068 衛生概念

「「ごめんなさい!!」」


 僕と、さくらの誠心誠意、心の込もった謝罪から始まる。

 何故こうなったのかと言えば...

 僕達は先程、さくらと協力する事で、オリーブオイルを作成したところだ。

 これは教会の衛生環境を変える為、石鹸を作る為にも必要な材料だからだ。

 そう、そこまでは良かったのだ。

 オリーブオイルを作成したまでは良かったのたが、その作る過程で全身を汚してしまっていた。

 教会や孤児院にとって貴重な衣服を汚した事で、メリルとメリダに酷く怒られていると言う訳だった。

 「もう!こんなに汚して、どうするのですか!?」と、「汚れを落とすのは、私達なのですよ!」と。

 それはそれは鬼気迫るもので、つい先程までずっと怒号が飛び交っていたのだ。

 僕の母親代わりのアナスターシアや、さくらの母親のアプロディアは、「無邪気な子供達のした事ですよ?」と、笑って許してくれたと言うのに。

 ...あれっ?

 人間、恐怖を前にすると足が竦んでしまい、勝手に震えてしまうようだ。

 僕は以前に終末の日(ラグナロク)と言う、人類滅亡の瞬間に立ち会っていると言うのに、何だか可笑しな話だ。

 どうやら、怒られる事に慣れていない僕は今。

 メリルとメリダに対して、あれ以上の恐怖を感じているらしい...


「「汚してしまって、ごめんなさい」」


 僕と、さくらはメリルとメリダに対して丁寧に頭を下げて謝った。

 確かに、この世界にはまだ漂白剤が無い。

 その為、オリーブの果汁の色が付いた服は汚れを完璧に落とす事が出来無い。

 だが、今この時が教会の皆の固定観念をぶち壊す時だ。

 僕がそう思った瞬間。

 僕は既に行動を開始していた。


「この汚れ、落ちにくい物ですよね?水洗いでゴシゴシしても、色が取れる訳ではありませんよね?寒い時期だと尚更で、指の手荒れやひび割れなどを引き起こしますよね?ですが、これを使えば服の汚れや、手や身体の汚れを落とす事が出来るのです!」


