060 新名
“ルシウス”
それが、僕の新しい名前だ。
5年と言う歳月を得る事で、すっかりと馴染む事が出来た名前。
ただ、僕がゲーム時代のキャラクターに命名したルシフェルに似ているのは気の所為なのかな?
と言うか、こんなにも名前が似る事ってあるのか?
まあ、今となってはそんな事を気にしても仕方無いんだけどさ。
このルシウスと言う名前は教会の最高責任者である、青色修道服のアナスターシアが命名してくれた名前だ。
アナスターシアは、僕を森から拾ってくれた金髪の女性その人である。
そして、この教会には僕みたいな親のいない孤児が沢山住んでいた。
(僕がこうして生きていられるのも、アナスターシアさんに拾われたからだよね...見ず知らずの赤児を育てるのって考えるよりも大変なんじゃないかな?)
元の世界でも、親のいない孤児は数え切れない程いた。
それでも里親になってくれる人、養子に迎え入れてくれる人は限られていた。
見ず知らずの子供を育てるのは、お金が掛かるのは勿論、労力が途轍も無く掛かるものなのだから。
決して、人の善意だけでは成り立たない行為なのだ。
(元の世界では、結局アナスターシアさんみたいな人物に出会う事が無かったもんな...僕は、施設や病院で育って来たけど、皆、国からの補助金がありきだったもんね...)
知らない他人に衣食住を提供する事は、慈善行為だけでは出来無い。
そこには、自分の利益に繋がる部分が無ければ難しい事だからだ。
他人の為に衣食住の三つを揃えるのは、そのバランスも大切になるのだから。
(本当...お金が幾らあっても足りないもんな。子供を育てるって、大変な事だよね)
“衣”に関して、子供の成長は早い為、衣服を揃える事が大変だ。
誰かからの御下がりを貰えるなら別だが、何も無いゼロから揃えるとなると、お金は煙のようにあっという間に消えて行く。
しかも、子供は衣服を汚して行くものだ。
ボロボロになってしまえば、周りの視線も気になって来る。
その為、同じ服を着続ける訳には行かない。
替えの洋服を数日分用意し、成長したらその都度、変更しなければならないのだから。
(まあ、僕は替えがあったと言っても、ほぼ通院着だけだったかな)
“食”に関して、食事を用意するには食材費、それらを調理する時間が掛かる。
ただ、食べるだけで済むなら、最低限で問題は無いのかも知れないが、栄養を考えるならば、バランスの良い献立を、お肉、お魚、野菜、穀物と揃えなければならない。
更には、その人の健康を考えるならば野菜中心で食事を取り、摂取量から栄養の内含量までを考えた食育をしなければならない。
食事を行うだけでも考え出したらキリが無いのだ。
勿論、美味しさを求めれば、更に手間が加わる事になる。
(僕は、ずっと点滴だったな...)
“住”に関しては、人の生活の基盤となる部分。
自分の生活を守る為にも、自分と関わりを持つ者の生活を守る為にも、住居があるのと無いのでは生きていく上で雲泥の差。
だが、例え住む場所が無くても人は生きて行けるものだ。
まあ、その場合、命の保障や寿命を削っている訳だけど。
(自分の家があるのは羨ましいよね...いずれはマイホームに住みたいけど、皆と離れるのは寂しいな)
それから子供を育てるとなれば、教養も必要になって来る。
親が、ずっと生き続けて子供を養う事は不可能な為、遅かれ早かれ、成人後には必ず自立をしなければならない時が来るのだから。
但し、生きて行くだけなら、環境に適応する能力と最低限の知識があれば事足りる。
それに贅沢をしなければ、仕事を選ばなければ、大抵は何とかなるのだから。
(本人の感情を抜きにすれば、仕事を選ぼうとしなければ、生きる上ではどうにかなるもんね)
これらの条件を踏まえた上で、余裕がある者だけが、子供を引き取ると言う選択が出来るのだ。
尤も、元の世界と、この世界では、価値観そのものが違うのかも知れないが。
『はい。マスター。通常ならば、お金も労力も掛かる為、誰かを養うと言う行為は大変な事だと思われます。先ずは、裕福な事が大前提になるかと思います。ですが、この教会には、そんな余裕がある訳ではありません』
僕が教会に住み始めて解った事は、元の世界よりも文明レベルが、かなり低くなっている事だ。
もしかしたら、この教会が所在している地域(国)限定なのかも知れない。
