001 ラグナロクRagnarφk

「“ラグナロクRagnarφk”へ、ようこそ!」


 機械じみた音声が、そう言葉を告げた。

 目の前に広がる仮想世界は、現実と見間違う程の映像だ。

 三次元+αをフル活用した最新技術映像が、視界を埋め尽くすように広がり、ファンタジー世界を煌びやかに映し出していた。

 そして、この物語の舞台となる世界“ユグドラシル”を象徴する巨大な世界樹が、目の前にあるのだ。

 それは、然も樹海の中にいるような、雨上がり後の埃っぽい大地の匂いから、落葉した葉の酸っぱい匂いと、樹木が生い茂る青々しい匂いと共に。

 

「っ...」


 世界樹の存在を前にして、声にならない音が喉から漏れ出ていた。

 どうやら、口が勝手に開いていた事を認識出来無い程に圧倒されているようだ。

 それこそ、“ユグドラシル”と言う世界を、その樹一つで支えている圧倒的巨大な世界樹に。


「凄いな...」


 その世界樹には、ゴツゴツと隆起した太い幹がところどころに見受けられ、まるで、今すぐにでも動き出しそうな龍が暴れ回っているようだ。

 見ている者に生命の神秘と、逞しさを教えてくれる、そんな光景。

 横を見渡しても、その視界から見切れない世界樹の広大さが、その樹径の太さがおおいに目立つ。

 上を見上げれば、自分の身長よりも大きい一枚の葉。

 それが、世界樹の全面へと広がっていた。

 地上からは世界樹の高さの先が見通せず、雲を突き抜けた先を、とこまでも、どこまでも天高く伸びて。

 その周囲には、オーロラや巨大な光の輝きを放つ物体が、無数に世界樹を漂っている。

 僕は今までの人生の中で、霊力や魔力などの異能な力を見た事も感じた事も無かったが、これがそうなのだと認識させられた。


 “大きく”“多きく”その存在に魅了されて。


 気が付けば、地上から上空へと移動が始まっていた。

 空への移動が始まると、爽やかなお日様の匂いが世界樹を前に昂ぶった気持ちを落ち着かさせ、心地良い太陽の陽射しが全身にあたる。

 僕の気持ちが落ち着いたところで、ふと我に返る。

 すると、地面に足が着いていない事に気が付く。

 これは、僕の視界だけが移動しているのかと勘違いをしていたようだ。

 だが、どうやら、僕自身が移動をしていた。

 突然、魔法をかけられたような、そんな自由自在に空を飛び回れる浮遊感を感じた時。

 僕は自然と驚きが漏れ出ていた。


「あれっ?...身体が浮いている?」


 空を浮いている感動を噛み締めていると、僕の後方から「バッサバッサ」と羽ばたく巨大な音が聞こえて来た。

 その音に想像を掻き立てられ、僕の抑えられない好奇心が溢れ出して行く。

 あれっ、空を飛ぶ物体って事は?

 もしかして... 

 ずっと夢に見ていたファンタジーだ。

 それを感じる為にも、しっかりと目に焼き付ける為にも、希望を抱いて後ろを振り向いた。


「!!」


 そこには、僕が待ち望んでいた、伝説や空想上だけに存在する生物がいた。


「ドラゴン!!くーっ!!やはり、格好良いな!!」


 そのあまりの嬉しさに、たまらず大声で叫んでしまった。

 自然とその生物へと視線が引き寄せられて行く。

 初めは全体をボンヤリと見渡していたのに、気が付けば隅々を舐め回すように見ていた。

 その生物は巨大化したオオヨロイトカゲのようで、その背中には体長と同じ位の翼が生えていた。

 大空を飛び回る黒いドラゴン。


「...あれは、光が吸い込まれているのか?」


 世界に現存する黒のどれよりも黒い暗黒のドラゴン。

 太陽の光を吸収しながら、僕の方に近付いて来る。

 体長50mはあろう巨体が、翼を羽ばたかせ、圧倒的な質量で僕目掛けて迫って来ているのだ。

 それを見た瞬間。

 心臓の鼓動が脈打つスピードが早くなった。

 首の裏から頭の先にかけてゾクゾクとした感覚が走り、頭の血の気が急激に下がって行く。

 背中から冷たい汗が流れ、知らぬ間に身体が硬直していたようだ。

 この場から逃げだしたいと言うのに、身体を動かせない恐怖に襲われていた。

 あまりにも精巧に出来たそれに、本能で死を感じ取って。

 弱肉強食と言うものを、種族の優劣と言うものを、絶対強者とはなんたるかを叩き付けられた。


(なっ!嘘だろ!?動けないぞっ!?どうなっているんだよ!)