 それは実演販売をするかの如く、然も当たり前のように商品説明へと移っていた。

 僕は、オリーブ採集の時に持ち帰ったサボン草を解り易く皆に見せた。

 僕自身もサボン草を使うのは初めてになるのだが、プロネーシスに聞いた事前情報通りに実演をし、皆にその効果を知って貰う事が目的だ。

 これは、教会内部の衛生環境を改善する為に必要な事。

 さくらに伝えていなかったが、怪我の功名では無いが、この機会を利用させて貰う。


「じゃあ、さくらも一緒に手伝って貰って良いかな?」

「私も、手伝えば良いの?うん!一緒にやる!」


 その効果を実演する為にも、僕と同じように汚れている、さくらに手伝って貰う事に。

 一人よりも二人の方が、効果を確認し易いからね。


「やり方は簡単で、この草の根茎を千切って、水を含ませて手の中で揉んで行くんだ」

「...こうかな?」


 使い方は簡単。

 サボン草の根茎を細かく千切って、手の中で水に濡らして揉むだけ。

 これだけで泡立ち、手の汚れを落とす事が出来るのだ。

 まあ、その泡も、現代社会を知っている僕からすれば泡と言うよりも、ネットリとした液体みたいに感じるけれど。

 さくらは僕の真似をして、同じ行動を取る。


「まあ?それは一体何でしょうか、ルシウス?」

「さくら?それは何が起きているのですか?」


 アナスターシアが、僕の手の中から溢れる“何か”を見て声を出して驚いた。

 アプロディアも、さくらの前でアナスターシアと同じ反応をしている。

 と言うか、メリルも、メリダも、手伝ってくれているさくら自身も、全員がその“何か”に驚いていた。

 僕は、その手の中の“何か”を皆に解るように言葉で説明して行く。


「これは、“泡”と呼ばれる物です。手の汚れた部分を泡で包み込んで水に流せば...この通り綺麗になります!」


 先程まで、オリーブの果汁でベトベトだった僕の手は、サボン草の泡の力で汚れを包み込み、水で流すだけで綺麗になった。

 まあ、サッパリとまでは行かないが、これでも十分な効果だろう。


「凄い!綺麗になっている」


 さくらも、手の中のベタ付き感が取れ、すっきりとした表情を見せている。

 すると、周囲の皆が、汚れを落とした後の手の質感を確認し始める。


「先程までベトベトに汚れたものが、綺麗になっているだと!...お湯を使えばまだしも、水で洗っただけでは、こうはならないぞ!?」


 最初に、僕の手を取って汚れをを確認したメリルが驚く。

 それもその筈。

 通常なら、今回のように果汁で手を汚した場合、二~三日程、手にベタ付き感が残ったままだ。

 お湯を使って手もみ洗いをすれば、まだ多少は良くなるのだが、手洗いの為だけにお湯を使う概念が無い世界。

 そもそもが、火を起こしてお湯にする事自体が、とても労力の掛かる事だからだ。

 火属性魔法に至っても、主であるアナスターシアに使用する事を除いては、魔法を使う事が無いのだ。

 その為にも、お湯を使用して手を綺麗に洗うと言う感覚が根付いていなかった。

 それが目の前で、得体の知れない草から千切った根茎と一緒に水洗いをしただけで、汚れが綺麗になったのだから驚く事も無理は無い。

 これには当然、周りも不思議がっていた。


「この草は、僕が裏山で遊んでいる最中に見付けた物です。そうですね...この草の事は、今後に解り易くサボン草と言い表しますね!」


 元の世界に、もともとある名称をそのまま使わせて貰う。

 これは、正直。

 他の名称を考える事が面倒もあってだ。


「ここからは注意をして聞いて下さい。この泡と言うものは、他の草で試してみたところ泡が出る事は一才ありませんでした。ですが、この形状の草だけが水に濡らすと泡が出たのです」


