067 作成


「ねえ、ルシウス?この黒い実は、一体何に使うの?」

「ああ、ごめん...さくらに目的を伝える事を忘れていたね」


 言われてみれば、そうだ。

 僕は、さくらに目的を教えないまま作業だけを頼んでいた。

 すっかり、目的を共有したつもりでいたよ。

 やってしまったな...

 独りで居た時間が長かったからこそ、コミュニケーションが上手く取れないようだ。

 これからは、自分だけで完結させないように気を付けないとな。


「この黒い実から植物性の油、オリーブオイルを作るんだ」

「...植物性の油?...オリーブオイル?」


 さくらは、キョトンとした反応を見せる。

 それはそうだ。

 何も知識が無い状態で「植物性の油」と言われても、頭に疑問が浮かぶだけだから。

 そもそも、この国では植物性とか、動物性とか、その言葉自体が区別出来ていないのだから。


「そう、植物性の油。それさえ出来れば料理にも美容にも、そして、僕が作りたい“石鹸”にも使える物なんだ」

「...石鹸??」


 次々と出て来る新しい言葉。

 さくらの態度からも、本人の知らない言葉が羅列されていたのだと思う。


「石鹸は汚れを落とすための物なんだ。それに、オリーブオイルが完成すれば、いろいろなものに応用出来るから一つずつ試して作ってみようか?」


 僕はその疑問を一つ一つ解消するように、オリーブオイルの用途を教えて行くのだが、このまま説明を続けたところで実際に完成品を見なければ、その疑問が解決される事は無いだろうな。

 オリーブオイルが完成した暁には、実際にいろいろと作成して試して行く事を約束する。


「うん!それは楽しみだね!」


 さくらが、とても嬉しそうに頷いた。

 すると、突然。

 今の気持ちを表すように、その感情を表現するように唄い始めた。


「♪~♪~」 


 その歌は、即興で作られた物で歌詞などもデタラメ。

 それなのに気持ちや感情が込められている、心地の良い歌。

 やはり...

 僕は、この声が大好きだ。

 いつまでもずっと聴いていたいと思える歌。

 さくら自身、その声からも、歌の雰囲気からも、今を楽しんでいるように感じる。


(ふふっ。さくらは楽しそうだな。感情が駄々漏れしているよ。...それにしても...)


 さくらが歌っている時、体内の魔力が表面(歌声)へと具現化される。

 これは、いつからそうだったのかが解らない。

 もしかすると、赤児の時にアナスターシアの歌に反応をしていた、あの時からずっとそうだったのかも知れない。


(...歌による魔力強化か。どうしたらこんな事が出来るんだろう?)


 さくらは、知らず知らずの内に(今も気付いていないのだが)自然と魔力を込めた歌を唄い、疲れる(魔力を使い切る)まで唄っていた。

 これは、魔力増量の条件を本人が知らない間に達成していた事となる。

 魔力枯渇の状態は体調も気分も、そのどちらもが、かなり最悪な状態になると言うのに、さくらは“唄う”と言う事だけで全てを乗り超えていた。

 しかも、本人は魔力を理解している訳では無い。

 だと言うのに、独自の方法で魔力枯渇の状態を繰り返しており、これはもはや執念に近いものを感じる。

 尋常では無い精神力の持ち主でなければ出来無い事だろう。


(歌に対する思いや感性が常人の域を超えているのか?...それは、さくらの歌の表現や歌に込められた感情を見れば解るか。何故かは解らないけれど、歌に魔力を込められる程に真剣なんだから)


 頭の中に物事を簡単に浮かべる“思い”では無い、物事の本質を捉えた“想い”の込められた歌。

 まだ、歌の歌詞の意味を理解している訳では無いと言うのに、歌のメロディに合わせて、さくらの感情が精一杯に込められていた。


(もしかして、さくらの歌には魔法のような効果があるのか?...いや、それは流石に考えすぎか)


