066 採集

「じゃあ、プロネーシス?先ずは、教会の内部。その環境を良くするところから始めようかな?」

『はい。マスター。では、今現在における教会の状態を確認して行きましょう。この教会の敷地内には、何面もの広大な畑が広がっております』


 教会では、基本的に自給自足の生活をしている。

 それは教会に隣接している孤児院の為でもあった。

 一緒に暮らしている孤児を育てる為にも、自分達で畑を耕し、野菜や穀物を育てなければならないのだ。

 本来ならば、野菜や穀物を育てるには、一定期間の日数、特定の条件下による育成が必要になるのだが、この世界は魔力がある世界。

 元の世界の理(ことわり)とは違った、全く別の理(ことわり)が刻まれた世なのだ。


「この畑の土に魔力を流せば、自由自在に作物を育てる事が出来るんだよね?でも、魔力を流すだけで育つのは何故なの?」

『それは、精霊の能力によるものです。土に魔力を流す事で精霊へと魔力が行き渡り、そのお返しに作物を成長させてくれるのです。但し、この方法は、この世界の全てで出来る訳ではございません』


 これがもし、元の世界ならば、土には栄養があり、地力というものが存在する。

 作物を定期的に収穫する為には、輪裁式農法(小麦→クローバー→大麦→かぶの順で育てる地力維持の農法)で、土の栄養を考え無ければならない。

 だが、此処では土に魔力さえ流せば、精霊を介して地力を増進させる事で年中作物を育てる事が出来るのだ。


「それは、精霊がいる場所だけって事?」

『はい。マスター。その通りでございます』


 魔力で作物を育てるには、畑に精霊がいる事が最低条件。

 通常では、人里に精霊が居る事など皆無らしいのだが、『恵みの森がある影響なのでは?』とプロネーシスが推測をしていた。

 それとは別の方法で、農夫の職業に就いている者ならば、魂位が高ければ精霊が居ない場所でも同じ事が出来る。

 そして、これらの畑で出来上がる作物は、土に込める魔力量によって品質や鮮度の状態が向上する。

 ゲーム時代では戦闘よりの生産職しか齧って来なかったので、僕の知らなかった情報だ。

 記憶と思考を司る、プローネシス様様だ。

 ただ、現状は教会の魔力不足の所為で、畑で育てている作物には限りがあるみたいだが。


「これなら、魔力さえ補えれば、他の野菜だろうが、育てる事は出来るのかな?」

『はい。マスター。魔力と任意の野菜の種があれば可能です。精霊がいる畑の場合。品種、連作、地力、それらを関係無しに作物を育てる事が出来ますので』


 通常、作物を隣接させて育てる場合には、成長を行う為の相性が存在する。

 同じ畑(土)で、連続して作物を育てる際の連作障害も同様の症状なのだが、地中の栄養分が偏ったり、欠乏する事で作物の成長が悪くなるのだ。

 これ以外にも、前作や後作と言った連作を行う際の相性も存在するのだが、精霊がいる畑では、それらを考えなくて済む。

 ちなみに、今現在。

 教会で育てている野菜は、じゃがいも、人参、玉葱、キャベツ、ビーツの五種類となっていた。

 この組み合わせも、本来なら、じゃがいもとキャベツの隣接栽培は相性が悪いのだが、精霊がいるおかげで難無く育っている。


「土の栄養を考えずに作物を育てられるのは嬉しいね!」

『はい。マスター。作物の組み合わせや、作物の栽培条件を気にする事無く育てる事が出来ますので』


 現状、根本の魔力不足さえ解決出来れば、他の種類の野菜も育てる事が出来そうだ。

 教会が所有している土地は、あまりにも広大で、未だに使用していない畑や敷地が幾つもあるのだから。

 そして、教会で唯一育てている穀物が、ライ麦となる。

 これは正直。

 育てているのか?

 育っているのか?