 サボン草を手に取り、皆に良く見て貰う。

 このサボン草は、自然界きっての天然洗浄石鹸。

 そして、あくまでも洗浄効果があるのは、このサボン草だけだと周知をして貰う。

 他の野草では、毒を持っている場合や、使い方次第で毒を生む場合があるので、決して間違わないように説明して行く。


「これを使えば、手を綺麗にする事だけでは無く、衣類の汚れを落とす事も出来るので、洗濯時にも使えます」


 教会では洗濯をする際、水で濡らして、こすり洗いや踏み洗いをするだけだ。

 サボン草を使えば、それらの行為よりも、少ない回数で汚れを多く落とす事が出来る。

 今回のオリーブのような果汁が付いた場合はその限りでは無いが、労力の負担や手間が減る事を考えれば、心強い主婦の味方となるのだ。


「同じように、この草の根茎を木桶の中で水に浸して泡立てて行きます。この泡で衣類を一緒に洗えば、ただ、水洗いをする時よりも、断然汚れが落ちるのです」


 但し、それは軽い汚れを落とせるだけ。

 今回のように、オリーブの果汁の色が衣類に付いてしまった物はそのままだし、黄ばんでしまった衣類、その繊維の奥底に染み付いた汚れは落とす事が出来無いのだ。

 それでも、今までの洗濯の仕方よりは汚れを落とす事が出来て、臭いもある程度取り除く事が出来る。


「ふむ。確かに、いつも通り洗濯をする時よりも、汚れが落ちているな?」

「はい。お姉さま。しかもこれは、臭いも落ちていますね!」


 どうやら、洗濯を担当しているメリルとメリダが、その効果を一番実感しているようだ。

 良かった。

 実演の効果がハッキリと表れてくれたよ。

 これで少しは、教会内部の衛生環境を改善出来ると言うものだ。


「ルシウス。凄いですね...やはり...」


 アナスターシアが僕の目の前まで来ては優しく頭を撫でてくれた。

 ただ、「やはり」の後の言葉が、何を言っているのかは良く聞き取る事が出来なかった。

 それでも、純粋に褒められた事が嬉しく、心が躍るように舞い上がった事は忘れない。

 と、此処までが、昨日のオリーブオイル作りの話になる。


 そして、今日。

 さくらと一緒に石鹸作りを試す日だ。

 僕は教会の広場にて、さくらの準備が出来るのを待っていた。


「プロネーシス?もう一度、確認なんだけど、石鹸作りに必要な物は、オリーブオイル、灰、ミネラルの少ない軟水で良いんだよね?」

『はい。マスター。そちらで問題ありません。ですが、灰に関しては、木灰よりも、海藻灰の方が硬い石鹸に仕上がります。ただ、この地域には残念な事に、近い距離に海がございません。出来上がった物は“軟石鹸”と“硬石鹸”の中間の物になりますが、先ずは、そちらから作って行きたいと思います』


 元の世界で言えば、八世紀頃に普及を始めた『軟石鹸』。

 その時は、動物性の脂と木灰から作られたもので、かなり臭いものだったらしい。

 僕達が本来作りたい物は、一二世紀頃に普及が始まった『硬石鹸』。

 オリーブオイルと海藻灰を原料とした物だ。

 海藻灰とは、アラメ、カジメ、ホンダワラなどの海藻を干した物を蒸し焼きにした灰の事。

 一八世紀に入り、アルカリ剤の合成に成功するまでは、六〇〇年近く、硬石鹸が主体として使用されていたのだ。


「取り敢えず、現段階なら石鹸が作れれば問題無いかな?」

『承知致しました。マスター。では、後々に改良をして行きましょう』


 先ずは、石鹸を作る事から始める。

 次に、ちゃんとした硬石鹸。

 そして、硬石鹸から苛性ソーダを使用した石鹸へと、ランクアップさせる事を目標にして行く。

 すると、さくらが準備を終えて、待ち合わせ場所となる教会の広場へと現れた。


「ルシウス、お待たせして、ごめんね。恵みの森に行く準備が出来たよ」


 これは、僕が待たされた訳では無く、僕が早く待ち合わせ場所に来ていただけだ。

 だと言うのに、さくらは申し訳無さそうに謝っていた。

 何だか、気を遣わせてしまって悪い事をしたな。

 

「僕の方こそ、ごめんね。僕が決められた時間よりも早く待ち合わせ場所に来ただけだから、さくらは謝らなくて大丈夫だよ。僕が早くさくらに会いたかっただけだから。じゃあ...恵の森に向かおうか?」


 僕達はこれから恵みの森へと向かい、軟水を汲みに行く。

 これは、木灰を軟水で沸騰させて灰汁を作る為に必要な物だからだ。

 軟水を汲む為には山の中腹まで登る事になり、しかも、僕の背中には空の瓶(かめ)を背負っている。

 この空の瓶だけでも結構重い物になるのだが、僕は魔力で身体を強化しているので、その重さを全く感じていなかった。


「うん!」


 さくらは、相変わらず前髪で表情を隠していた。

 だが、その声の雰囲気だけで楽しみにしている事が伝わって来る。

 ...僕は、さくらと仲良く慣れているのかな?

 そうだったら嬉しいんだけどさ。

 ゲームのようにパラメーターとして相手の気持ちが見えないから、もどかしいと言うものだ。

 そうして僕達は、教会を出発して山を登り始めた。


「今日は山の中腹まで登って、その中域の川で軟水を汲みに行くんだけど、さくらはそれで大丈夫かな?」


 これは、山の中腹まで結構な距離がある為、さくらの身体を心配しての事。

 だが、石鹸作りに効果のある軟水を汲みに行く為にも必要な事なのだ。

 水そのものには硬度が定められているのだから。

 硬度とは、水の中に含まれる、マグネシウムイオンとカルシウムイオンの含有量を示したものだ。

 元の世界では、国によって硬度の計算式は異なるのだが、基本的に、カルシウム塩の量とマグネシウム塩の量を合わせて、炭酸カルシウム(CaCO3)の量に換算した値(mg/L)を硬度としている。