 近付いて来るドラゴンの口が大きく開いた。

 自分の身長よりも大きい牙はとても鋭利で、それが口の中に無数に広がっている。

 身体は動けないと言うのに、感覚だけが覚醒している所為か、目の前の牙を鮮明に映し出して行く。

 僕は、それを何故か凝視してしまう。

 これは異様な恐怖からなのか?

 死の直前に感じる走馬灯のように、僕の集中が研ぎ澄まされていた。

 脳が勝手に視覚を細切れにし、まるでスローモーションのように処理をして行く。

 ドラゴンの開いた口が、無数の牙が、体感的にゆっくりと近付いて来ているのだ。

 その動けない僕の身体を嘲笑うように、ドラゴンの動きは止まらない。


「っつ!!」


 ドラゴンに噛み付かれた。

 それと同時に、僕は、気を失ったかのように意識が途絶えた。

 光の無い暗闇へと自我が飲み込まれて行く。

 黒い闇に溺れるように、その意識は深く沈んで行く...


(ああ、こんな最期は嫌だな...)


 あれ?

 嫌だなって事は、僕の意識はまだあるのか?

 そこで、痛みも無く死んでしまったのかと考えていたら、まだ自分自身の感覚がある事に気が付いた。

 ボンヤリとした意識の中で身体を動かしながら、自身の生命の無事を確認して。


「...っ!?生きているっ!!」


 安堵した瞬間、改めて驚愕する事実。

 これは事前の触れ込み通りの情報だ。

 細部まで美麗に作りこまれたグラフィック。

 現実と間違う程の感覚共有。

 その事実に僕は思わず戦慄してしまう。

 五感から得られる情報は現実と遜色の無い、リアルそのものだから。


「これは...現実なのか?」


 目の前の事態に訳も解らず困惑をしてしまう。

 だと言うのに、ドラゴンが僕をすり抜けると同時。

 世界が移動をしていた。

 浮遊した状態のまま、一瞬にして場所が切り替わったのだ。

 僕の目の前には、虹で出来た大きな架け橋が現れる。

 その虹の橋を身体が自動的に進んで行くと、目の前に巨大な両開きの門が現れた。


「虹の架け橋に...巨大な...門?」


 門の前には、腰に角笛をぶら下げて仁王立ちをしている番人が居た。

 一目で高齢だと分かる顔立ちだ。

 だが、身体から放つオーラや身に纏う装飾、その周囲を漂う雰囲気から神々しさと言うものを感じてしまう。

 身に着けている装備は、門を守ると言う絶対守護者に相応しい代物。

 背筋は真っ直ぐ伸び、老体とは思えぬ鍛え上げられた肉体。

 その所為なのか?

 全く歳を感じさせなかった。

 ちなみに、彼が角笛を吹く時、終末の時“ラグナロク”が訪れると言われている。


「見張りの神、ヘイムダルか!!わあ!格好いいな!」


 ヘイムダルが僕を視認すると、目の前の巨大な門に何やら呪文を唱え始めた。

 すると、複雑な模様の魔法陣が門を覆い、カチリと鍵が開く音が聞こえた。

 両開きの重厚な門が、自動的にゆっくりと開いて行く。


「っ!?門が開いて行く?...光が!?...眩しい!!」


 開き始めた門の隙間からは、光が溢れ輝いていた。

 あまりの眩しさに思わず手で目を覆う程だ。

 門が開けば、その入口には虹色の膜が張ってあり、向こう側が全く見えない。


「何だろう?虹色のゲート?...この先は、どうなってるんだ?」


 門の向こう側が、僕の方からでは確認出来無いので解らなかった。

 だが、僕の身体が、入口に向かって自動的に進み始めて行く。


「なっ!?まさか、ここを通るのか?」


 身体が勝手に進む恐怖で「ゴクリ」と生唾を飲み込み、自然と目を閉じていた。


「!?」


 僕が、その虹色の幕へと進入して行く。

 それはヌルッとしたような、少しひんやりするような、何だか不思議な感覚だった。


(包まれている...のか?...何だか不思議な感じだ)


 虹色の膜を抜けたところで、僕は恐る恐る目を開けて行く。

 すると、目の前には、見渡す限りに広大な草原が広がっていた。


「草原?ここは、どこなんだろう?」


 太陽の日差しを一杯に浴びた、心地良い草木の匂い。

 それはまるで、大自然の中にいるような感覚で、僕の顔が自然と綻んでしまう。

 深呼吸をしては、その空気をしっかりと味わった。


「すーっ、はー。...良い匂いだな」


 草原を進んで行くと、辺りには祭壇や神殿、鍛冶場などがあり、様々な神族が集まっていた。

 黄金で出来た宮殿には、男性の神族達。

 純白で出来た宮殿には、女性の神族達。


「黄金の宮殿...グラズヘイム?純白の宮殿...ヴィーンゴールヴ?」


 黄金の宮殿には、蒼を基調に黄金の装飾が施された装備を身に纏う女性達が、何か得体の知れないものを運んでいる。

 その集団の女性達は、一人一人が完成された芸術のようであり、ことわざの『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』を体現している人物達だ。