 そのどちらかは解らないが、ライ麦がこの教会一面に広がっていた。


「プロネーシス?このライ麦から作られるパンが、黒パンって事?」

『はい。マスター。異世界ものの冒険譚で出てくる黒パンは、ライ麦が原産だと思われます。ライ麦は、小麦に比べてグルテン(たんぱく質)が無い為に、生地の伸びが悪く、パンの膨らみが少ない事。そして、焼き上がりの密度が高い為、水分の抜けが少ない分、日持ちはしますが、硬いパンに仕上がるのです。また、パンの発酵にはイースト(酵母)菌を使用するのでは無く、サワー種と呼ばれる、乳酸を用いた方法を取る為、酸味が有るのも特徴です』


 グルテンは、たんぱく質の一種である、グルテニンと、グリアジンが、水を吸収して網目状に繋がったもの。

 ライ麦単体では、その内のグリアジンしか無い為に、グルテンを生成出来無いのだ。

 そして、イースト菌は、真核生物(身体を構成する細胞の中に、細胞核と呼ばれる、細胞小器官を有する生物)で、単細胞の微生物の事を指している。

 現代社会のパン作りや酒作りに欠かせないものだ。

 プロネーシスが続けて説明をする。


『ただ、味や見た目を抜きにすれば、ライ麦には食物繊維やミネラルが豊富に含まれていますので健康に良いとされております』

「教会では、ポリッジ(おかゆ状)にして食べているけど...それなら、パン作りもありか」

『はい。マスター。ですが、教会の設備ではパン作りに必要な機材が足りません。現状ではパンを作る事は難しいです。それに、パンを作るのでしたら、恵みの森には小麦が広がっております。そちらを使用した方が、元の世界のパンに近くなると思います』


 教会には、パンを焼く為の釜が無い。

 それに、酪農をしていないので乳酸も用意出来無いのだ。

 ただ、恵みの森に行けば、それ以外の野菜も入手出来るし、穀物なら、小麦や大麦が広がっていた。

 どうやら、教会(この地域)の人達は、それが食べられるものだと認知していないようだが。

 森の中には、ちらほらと鳥や猪などの動物も見ているので、捕らえれば食料にも出来そうだ。


「鳥がいるのは見たし、鹿や猪や、熊も見たっけ?」

『はい。マスター。恵みの森の生態系は、熊を頂点として様々な生物が生存しております』

「この地域では、お肉はご馳走だったからね。ただ、また市場で買うような事は御免だな...それなら、今の僕の力で、動物を捕獲する事は出来るのかな?」


 先日、街に出掛けた際、お肉を購入した。

 店頭には、腐りかけの汚肉が当たり前のように並んでおり、保存期間を気にせずに販売されていた。

 僕達が購入した物は、その中でギリギリ食べられる物で、味も劣化している物。

 それでも、教会の皆は美味しく食べていたけれど。

 やはり、お肉は滅多に買えない物で、中々食べられない物。

 但し、店頭に並ぶ物を買う事は衛生上悪いので、今後は二度としたくない。

 恵みの森に動物がいるならば、自分で捕獲して管理した方が安心出来ると言う事だ。


『狩猟となりますと、鳥、鹿、猪相手なら十分に対応は出来ます。但し、熊に関しては、まだまだ実力不足でございます』

「それは裏を返せば、今の僕の実力でも熊以外なら捕獲出来るって事?」

『はい、マスター。その通りでございます』


 これならば、教会の食糧事情は直ぐにでも改善出来そうだ。

 ただ、教会に取って一番改善しなければならない問題は衛生に関する事だろう。


「僕の身体が丈夫な事が幸いだけど、正直、この環境は不衛生なんだよね...」


 一応、教会では、掃除、洗濯、身の清めと、出来る限りの清潔を保つように配慮が為されている。

 だが、石鹸、洗剤、シャンプーなどの汚れを落とせる物が存在していないのだ。


「やはり、先ず初めに欲しいのは、石鹸かな?」


 手には常時、正常細菌叢と言うものが常在している。

 これらの菌が、外部からやって来る悪い菌から身体を守ってくれているのだ。

 その常在菌が正常に活動をしていると、肌に対して、新しい菌が進入出来無い環境を作ってくれる。

 細菌には縄張りがあって、新しい菌が進入してくると、それをやっつけようと動きだすのだ。

 新たな菌を寄せ付けまいと、皮膚に害が無い状態を保つ為に。

 ちなみに、この常在菌は皮膚の奥の方に生息をしているので、石鹸で洗ってもなくなる事は無い。

 だが、手の表面が汚れた状態のままだと、常在菌が正常に活動する事が出来ずに、悪い菌がどんどん手に溜まってしまう。

 その状態で粘膜に触れたら?