もしかしたら、この教会限定の話で、都心とは掛け離れた、ど田舎なのかも知れない。
それは、他の場所を見た事無い僕にとって、今現在では解らない事。
だが、この教会の中だけで考えるならば、明らかに劣悪な環境なのだ。
衣食住のどれをとっても、現代社会のものとは比べる事も出来無い程に。
着る物に関しては、皆で同じ物を使い回している。
流石に、上の立場の人達は違うけども。
食事は最低限。
栄養も、健康も、何も無い食事。
まあ、それしか作れないのだから仕方が無い。
住む場所である教会に関しては、広さがある事が救いだ。
ただ、建物の至るところに隙間風が吹いたり、老朽化(?)をしているけれども。
此処は、現代社会みたいな娯楽や趣味嗜好の無い環境。
そういう状況下でも、皆は今の生活を必死に生きていた。
(そうだよね...教会の中にいると、いろいろ見えて来るもんね)
『はい。マスター。教会に住まわれている方々は、このような環境下でも逞しく生きておられます』
僕達が住んでいる教会は、木造建てで三つの建物に分かれている。
中央の建物が講堂になっており、神に祈りを捧げる場所。
左右の建物は、居住区と、孤児院に分かれている。
左が居住区。
右が孤児院。
居住区に住むのは、5名の黒色修道員と、従者の灰色修道員10名の、計15名が住んでいるらしい。
行った事も、会った事も無い為、どうなっているのか解らないけれど。
孤児院には、教会の責任者であるアナスターシアと、その従者の灰色修道員であるメリルとメリダ。
拾われた僕。
同じ日に生まれた赤児の女の子に、その赤児の母親。
それから、灰色修道員数名と、世間体的には修道員見習いとしている親のいない子供達。
この親のいない子供達は年齢がバラバラなのだが、僕を含めてアナスターシアに拾われて来た子供達だ。
アナスターシアは教会長でもあり、孤児院長でもあった。
(教会自体は、かなり広いけど、この建物自体、歴史を感じる古さ?だよね)
自分の知識が子供の頃で止まっている事もあり、そのイメージを正しく言葉で言い表す事が出来無い。
だが、この教会は、何年も、何十年も、何百年も経っている雰囲気だ。
木造で出来ている所為か、至るところが「ギシギシ」と音を鳴らしていた。
(今にも壊れてしまいそうな建物だけど、何故か、これ以上は壊れないんだよね...)
壁に隙間風が吹く穴が開いていたりするのだが、それ以上穴が広がる事が無い。
更には、建物が壊れる事も無いのだ。
床も「ギシギシ」と音を立てるのだが、一度も底が抜けた事が無かった。
まるで、建物の状態が時を止めて固定されているような、そんな不思議な感覚だ。
(...そろそろ、自由時間になる頃かな?)
僕は今、孤児院の大部屋にいる。
時間で言えば、鐘の音から考えて15時を知らせた頃。
太陽が真上を昇った後で、まだ部屋の中にも日が差して暖かく感じる。
この部屋の中には僕以外にも、同じ日に生まれた赤児の女の子、その女の子の母親が一緒にいた。
その女の子と此処で会うようになってから知ったのだが、女の子の名前は“さくら”と言う名前だ。
この教会内では、とても浮いた名前。
僕からすれば、元の世界の言葉(日本語)であり、とても馴染みのある言葉だ。
何でも名付けの理由が、女の子の母親の好きな樹が“桜”なのだと。
教会の裏山の僕が拾われた広場に生えている大樹こそが桜の樹であり、赤児の女の子が、とても綺麗な桜色の髪色をしている事も由来している。
まさか、この世界でその言葉を聞くとは思っていなかったけれど。
だが、考えてみれば、此処は元の世界を基に創られた擬似世界が現実化した世界だ。
ゲーム時代にも、至る場所で桜の樹を何度も見て来た。
その為、ある意味、不思議では無いのかも知れない。
(“さくら”...とても懐かしい響きだな)
その子の母親も、同じ桜色の髪色をしていた。
赤児の女の子よりも濃いピンク色をしているけれど。
母親の名前は“アプロディア”。
アナスターシアと言い、母親のアプロディアと言い、この二人は、ずば抜けた美貌の持ち主だ。
元の世界を知っている僕でも、プロネーシスの持っている古今東西の情報を合わせても、誰よりも見た目が整っている事が解る。
それは、女神を彷彿させる程に。
どちらもまだ若く見えるのだが、アプロディアは子供を産んでいるように見えなかった。
(20歳くらいに見えるけど、一体、何歳なんだろう?)