 あまりにも美しいその姿に、自然と魅了されてしまう。

 ああ。

 これが女神様なのかと。


「戦乙女...ヴァルキュリー」


 この集団は、戦乙女“ヴァルキュリー”と称される女性達だ。

 美しいだけで無く、戦闘でも大活躍するヴァルキュリーに虜になるゲーマーは多いだろう。

 彼女達が運んでいるものを目を凝らしてよく見ると、それは世界樹の周りに漂っていた巨大な光の輝きと同一のものを運んでいた。


「そうか。ヴァルキュリーが運んでいる光の輝きは、“エインヘリャル”だったんだ」


 エインヘリャルとは、生前に英雄と呼ばれる人物の魂だ。

 黄金の宮殿“ヴァルハラ”に集められ、主神“オーディン”により選別をされた後に復活を果たし、終末の時“ラグナロク”を戦う為に集められた。

 僕がそんな事を考えていると、地鳴りと共に、大地を駆ける蹄の音が大きく鳴り響いた。

 それは爆発にも似た音を響かせ、大地を駆け回る八本足の馬の神獣。


「おお!スレイプニル!!」


 この世界の主神の愛馬であり、地上だけで無く、空中までを自由自在に駆け回れる。

 間違い無く、最強の軍馬だろう。


「いつか、乗ってみたいよな!あんなに、自由に動けたら気持ちよさそうだ!!」


 騎乗してみたいと思いつつも、ステージは勝手に進んで行った。

 そうして草原の先の光を抜けると、宇宙に似ている空間へと出た。


「ここは、ラグナロクの外?...宇宙?」


 周囲には星々が散って輝いているが、一際大きな存在を示す星があった。

 それは、世界樹が象徴的で、九つの世界を繋げている“ユグドラシル”。

 先程までいた自分が居た世界を、僕は外から眺めているのだ。


「凄いな!外から見ると、世界樹があんなに大きいだなんて...とても、綺麗な世界だな」


 初めて見る景色に感動を噛み締めてしまう。

 現実には無い、仮想世界だけの素晴らしさと言うものを。

 此処からは次々と場面が切り替わり、そのステージが自動的に進んで行った。


「わっ!?世界が、切り替わる!?」


 青い海に囲まれた大地に、豊穣と平和を司る神々が住まう世界。

 黒海に囲まれている、死を免れない人間の世界。

 灼熱の大地に、炎の髪と溶岩の肌を持つ悪魔が支配する世界。

 氷に覆われた大地に、死者を支配する神族と悪魔のハーフが居る世界。

 エルフが住まう世界に、ダークエルフが住まう世界。

 ドワーフや小人達が住まう世界。

 そして、神族と敵対する、悪魔が支配する世界。


「これから...この世界で...やっと、自由に動けるんだ」


 様々な種族が、自分の周りを縦横無尽に飛び交い、様々な魔物や神獣が、フェードアウトしながら映し出されて行く。

 ユグドラシルと言う世界を、こう言うものなのだと僕に教えてくれているようだ。

 その一つ一つの好奇心を満たしてくれる感覚を覚えながら、更なる探究心を求める感情が芽生え、目の前で映し出された映像を一生懸命に記憶して行った。


「九つの世界...早く、いろいろな世界に行ってみたいな!!」


 これは映像の最後。

 この世界を統べる、戦争と死の神“オーディン”が現れた。

 光輝く無数のエインヘリャルから、何かを選別しているようだ。

 その中でも、一際輝きを放つエインヘリャルに“オーディン”が力を注ぐ。

 すると、眩い光と共に、エインヘリャルから英霊が具現化して行った。

 その時、世界中に角笛が鳴り響いた。

 神々と共に、最終決戦“ラグナロク”を迎えて。



 此処で、β版には無かったオープニングが終了した。

 メーカーがその労力を最大限に発揮し、細部まで繊細に作り込まれた圧倒的なグラフィック。

 僕はそれを堪能し、思わず感動してしまった。

 映像だけでは無く、五感を刺激する特殊効果や音楽。

 そのたった数分に込められた圧倒的な技術で、僕は“ラグナロクRagnarφk”に魅了されたのだ。

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