 その状態で食事を口に運んだら?

 これは現代における衛生についての考えだが、この世界でも十分、当て嵌まる事柄だ。

 何故なら、この世界での死亡原因が、圧倒的に病気によるものだから。


「手洗いの習慣も全く無いからね...何か石鹸の代用が出来る物ってあるのかな?」

『はい。マスター。石鹸の代用品ですと、恵みの森に生えている“サボンソウ”が宜しいかと思われます。サボンソウには、サポニンという成分が含まれていますので、界面活性作用を示します』

「界面活性作用?」

『はい。マスター。界面活性作用とは、親水性物質と、疎水性物質を均一化する作用の事です。水になじみ易い部分と、油になじみ易い部分を持つ物質を、界面活性剤と呼び、石鹸や洗剤の主成分になります』


 サボンソウは天然の界面活性剤で、水に混ぜると溶解し、振り混ぜると石鹸のように泡立つ。

 手洗いから、洗濯などに用いる事が出来るのが特徴だ。


「へえ、そんな便利なものがあるんだね!じゃあ当面はサボンソウで対応するとして、石鹸を作るのに必要な材料って解る?」

『はい。マスター。石鹸を作るには苛性ソーダ(水酸化ナトリウムNaOH)、油、精製水が必要になります。但し、苛性ソーダの代わりに灰や、グリセリン、重曹などが代用出来ます。油に関しては植物性と動物性と、そのどちらでも可能です』


