077 公正

「プロネーシス!今一度、真の英雄を目指して頑張ろうね!」

『はい。マスター。全てにおいて、史上最強の英雄を目指して頑張りましょう』


 こうして今日は、振り返りをして昨日の出来事を見つめ直す日となった。

 僕が今日みたいに訓練を含めて何もしない日は、転生後初めてだった。

 赤児の時でも、魔力操作の訓練に明け暮れていたのだから。

 だが、何もしない一日は身体を休める(回復させる)事にも、精神を休める(回復させる)事にも繋がった。

 でも、僕の中で一つだけ心配な事がある。

 それは、さくらの様子だ。

 魂の回廊を繋げる事で、お互いに魂を共有する事で、傷は残らずに元の状態へと戻った訳だが、熊に襲われたと言う恐怖を体験した事。

 それが、心にどう影響しているのかが解らなかった。


(トラウマになっていても、おかしくない出来事だったよな...教会に戻っている最中だって、さくらは「ルシウス気にしないでね」って笑顔で言ってくれたけど...あんな状態になっても、自分の事より僕の事を心配するだなんて...)


 僕は、生命の危機が訪れた時に自分の生命よりも他人の生命を気遣えるのか?

 そんな疑問が頭の中をずっと駆け巡っていた。

 だが、僕はまだ自覚していないらしいが、プロネーシスから見た僕も同じだと言う。

 自分の限界を超えて、さくらを護った事。

 寿命を減らす事を気にせずに、さくらを助けた事。

 それらの行為がまさにそうなのだと。


『マスターは、自覚していませんが、自分の事よりも、しっかりと相手の事を想いやっておりました。ただ、この行動は何か特別なものを感じます...これは、私にはまだ理解出来ていない、特別な感情なのかも知れませんが』


 これは、プロネーシスが僕に伝えなかった想い。

 魂を共有する以前から、僕とさくらは何か特別なもので繋がっていたと感じていたようだ。

 それがどのようなものなのかは、説明が出来無いみたいだけど。




 そして、完全休養日を経て日付が変わった次の日。

 今日は、僕の母親であるアナスターシアに、孤児院の運営の事で相談をしようと思っている。

 教会で生活をして行く上で、様々な環境を改善する為にも人手が必要になるからだ。

 元からあった教会の畑や穀物のお世話から収穫などは、孤児の皆が担当している。

 その流れで、新しく始めた石鹸作りに、養鶏、鶏卵の手伝い。

 これから着手する、衣類や装飾品の作成。

 そして、それらを販売する事でお金を稼いで行く、その為の準備だ。


「ルシウス。では、今日はこの曲が良いかしら?」


 今は、アナスターシアの教会や孤児院における個人業務が終わった後のフリー時間。

 僕が身体操作の訓練を始めてからは、この時間が減ってしまったと嘆いていたが、一週間に一度は必ず一緒に居るようにしている。

 このように成長した今でもアナスターシアの音楽を聴きながら、二人で雑談をしているのだ。

 その時、アナスターシアが僕の名前を呼ぶ時は、いつも優しく語り掛けて微笑んでいた。

 演奏する曲は、その日の気分によって違うのだが、どれも心地良いものばかりだ。


「はい、お母様。楽しみです!」

「では...♪♪♪~」


 ハープに似た楽器で、曲を奏でる。

 曲によって強弱はあるのだが、一音一音、音の粒が揃えられていて、自然と曲に感情移入が出来てしまう。

 僕は今日までに、様々なアナスターシアの演奏を聴いて来た。

 それは、どれも素晴らしく、自然と聴き入ってしまうものだ。


「♪♪♪~」


 一度、アナスターシアに「どうしてそんなに、歌に感情がこもっているのですか?」と聞いたところ、驚く事にアナスターシアは、歌に感情を込めて演奏をしている訳では無いとの事だった。

 それは僕には難しい話だったが、感情を込めて演奏してしまうと、感情の制御が出来ずに人が聴くのに耐えないものになるらしい。

 あくまでも聴かせる為の抑揚であり、それらは技術の集大成なのだと。

 決して独りよがりでは無い、感情が込められているように感じさせる技術なのだと。


(僕には、演奏の事は解らないけど、それでも、お母様の演奏は素晴らしいものだと思う)


 何が、良い歌なのか?