 さくらの歌を聴いていると、聴いている者の感情まで歌の雰囲気に引っ張られる感覚だ。

 ただ、あくまでも僕の感覚的な話になるので、その効果までは解らないけれど。


「・・ウス?ルシウス?ねえ、どうしたの?」


 どうやら、さくらの歌について考えていたら物思いに耽ってしまったようだ。

 それは、さくらに話し掛けられても気付かない程に没頭して。

 袖を引っ張られた事で、ようやく僕は気付く事が出来た。


「わっ!?ゴメン!!考え事に夢中になっていたよ」


 僕はさくらの方へと向き直して、直ぐに反応が出来なかった事を謝った。


「...大丈夫なの?」


 さくらは、僕を心配するように下から顔を覗いて来た。

 その声の様子からも、本当に心配をしてくれているのだろう。


「うん。大丈夫だよ!」


 さくらの心配してくれている気持ちを、その不安を拭い去るように笑顔で答える。

 すると、その心配して曇っていた表情から笑顔を取り戻した。

 その時、さくらの手には、既にパンパンに膨らんだ袋を手に持っている事が見えた。

 どうやら、オリーブの実を布の袋が一杯になるまで詰み終えたようで、その報告の為に話し掛けていたようだ。


「あっ!もう、袋一杯に実を摘んでくれたの?」

「うん!...ルシウス、これで良いのかな?」


 今度は、自分がした事の成果確認の為、少し緊張した様子で伺って来た。

 オリーブの実がパンパンに詰まった袋を地面に降ろしては、袋の口を広げてその中身を僕に見せてくれた。


「...これは凄いね!見事に、袋の中身全部が熟しているオリーブの実だけだよ!」


 僕はオーリブ摘みを始める前に、さくらに成熟した黒い実を摘んで欲しいと頼んでいた。

 それが見事に、成熟した黒い実で袋の中身を一杯にされていたのだ。

 これは、さくらの性格の真面目さ、実直さを表していた。

 人は基本、楽をしたい生き物である。

 更に、僕達の年齢から考えてみても、目的である「熟したオリーブの実を摘んで袋一杯にする」が「オリーブの実で袋を一杯にする」に変換されてしまうものだ。

 だが、さくらは僕に最初に言われた通り、「この袋にオリーブの黒く熟した実を摘んで貰っても良いかな?」を忠実に守っていたのだ。


「ふふふっ。どうかな?ルシウスが言った通りに頑張ったよ?」


 さくらが、口に手を当てながら笑った。

 そして、その後直ぐに両手を身体の後ろで組み身体を斜めに倒しながら僕を見る。

 上品な笑いに可憐な仕草。

 しかも、その時は前髪で隠れている表情も、風で前髪が「フワッ」と浮かぶ事で、隠れていた、さくらの笑っている表情が露わになった。

 僕は思わず、その姿に「ドキッ!」と鼓動が高鳴る。


(何でだろう?...とても素敵な笑顔だと言うのに、何故、前髪なんかで顔を隠しているんだろう?こんなにも可愛いのに...まあ、さくらが嬉しそうだから良いんだけどさ)