 プロネーシスが言うには、苛性ソーダは貝殻や海草を使えば作れない事も無い。

 だが、この地域には海が無いのだ。

 それ以外だと、電気分解が必要になったりするので、今の技術(魔法)レベルだと不可能となる。

 油に関しては、植物性の物を使用する事がお勧めらしい。

 動物性では臭いが酷く、汚れを落とす事が出来ても石鹸の良い部分が失われてしまうからだ。


「現状で、これらの材料を揃える事は出来るの?」

『用意出来るとしたら、灰、オリーブオイル、精製水の代わりにミネラルを含んだ軟水なら、用意出来ます』


 灰は、教会でも火を使っているので、そこ等辺に一杯有る物。

 オリーブオイルは、恵みの森でオリーブを採集すれば作成出来る。

 そして、山から流れる天然水が、軟水なのだ。

 正直、品質や効果は良い物では無いが、一応、石鹸を作る事が出来る。


「現状、出来るもので考えれば、これが限界と言う事か...」

『現在の環境を考慮すると、これが精一杯となります。ただ、石鹸が出来れば、洗濯用の洗剤としても、髪を洗うシャンプーの代わりにも使用する事が出来ます』


 汚れを落とすと言う事で考えれば、効果が薄い物だ。

 しかも、石鹸としての材質が軟らかく、泡立ちも悪い。

 元の世界のように極め細かい物では、決して無い。

 それでも、石鹸がある事で僕達の生命を守る事が出来るのだ。


「じゃあ、灰や軟水はすぐ手に入るから、オリーブオイルを作る事が最優先になるかな?」

『はい。マスター。オリーブオイルを作成する為にも、恵みの森へとオリーブを摘みに行きましょう』

「了解!じゃあ、早速準備をしようかな」


 教会の裏山にある、恵みの森へとオリーブを摘みに行く為、布で出来た大袋を用意する。

 これは、オイル作りに大量のオリーブが必要な為だ。

 そうして僕が恵みの森に向かう準備をしている時。

 突然、背後から話し掛けられた。


「ルシウス、何処か行くの?」

「この声は...さくら?」


 声を掛けて来た人物は、この世界で僕と一緒に育った女の子、さくら。

 母親であるアプロディアが名付けた名前で、この国では珍しい名前の日本語だ。

 この場所に桜がある事にも驚きだが、そもそも日本語が残っている事に驚きだ。

 まあ、この世界が、ゲーム世界の延長上なので不思議では無いのだけれど。

 僕達は先日、恵みの森で出会ってから毎日一緒に居る。

 その為、さくらの声を聞いただけで、瞬時に誰か解る程だ。

 まあ、出会った時の衝撃の大きさと、さくらの声が好きだからと言うのもあるけれど。


「そうだよ。これから恵みの森に行って、“ある物”を採りに行こうと思っているんだ」

「...私も一緒に行っても良い?」


 そっと、袖を引っ張られた。

 前髪の長さの所為でさくらの顔が隠れており、その表情が見える訳では無いのだが、発した声には、その感情を表す表情が付いていた。

 期待と不安の感情が半分ずつ声に乗って。


「...採集するだけなんだけど、それでも良いの?」

「うん...私もやってみたい!」


 さくらは、好奇心旺盛で様々な事に触れるのが好きみたいだ。

 それは触感だけを指すのでは無く、目に見えないものから、未知なるものと出会う機会を含めて。

 僕は、さくらの顔(眼が隠れている為)をしっかりと凝視めて笑顔で答える。


「じゃあ、一緒に恵みの森に行こうか?」

「うん!」


 見える口元だけで判断するなら、さくらは嬉しそうに笑っていた。

 でも、何故だろう?

 前髪なんかで、顔や表情を隠さない方が良いのにな...

 僕は、さくらの分の布袋を新たに用意して手渡した。

 準備が出来たところで、僕達は恵みの森へと向かって行く。


「ねえ、ルシウス?“ある物”って、何を採集するの?」


 さくらの声は聞き取り易い。

 言葉遣いもそうなのだが、話し方が丁寧で耳馴染みが良く、すんなりと言葉を聞き取る事が出来るのだ。

 僕と会話のテンポが合うのかな?


「それは恵みの森に植生している、オリーブと言う木から実を採集するんだ」

「...オリーブ?」


 さくらは、初めて聞く言葉にハテナマークを浮かべる。

 前髪の所為でその表情は見えないけど、解り易く視線が斜め上を泳いでいたに違いない。

 同じように斜めに首を傾げているのだから。


「そう、オリーブ。教会に必要な物を作る為にも、オリーブの実を取りに行くんだ」


 道中に説明を挟みながら、オリーブが植生している目的地へと辿り着いた。

 僕達の目の前には、辺り一面に常緑のオリーブが生い茂っていた。

 通常では、九月~二月にかけて摘果をするのだが、マナや精霊で溢れている恵みの森は、いつでも採集可能となっていた。

 時期が関係無しに作物を採集出来るって素晴らしいよね。


「凄いな!一つの木に新芽から熟した実までが混在しているだなんて!」

「わあ!きれい!!青!茶色!紫色!赤!黒!様々な色が混ざっているんだね!」


 目の前のオリーブの木には、不思議な事に、若く青い新芽から、黒く成熟した実までが混在していた。


「じゃあ、早速オリーブの実を摘んで行こうか?さくらは、この袋一杯にオリーブの黒く熟した実を摘んで貰っても良いかな?」


 オリーブオイルを作る為に必要な実は、黒く成熟した実。

 僕はそれを指定してオリーブ摘みを頼んだ。


「うん!黒い実を摘めばいいのね!」


 さくらは、両手で握り拳をつくり、胸の前で力を込めて宣言をした。

 これから初めて経験する事。

 自分の知らない事に触れる機会。

 それらの事がとても嬉しそうに、はしゃいでいる。

 僕にも覚えがある事だ。

 この年代の頃なら、何でも触れてみたいし、自分で挑戦をしてみたいと思う歳頃だから。


(まあ、僕の場合。その期間が短かかったのと、すぐにそう言った事が出来なくなってしまったんだけどね)


 だが、それもこうしてやり直す事が出来ているのだ。

 何一つ不自由無い身体。

 本当に、五体満足って素晴らしいね!

 そうして僕達は、お互いに近い距離でオリーブの実の採集を始めた。

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