 この値が、一二〇mg/Lより小さければ軟水に、その値よりも大きければ硬水となる。

 そして、僕達が欲しいのは軟水と呼ばれる水だ。

 水は、採水地の土壌や地盤、川の地理的特徴によって、その硬度が決定される。

 要は、地下に染み込んだ平地の水はミネラルが溶けて硬水となるが、山から流れる水はミネラルが溶ける機会が少ない為に軟水となるのだ。


「今一番気になっている石鹸作りの為だから大丈夫だよ!それに、ルシウスと一緒にいれる事が楽しいから、全然平気だよ!」


 この年代だと良くある事なのだが、疲れると言う感覚よりも、楽しいと言う感情が大いに勝る。

 その気持ちの浮き上がりだけで物事を難無くやり切ってしまうのだ。

 だが、今回は自然が溢れている山登り。

 山道は、僕達の足取りを簡単に奪い体力を容赦無く削る。

 しかも、その自然に住まう動物が見境無しに襲って来るかも知れないのだ。


「それなら良かった。僕も、さくらと一緒にいる事がとても楽しいよ!だけど...一つだけ約束して貰っても良いかな?疲れた時は我慢しないで、ちゃんと僕に伝えてね?」

「うん!」


 さくらは、普段から歌の為に山登りをしているから、この年齢では考えら無い程に体力がある。

 前回、オリーブの実を採りに行った時も、ケロッと表情一つ変えずに難無く山登りをこなしてしまったのだ。

 だが、今回はそれよりもかなり深いところまで登らなければならない。


(まあ、そうなったら最悪。瓶を置いてでも僕が背負って行けば良いか...)


 僕達は、舗装のされていない険しい山道を、僕が先導する形で順調に進んで行く。

 すると、登り始めて直ぐ、さくらが陽気に唄い始めた。

 どうやら、また今日も違う歌を僕に聞かせてくれるようだ。


「♪♪♪~」

(あれっ?今日も違う歌だ...さくらは、本当に唄う事が好きなんだな)


 さくらは、毎回違う歌を口ずさむ。

 そして、様々な歌を僕に聞かせてくれるのだ。

 僕はそれがとても嬉しい。

 それに、この声を聞くと、心がとても落ち着くのだ。

 歌の曲調とかテンポは関係無く、さくらの歌声そのものが沁み渡り、心の底から安心すると言う気持ち。


(...やはり、さくらが唄っている時は魔力を纏っているんだな)


 さくらは唄っている時限定になるのだが、自然と全身に魔力を纏っている。

 これはゲーム時代の能力、魔纏武闘気に近いものだ。

 だが、唄う事で全身に魔力を纏う事を成している為、ゲーム時代の魔法やスキルに無かった能力だ。


(これは...唄う事で、身体能力が強化されているのか?)


 これもゲーム時代には出来なかった事だ。

 唄う事で、身体に魔力を纏って身体能力を強化する。

 限定部位だけを強化出来る魔法やスキルとは、また別の能力となる。

 正直、この才能には何処か傑出したものを感じている。

 僕はこの世界に転生をしてから毎日欠かさずに魔力訓練を行って来た。

 しかも、自分自身、ゲーム時代の情報や経験があってこその鍛錬だ。

 だと言うのに、さくらは意識せずに身体能力の強化を唄う事だけで成しているのだ。

 その行為には末恐ろしさを感じる程の才能を感じてしまう。


(これは...才能(ギフト)によるものなのか?)


 きっと、僕達が知らない、この世界で進化した才能(ギフト)があるのだろう。

 何故なら此処は、ゲームシステムと言う檻から開放された、魔力が存在する未知の世界になるのだから。


(新しい世界に、新しい能力か...そこで、こうして生きられるなんて、とても楽しい事だし、とても嬉しい事なんだな...それに幾ら才能が開花しようが、道を切り拓くのは努力だ。僕は必ず、この世界で一番になってやる!!)

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