 僕は、さくらが一生懸命にオリーブの実を袋一杯に摘んでくれた事。

 成熟した黒い実だけを集めてくれた事。

 さくら自身が楽しんで集めてくれた事。

 僕まで楽しくなる歌を聴かせてくれた事。

 これら全ての事が嬉しくて、自然とさくらの頭に手が伸びていた。


「さくら。手伝ってくれてありがとう」


 僕は笑いながら、心から溢れて来るお礼をさくらに伝えた。

 この思いは、一人でいる時には決して感じる事が出来なかった感情だ。

 相手の為に思いやる気持ちで、“思う”では無く“想う”と言う気持ち。

 そして、お互いにその想いを共有する繋がり、又は、意思疎通と言う心の繋がりを感じて嬉しくなったからこそだ。

 その僕の気持ちに呼応するように、さくらは「えへへ」っと嬉しそうに照れていた。


「じゃあ、袋も一杯になった事だし、オリーブオイルを作る為にも教会に戻ろうか?」

「うん!...でも、ルシウス?今度は何を集めてるの?」


 僕は、さくらが集めてくれたオリーブの実が一杯詰まった袋を受け取ると、教会に戻るまでの帰り道で、サボン草を採集していた。

 たぶんだが、さくらから見れば雑草にしか見えないのだろう。

 それを不思議に思って僕に尋ねて来たのだ。


「これはサボン草と言って、汚れを落とす時に使うんだ。僕が作りたいものが出来るまでの、当面の間の代わりになる物かな?」

「そうなんだ。それは石鹸が出来るまでの代わりに使うの?ルシウスが作りたいものは、このオリーブが関係しているの?」


 きっと、一度に説明したところで全てを覚える事は出来無いだろうな。

 その為、前段階のオリーブオイル作りを、さくらに伝える。


「そうだよ。でも、僕が作りたいものはすぐに出来るものでは無いから、先ずは帰ってから、オリーブオイル作りから始めようかなって思ってるんだ」

「そのオリーブオイルは、簡単に作れる物なの?」


 教会へと辿り着くまでの間に、オリーブオイルの作成方法を説明して行く。

 これは教会に辿り着いたと同時に作業へ移る為だ。


「本当は、専用の道具があった方がオリーブオイルとして品質の高い物が作れるんだけど、教会にはそんな道具が無いからね。一応、手作業でも作る事が出来るんだ」


 オリーブオイル作りは、大まかに分類すれば三つの製法に分かれている。

 一つ、石臼などの道具を使用した圧搾法。

 一つ、専用の機械を使用した遠心分離法。

 一つ、電極を利用したパーコレーション法。

 そして、この中の昔ながらの製法である圧搾法を使用すれば、手作業でもオリーブオイルを作る事が出来るのだ。


「先ず始めにやる事は、この袋一杯の熟れたオリーブを水で手洗いしながら汚れを落とすんだ」


 オリーブの実に混ざっている、葉、軸、汚れを水で丁寧に洗い流す事を説明して行く。

 すると、さくらは首を縦に動かし、相槌を打ちながら僕の話をしっかりと聞いてくれていた。


「オリーブの実の汚れを落としたら、次は、そのオリーブの実から搾油をして行くんだ」


 オリーブの実を摘んでから搾油するまでの作業時間は、オリーブオイルの品質を向上させる為にも早ければ早い程良質となるのだ。

 時間との勝負になる訳だ。


「本当は、道具があれば作業が楽に出来て、オリーブオイルその物の品質が良くなるんだけど、今回は自力で作って行くんだ」


 この時、専用の道具があれば格段に早く作成する事が出来る。

 『石臼』があれば実を潰す事は簡単になり、その砕いたオリーブの実と油を分離する『フィルター』があれば、オリーブオイルの品質を上質な物へと仕上げる事が出来るからだ。

 だが、教会にはそんな道具が無い。

 布袋(本来ならビニール袋)に入れたまま、手もみで果肉を潰すしか無いのだ。


「自力で潰した果肉を布の上に広げれば、油と果汁が分離していくんだ。時間が経つのを待って、その分離した上澄みの油をすくえば、品質の荒い物になるけど、オリーブオイルが出来るんだ」

「わあ!ルシウスはいろいろな事を知っていて凄いね!オリーブオイル作り、楽しみだね!」


 さくらが僕の事を褒めてくれる。

 ただ、僕が得意気に語った内容も、プロネーシスが記憶していた情報から引き出したものに過ぎなかった。

 僕自身が覚えていた事では無いし、僕自身が知っていた情報でも無い。

 その為か、素直に喜ぶ事が出来なかったし、さくらに褒められた事に対して多少の罪悪感が芽生えた。

 本来、自分が持ち得ない力で、ズルをしている気分になったからだ。

 でも、これは教会や街にとっての劣悪な環境を改善する為に必要になる事だ。 

 僕はそう割り切る事で、自分自身を納得させて行く。


(僕自身は...何も凄く無いんだよ...でも、これは皆に必要になる物だから)


