056 新たな出会い

「■■■■、■■■■■■■■■、■■■■■■■■?」

(あらあら、こんな場所に赤児が、どうしたのかしら?)


 聞こえて来たのは何かの言葉。

 しかも、今までに一度も聞いた事が無い言葉だ。


(...女の人の声?)


 僕は、動く事が出来る状態では無かった。

 それは、自分自身ではどうする事も出来無い状況。

 だが、近付いて来る足跡の方角から随分と、おっとりとした口調の女性の声が聞こえて来たのだ。

 その瞬間。

 僕の不安や恐怖、警戒をしていた緊張と言ったものが一瞬にして解かれて行った。

 ...良かった。

 得体の知れないモノでは無く、見知らぬ人であって。


(でも、この言葉は...一体、何て言っているんだろう?)


 その女性は何かの言葉を話していた。

 ただ、僕にはその言葉を理解する事が出来なかった。

 それは日本語では無い、僕の全く知らない言葉を喋っていたからだ。


(今の状況から...抜け出せるのか?それとも...)


 近付いて来ている人物が女性とは言え、安心する事は出来無い。

 足音が大きくなり、僕にどんどんと近付いて来る。

 期待と不安。

 僕の現状を照らし合わせれば、その両方の気持ちが入り混じっていた。

 助かるのかも知れない期待。

 そのまま放置されるのかも知れない不安。

 鳴り止まぬ鼓動の音が、とても煩い。

 そうして足音が近付くにつれ、ようやく僕の視界の端に人影が見え始めた。


「■■■■■?■■■■■■■。■■■■■■■■■」

(あらあらっ?そうなのですね。神の導きなのですね)


 その女性は、僕の顔をじっくりと覗いて話し掛けて来た。

 何故か、話している最中に一度空を凝視めてから、又、僕の方へと向き直したけど。

 僕にはその言葉が解らなかったが、ようやく、その声の女性を目の前で見る事が出来たのだ。


(!?)


 その女性は、白と青の修道服を着ているシスター(?)。

 白いベールを被って素顔を覆っているが、そこから覗く顔立ちは美の象徴。

 現実世界でも見た事が無いような、とても美しい女性だ。

 透き通るような雪のように白い肌。

 しかも、張りのある、きめ細やかな肌だ。

 そして、真っ直ぐ筋の通った鼻に、桃色の小ぶりな唇。

 その金色に輝く瞳は慈愛に溢れていて、くっきりとした二重にワサワサと長い睫。


(...女神...様?)


 僕が目の前の女性に目を奪われていると。

 女性が優しく微笑みながら僕を丁寧に包み込むように抱き上げてくれた。

 すると、緊張していた気持ちが全て解れて、自然と安堵して行く。


(良かった。知らない人の筈なんだけど...何故か、安心出来る人だ)


 女性は、自ら頭に巻いていたベールを外して、裸の僕へと巻き付けた。

 その時。

 ベールを外した女性は、絹のような滑らかさを持つ、長くて美しい金色の髪が露になった。

 その金色の髪が風になびく姿は、何処か神秘的で、絵画に描かれた女神のように芸術的だ。


(...とても、綺麗な人だな)


 人の温もりを感じたのは久しぶりの事だった。

 人に抱き締められた事なんて、一体いつ以来だろうか?

 僕にはそれすらも思い出せない。

 だが、それはとても心地良いものだった。

 女性に優しく抱き締められれば、僕の全身が暖かい光に包まれているような感覚を得た。


(...あたたかい)


 見ず知らずの僕を優しく包むその行為。

 伝えられない言葉では無く、その行動で感情を示して。

 「もう大丈夫だよ」、「安心してね」と、その行動で丁寧に伝えられているように。

 僕が気付いた時には、自然と涙が流れていた。

 それは今まで蓄積されて来た、寂しさ、苦しさ、悲しみが溢れ出るように。

 人目も憚らず、精一杯、泣き叫んでいた。


 僕は、母親を知らない。

 僕は、父親を知らない。

 僕には兄弟もいなくて、家族を知らない。

 虚弱な母親は、その命と引き換えに僕を生んでそのまま死んでしまった。

 父親も生まれた時には既にいなかった。

 生まれた時から病院で生活をして、闘病を続けて来た人生。

 何故、僕は生まれたのだろうか?