 何が、良い曲なのか?

 それは、人の主観によって変わるものだろう。

 万人受けする歌(曲)は作れるかも知れないが、それは全員が良いと呼べる物では無い。

 全ての他人が良いと思える歌(曲)。

 そんなファンタジーな魔法の歌(曲)があれば、世界は争いの無い平和な世界になるのかも知れない。


(そんな歌(曲)があるなら、一度は聴いてみたいよね。でも、ここは魔法がある世界。ここでなら実現出来るのかも知れない...よね?)


 そんな夢物語みたいな歌(曲)。

 僕は、アナスターシアの演奏を聞きながら、ふと頭の片隅でそう考えていた。


「♪―...」


 アナスターシアの演奏がフェードアウトをして行く。

 心地の良い音色。

 その音の残滓までもが芸術の域に達していた。

 僕は、自然と拍手を鳴らしていた。


「お母様。今日の演奏も、とても素晴らしかったです!」

「まあ、ルシウスったら。お世辞でも嬉しいものね」


 アナスターシアは少しおどけた様子で、口に手を沿えて隠すように口を開いて驚いていた。

 マナーと呼ばれる物が浸透をしていないこの世界でも、その作法はお淑やかで綺麗なものだ。

 この世界のマナーは、元の世界のマナーと比べると、簡易なものやあまり上品では無いもの。

 それでも出来る事を最大限、丁寧に見せている。

 そして、アナスターシアは僕が褒めると、とても嬉しそうに笑ってくれる。

 その笑顔は可愛さも美しさも両方兼ね揃えた、とても美しいものだ。


「お母様本当ですよ!決してお世辞ではありません!僕はこの時間がいつも楽しみなのです!」

「ルシウス...ありがとう」


 この時のアナスターシアの表情が、とても印象的だった。

 何処か切なさを含んだ、感情を無理矢理押し殺しているような、そんな苦しそうな笑顔だった。


(お母様が、作り笑顔?...でも、ありがとうは本心から出ていた言葉だし...)