 こうして話している間に、気が付けば僕達は教会まで戻って来ていた。

 恵みの森は教会の裏手に広がる山の中の一部。

 そこには様々な生物が生息していて、大型の動物や小型の動物と、大小様々だ。

 今回、森の深いところまで潜ったのだが、それらに遭遇する事が無く、無事に教会へと戻って来る事が出来た。


「ふー。無事に教会に帰って来られたね」


 恵みの森自体は教会から直ぐに行ける距離にある。

 だが、僕達は、まだ身体の出来上がっていない五歳児の身体だ。

 しかも、道中は舗装のされていない山道を進む為、足の負担はかなりのもの。

 さくらの体調が心配だ。


「さくら、疲れてない?」

「ルシウスが荷物を持ってくれたから全然大丈夫だよ!それよりも、早くオリーブオイル作りをしてみたいな!」


 満面の笑顔で返された。

 どうやら、身体の疲れよりも、オリーブオイル作りに対しての好奇心の方が勝っているようだ。

 これは、単純にまだ子供で、身体の疲れに気付いていないだけかも知れないけど。


「了解!じゃあ、オリーブオイル作りを始めようか!でも、身体の感覚が少しでも変に感じたら、ちゃんと僕に伝えてね?」


 戻ってきて早速だが、オリーブオイル作りを始める事になった。

 今のさくらを見た感じでは、表情にも、態度にも疲れが全く見えないもの。

 ただ、身体の負担を考えれば、無理をさせないようにしなければ。


「うん!最初は摘んで来たオリーブの実を水洗いするんだよね?」

「僕が歩きながら話した内容を覚えているの?それは凄いね!」


 さくらは、道中に説明した事を細部までしっかりと覚えていた。

 何だろう?

 記憶力が凄い気がする。

 同世代の友達自体が初めての事だから解らないけど、「皆そうなのかな?」と思ってしまう程。

 そして、この時に「さくらには負けてられない!」と思った瞬間でもあった。


「じゃあ、この新しい布袋に、洗ったオリーブの実を入れて行こうか」

「うん!」


 場所は、教会の井戸がある広場。

 此処で、摘んで来たオリーブの実を二人で手洗いをして行く。

 摘んで来たオリーブの量が量だけに、水洗いするだけでも相当な時間が掛かるものだ。

 まあ、僕は、こう言った作業が好きなので問題無いが、さくらからすれば、同じ事の繰り返しだ。

 大丈夫かな?

 流石に、暫くすれば作業に飽きが来てしまい、集中そのものが続かないだろうと思っていたが、さくらは歌をハミングしながら最後まで丁寧にオリーブの実を水洗いして終えた。

 (えっ、歌いながら?しかも、その丁寧さを損なわずに?)と心の中で驚いたのは言うまでも無い。


「出来た!ルシウス、これで良いの?」


 僕は、さくらがオリーブの実を最後の一つまで丁寧に洗っている姿を見ていた。

 新しく用意した布袋の中には、その汚れを落としたオリーブの実で一杯になっていた。


「うん。バッチリだよ!」

「ふふっ。じゃあ、次は実を潰すんだよね?」


 さくらは、言われた通りに出来た事が嬉しそうに笑う。

 その笑顔は、見る人の表情まで笑顔にしてくれるものだ。

 僕達は一緒に笑い合いながら作業を続ける。

 次に、布袋に入ったオリーブの実を布の上から潰して行った。

 荒い布の繊維の目から果汁が溢れて、手がベトベトになりながらも絞って行く。

 そうして時間を忘れながら、二人とも一生懸命に作業をしていると。


「あっ!さくら!?鼻にオリーブの果汁が付いてるよ!?」


 さくらの鼻の頭の部分が黒紫色の果汁で汚れていた。

 それを見つけた僕が笑っていると、さくらが同じように僕を見て笑う。


「ルシウスこそ!おでこや頬っぺたが汚れているよ!!」


 二人で、顔を見合わせながら笑う。

 いつの間にか着ている服も果汁で汚れてしまって変色をしていた。

 でも、なんだかとても楽しい。


「はははっ!こんなに汚して、メリル様達に怒られそうだね!」

「ふふふっ!でも、とても楽しいね!」


 二人で汚し合いながらも、オリーブの実を最後まで絞り切る。

 そして、木桶の上に布を広げ、オリーブの実を絞って出来た、果肉と果汁が分離したものを上に乗せて行く。

 これで時間が経てば、オリーブの果肉から布を通して木桶に油が溜まって行くのだ。

 この木桶に溜まった油の上澄みをすくえば、オリーブオイルの完成となる。


「オリーブオイルは、光や空気に触れてしまうと劣化が始まるんだけど、僕達が初めて作った物としては上出来だね!」

「これで完成なの?」

「そうだよ。これが、僕達二人で作ったオリーブオイルだよ!」


 僕がさくらにそう伝えると、喜びを噛み締めるように「えへへ」と笑った。

 僕達の手で一から作り出した物だ。


「やったね!ルシウスと私でオリーブオイルを作る事が出来たんだね!」


 初めて作ったオリーブオイルは、少し不出来で不格好なもの。

 でも...

 僕にとっては、とても大切な物だ。

 二人の思い出が沢山詰まった物が出来上がったのだから。

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