある本や文字については全て理解していると思います」
たぶんだが、古い文献に出てくる言葉だろうが、私生活では使用しない言葉だろうが、読み書きなら十分に出来るだろう。
それはプロネーシスがいる事が大半だが、僕自身に元の世界での教養があるおかげでもある。
まあ、教養と言っても学校で習う程度の知識しか無いのだが。
「ルシウス...それでしたら、確かめたい事があります。私に付いて来て頂いても宜しいですか?」
アナスターシアが、神妙な表情で僕に問い掛けた。
これは、急にどうしたのだろうか?
普段、見た事も無いような表情だ。
「はい、お母様。ですが、どちらへと向かわれるのですか?」
「ええ。それは聖堂へと向かいます」
いやいや、聖堂に向かって、どうするのだろうか?
あそこには女神像と、それらを祭る為の神具と呼ばれる模造された武器が置いてあるだけだ。
その神具も魔法具では無く、ただの見た目の良い飾り物でしか無い。
「お母様...それでしたら、さくらは如何なさいますか?」
「そうですね...さくらにも関係がある事です。一緒に来て貰いましょう」
そう言ってアナスターシアは、僕達を連れて聖堂へと向かった。
さくらにも関係がある事?
それは、どう言う事だ?
そんな事を考えていたのだが、もともと僕達がいた場所が教会の広場になる為、聖堂には直ぐ着いてしまった。
「では、ルシウス。こちらに来て下さい」
アナスターシアは聖堂に入ると、一目散に女神像が置いてある場所へと向かった。
どうやら、此処にも聖典が置いてあるようだ。
基本、教会には書物部屋があり、そこに本が集約されている。
それなのに、これは別に保管されているようだ。
これが聖典の原本なのか複製なのかは解らないが、教会には2冊置いてあるみたいだ。
「ルシウス、これが何か解りますか?」
アナスターシアは聖典を手に取り、僕に問い掛けた。
「はい。お母様。この世界の起源を記した書物で、教会における聖典です」
僕がそう答えると、アナスターシアの驚きは、より一層大きくなった。
「まさか、内容を理解しているだなんて...ルシウス。聖典を受け取って、読んで見て下さい」
「はい...お母様」
僕はアナスターシアの対応を見て、得体の知れない不安を感じる。
だが、言われた通りに聖典を受け取るしか無いのだ。
(何だろう?お母様がこんなに慌てているだなんて...)
一呼吸挟んで、僕は受け取った聖典を開いた。
その開いた聖典は、何も文字が書かれていない白紙の状態だ。
(あれっ?中身が無い?)
書物部屋に保管してある聖典を初めて開いた時も中身は真っ白だった。
だが、瞬きをしたその短い刹那に、聖典にはビッシリと文字が浮かび上がっていたのだ。
(いや、違うか。これもやっぱり文字が刻まれているようだ...僕の気の所為だったのかな?)
前回の時も合わせて、これが二回目。
だが、これらの出来事が一瞬の為、僕は気にせず、言われた通りに聖典を読み上げる事にした。
「始まりは、“白の女神”と、“黒の神”が、お互いに別々の場所で同時に生まれた。その両方の神が惹かれ合うように、お互いに導かれて行く事で、触れ合って混じった結果、世界が創られた」
僕が内容を読み上げて行くと、教会の地面に隠蔽されていた魔法陣が光を伴って浮き上がって来た。
初めての出来事で困惑する僕。
このまま読み続けて良いのか、アナスターシアの顔色を伺った。
だが、アナスターシアは、そのまま続けるように縦に頷いた。
これから何が起きるのか予想出来無いと言うのに、僕は言われるがままに聖典を読み上げていった。
「その時一緒に生まれたのが、“時”、“空間”、“生命”の三柱の神。
三柱の神が生まれた事で、世界に時が刻まれるようになり、世界の空間が広がり、世界に生命が誕生した」
隠蔽されていた魔法陣が完全に出現し、白い光で輝き始めた。
すると、僕の身体から勝手に魔力が噴き出し、その魔法陣へと吸われて行く。
僕の持つ魔力の大半が、この魔法陣へと根こそぎ持っていかれる感覚だ。
そして、僕が聖典を読んでいる最中、アナスターシアが何かを確信したような表情で頷き始めた。
「そして、世界に生命を維持する為に、“火”、“水”、“風”、“土”の四柱が、三柱の神によって生み出された。土の神が世界の基盤となる自然を作り、火の神がそれを成長させる。風の神が実りを与えて、水の神が休みを与える」
僕が魔力を奪われながらも聖典を読み終えた時、魔法陣から光の柱が出現し、建物を通過しながら天高く立ち上がった。
(あれ?これって才能(ギフト)を受け取った時の演出に似ているのか?)
僕がまだゲームを始めた頃、正式サービスを開始する前に、β版をプレイした褒美に貰ったアイテム『神の贈り物』。
それを使用した時の演出に似ているが、世界を統べていた筈の主神オーディンは死んでいる。
案の定、光の柱が天高くそびえるだけで、その後は何も起きなかったのだから。
(何も起きない?あの時のように天使が降りて来る訳でも無いし、勿論、主神も降りて来ない...身体に変化は...魔力をだいぶ失っているようだけど、特に変化は無さそうだな)
僕は、自分の身体の変化を確かめながら経過を待ってみたが、どうやら、魔力を失っただけで変化は何も起こらなかった。
この魔法陣と光の柱の効果が解らず、首を傾げるだけ。
すると、アナスターシアが小声で何かボソボソと呟いている。
「神子...やはり...お告げの通りのようですね。ですが、このままでは教会...」
神子?
お告げ?
教会?
これらの言葉は何を意味するのだろうか?
「ルシウス...貴方には、今後苦しみを伴う試練が訪れます」
アナスターシアが、然も未来が解っているような感じで僕に話し掛ける。
僕の顔を優しく触れながら。
「それは...きっと、ルシウスの選択が世界の命運を賭けるような試練です...」
そう言うと、アナスターシアは僕をきつく抱き締めた。
おもむろに力一杯。
それでいて震えながらだ。
「さくらも、こちらにおいでなさい」
「はい...アナスターシア様」
アナスターシアは、先程から不安そうに棒立ちをしていたさくらを呼び込む。
さくらも言われるがまま、アナスターシアの下に飛び込んだ。
「大丈夫...貴方達は...二人なら大丈夫だから」
僕達二人を、その両手で包み込むように抱き締めた。
“二人なら大丈夫”。
アナスターシアの言葉数が極端に少ない為、色々と謎が残ったままだ。
どうすれば良いのかも解らない。
(二人なら大丈夫って、一体どう言う事だ?僕だけでは無くて...さくらも一緒なら?)
アナスターシアも、それ以降語る事が無く、ただただ黙ってしまった。
どうやら、今直ぐに解決が出来る訳では無いようだ。
それなら、僕が出来る事は何になるのか?
(これは、今の内にさくらも一緒に訓練をした方が良いのか?それとも...一体、僕はどうすれば良いのか解らないな...いや、この考え方そのものが違うんだ。僕がどうすれば良いのか何てそんな事は既に決まっている事だろ!何が起ころうとも、僕が誰よりも強ければ問題無い筈だろ!!やる事は変わらないんだ!!史上最強を目指す事!!ただ、それだけなのだから!!)
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