 僕は出生後の環境もあって、他人の感情の機微に敏い。

 独りでは生きられなかったからこそ、他人の顔色を伺って生きて来た結果でもある。

 でも、アナスターシアが言ったありがとうは、その本心から来るものだと言う事が伝わった。

 作り笑顔は、僕の気の所為かも知れない。


「さて、ルシウス。今日は、どんなお話を聞かせてくれるのですか?」

「お母様。今日はお話では無く、相談でも宜しいですか?」


 これまでは、僕がその日した事をアナスターシアに話して来た。

 山に登って広場で遊んだ事(本当は訓練をしていた事)や、さくらと一緒にオリーブを取りに行った事。

 オリーブオイル作りや川まで水を汲みに行った事。

 そして、石鹸作り。

 勿論、先日熊の魔物と対峙して瀕死になった事は内緒だが。


「ルシウスが私に相談ですか?それは、私で対応出来る事かしら?」


 アナスターシアは許容範囲が広い。

 通常ならば、子供だけで山に行かせる事は現代社会ならあり得ない事。

 だが、この世界では子供でも山に行って木の実を取ったり、大人と混じって畑を耕したり、掃除や洗濯をこなさなければならない。

 これらの行為は何ら特別な事では無く、この世界では生きる為に当たり前の事なのだ。

 ただ、アナスターシアは僕の事をそれ以上に特別視しているようだが。

 自分でも会話において内容を制限していないので仕方無い部分ではあるが、周りの同年代や年上の孤児と比べても、明らかに知識があるのだ。

 これは、普通の事では無いのに、魔法やスキルがある世界の為、怪しまれる事が無い。

 よく「何でそんな事を知っているんだ?」みたいな展開があるけど、魔法がある時点でそんな常識は崩れるものだ。

 剣技のスキルがあれば、僕と同じ子供でも簡単に剣を扱える。

 裁縫のスキルがあれば、僕と同じ子供でも簡単に衣類を作れる。

 それらは何ら特別な事では無く、スキルの恩恵と理解しているのだから。

 なので、アナスターシアは僕がやる事を一度も否定した事が無い。


「はい。お母様。それは、孤児の皆で物作りをしたいのです。それぞれ人によって得意な事は違うと思いますが、皆のその特性を活かしたいのです」

「特性?」


 基本、教会では修道員になる事が、当然の目標。

 それは、能力によってランクが変わるものだが、大多数の人は、灰色修道員で人生を全うする。

 なので、個人の特性を活かす事など考えた事が無い。


「はい。孤児の皆にも得意な事が違うでしょう?裁縫が得意な者や、細工が得意な者。もしかしたら、剣が得意な者だって、魔法が得意な者だっていますよね?ならば、その得意な事、個人の特性を活かしたいのです。お母様は、僕が石鹸を作った話を聞いてくれましたよね?あの石鹸は教会だけでは無く、街にも必要な物です。この世界では、病気で死ぬ人が殆どなのでしょう?何故なら、石鹸はそれを防げる物ですから」

「まあ!そんな効果があったのですね?流石はルシウスです!」


 何故か、アナスターシアが僕よりも誇らしげだ。


「お母様。現状、石鹸は売れる物なのです。手始めに、孤児の皆で石鹸を作って商売に繋げたいと思っています。そうする事で親のいない孤児でも、商人や作成者として暮らす事が出来ます」

「ルシウスは、そんな事まで考えているのですね...ええ、勿論。ルシウスの好きなようにして良いのですよ」


 こんなにあっさりと了承してくれるには訳がある。

 この教会ではその限りでは無いが、本来、孤児の寿命は短いものだ。

 そして、親のいない環境の孤児を助ける者など、アナスターシアを除いて誰一人としていない。

 教会に住む者は、アナスターシアの方針を受け入れているので、分け隔てなく接しているが、他の場所では、そのままのたれ死ぬのが通常。

 なので、親のいない孤児が普通に生きていけるだけで奇跡に近いのだ。


「お母様。ありがとうございます。養鶏も、鶏卵もですが、行く行くは、他の物作りにも着手して行きますが宜しいですか?」

「ええ、問題はありませんわ。ですが、唯一つこれだけは守って下さい」


 アナスターシアが今までに見た事も無い、神妙な表情で僕に言った。

 これは、初めての展開だ。


「はい。お母様。えぇっと、それは、何でしょうか?」

「それは、どんな事が起きても最後までやり遂げる事。決して...後悔しないで下さいね」


 何だ、そう言う事か。

 アナスターシアが、神妙な表情で言っていたから身構えたけど、それだったら自身を持って言えるよ。


「はい。お母様!必ず最後までやり遂げて見せます!!」

「ええ、ルシウス...それでしたら私は問題無いわ」


 アナスターシアは、今日一番の笑顔を見せてくれた。

 だけど、何故か僕には、その笑顔が哀しんでいるように見えた。

 僕は、人が抱いている裏の感情を読み取る事が出来るのだが、人生経験は短い。

 僕自身、まだ知らない感情も、経験をしていない感情も、沢山ある。

 正直、あの笑顔に込められた思いは、僕には解らなかった。

 だが、孤児の皆で物作りをする事を、アナスターシアに了承を得る事が出来た。

 これで、僕とさくらの二人で行うよりも、ずっと早く改善が出来る。

 教会の皆が豊かになれるように、街の皆が豊かになれるように、そして、この国がもっと豊かになれるように。


「公正な世界を目指して頑張るぞ!」

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