今のところ年齢は解らなかったけど、アプロディアの性格はとても優しく、他の人と時間の流れが違うように、誰よりもおっとりとしていた。
ただ、僕にはアプロディアがこの教会でどのような役割をしているのかが解らなかった。
それは、アプロディアが修道服を着ているところを一度も見た事が無いからだ。
(修道員?...とは違うんだろうな)
教会での立ち振る舞いや、アナスターシアとの関係性から、個人としての立場が高い人なのかも知れない。
だが、それと言って横暴な態度を取っているところを一度も見た事が無い。
ましてや、自分の子供以外の僕にも母乳を分けてくれていた人物だ。
(アナスターシアさん。アプロディアさん。この二人がいなかったら...僕はこの世界でも生きる事が出来なかったんだろうな...)
グッと手に力を込め、深く目を閉じた。
僕の心の中では、二人に対しての最大限の感謝が溢れていた。
僕は、二人の為なら、この教会の為なら、その全てを捧げて恩返しをする。
二人には、ずっと笑っていて欲しいから。
(あ、アナスターシアさんが戻って来た)
一通りの作業を終えたアナスターシアは、自由時間になると楽器を持って僕達がいる大部屋へとやって来るのだ。
本人の息抜きの為、そして、僕達は憩いの時間として。
その歌声や演奏は、毎回違う音色を聴かせてくれる。
元の世界で例えるなら、基本はバラード中心なのだが、ポップ、ジャズ、ラテン、そのジャンルは様々なものだ。
流石に、ロックみたいな激しいものは無いけれど。
何気なく聞いている分には、その音色は自然と一体化したように、僕達の生活や感情の邪魔をしない。
だけど、一度歌声や演奏に集中してしまえば、その音に勝手に惹き込まれてしまうもの。
これは、ゲーム時代にも思っていた事なのだが、“歌”には何か特別な力を感じる。
(歌い手の感情(?)に左右されるように、歌そのものに魔力が宿っている?)
だが、この不思議な力は全員が持てる訳では無さそうだ。
ゲーム時代の頃、まだ吟遊詩人のような職業は実装されていなかった。
それに、アナスターシア以外の人が歌っても、同じような力を一度も感じた事が無かった。
メリルやメリダが、一緒に演奏して復唱をする時があるのだが、二人からは特別な力を何も感じない。
まあ、僕からすれば、二人ともかなり上手さを感じるのだけれど。
どうやら、歌に不思議な力を宿すには、歌の上手さや下手さが関係している訳では無さそうだ。
そのアナスターシアに関しても不思議な力に波があると言うか、不思議な力が出ている時と、出ていない時がある。
(この差は、一体何なんだろう?)
そして、不思議な事に。
その力が込められた歌が聞こえて来る時、赤児の女の子も僕と同じように反応を示すのだ。
楽しい時は、楽しそうに。
悲しい時は、悲しそうに。
女の子は歌に合わせて、その感情が表情に乗る。
まるで、歌の機微を感じ取り、喜怒哀楽を強制的に受容してしまうように。
目の前で聞こえて来る歌は、僕には解らない不思議な力。
然も、魔法のような不思議なものだ。
女の子には、これが何の力なのか解っているのかな?
(まあ、解る事は、女の子は歌が好きって事だね)
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