 何故、僕は健康な身体では無いのだろうか?

 自由に動く事も出来無い薬漬けの毎日。

 食事もまともに取れずに、栄養摂取の為の点滴ばかりで家庭の味を知らない。

 身体の成長も遅くて、自身の生命活動で精一杯の身体。

 何故、僕は一人なのか?

 何故、僕は家族がいないのか?

 母親に抱いて貰った事は一度も無い。

 父親に叱られた事も一度も無い。

 生まれてから今までずっと、家族の愛を知らずに育ち、家庭の温かさを知らずに育った。

 そんな僕は自分の境遇を恨み、見ず知らずの他人を羨む。

 なんで僕だけ?

 なんで皆は?

 妬みの気持ちは苦しくて、自分の感情を腐らせて行く。

 嫌な事ばかりを考えてしまい、生きる事が辛い毎日。

 どうして、お母さんは僕を生んだの?

 その疑問は解ける事が無く、もう聞く事も出来無い。

 じゃあ、僕を苦しめる為に生んだの?

 そんな答えの出ない想いを心に抱えて。

 辛い日々を繰り返して、痛くて、苦しくて、寂しくて、悲しい。

 暗くて、黒い嫌な気持ちが心を支配する。

 でも。

 そんな僕でもだ。

 心の底から強く望む想いは、“生きていたい”と“死にたく無い”。

 例え、それがどんなに辛い状況だとしても、精一杯生きていたいのだと。

 死に抗って、出来る限り長く生きたい。

 必死に。

 全力で。

 我武者羅に。

 生きて、生きて、生きて。

 それでも叶わず、死ぬその時まで。


 結局、思い返しても僕が現世で生まれた意味は解らない。

 その疑問も解けないままだ。

 でも...

 こうして、また生きる事が出来るのだ。

 その嬉しさが込み上げて感情を刺激する。

 この場所で、この世界で、僕は精一杯生きようと心に誓った。


 泣いている僕を見て、僕を抱え上げてくれている女性が、あやすように微笑んだ。

 「どうしたの?」、「もう大丈夫だよ?」と、その笑顔で優しく包むように。


「■■■。■■■■。■■、■■■■■■」

(大丈夫。大丈夫よ。もう、大丈夫だから)


 僕にベールを巻き終えると、女性は僕の顔を覗き込んで笑った。

 その繊細な美しい手で、頬を優しく撫でて。

 女性が話す言葉は僕の知らない言語。

 だが、その行動で安心をさせてくれる。

 ああ、身体が温かい。

 全身がポカポカする。

 身体も、気持ちも、全てが温かい。

 何だか、嬉しい感情が止まらない。

 きっと、その身体と言う器から、気持ちと言う感情から、零れるように溢れているだろう。

 涙と言う見えるかたちで。


 すると、女性が僕を抱き抱えてこの場所から移動を始めた。

 僕に衝撃を与えないようにと、丁寧にゆっくりと歩いてだ。

 何やら森の中に入って行くようだ。

 その森の入り口で、先程まで僕達が居た場所を女性が振り返った。

 どうやら、僕は勘違いをしていたようだ。

 先程まで居た場所が、既に“森の中”だったのだ。

 僕は、目の前に広がる木々が森の入り口だと思っていた。

 だが、先程まで居た場所は10m平方の広場で、その広大な森の中の一部だったのだ。

 広場の中央にはとても大きな樹が生えており、色取り取りの花が咲き広がる不思議な場所だった。

 中央に頓挫する圧倒的主張。

 僕にはその大きな樹の周りが、虹色に光輝くように見えた。

 そう。

 まるで、此処が聖域だと知らせるように。


 振り返って何かの確認が終わると、女性は森の中へと進んだ。

 森の中の道は舗装されておらず、人が通る道としては非常に歩き辛そうな道。

 所謂(いわゆる)、獣道と呼ばれるもの。

 しかも、周りに生い茂る樹は逞しく、その樹齢が解らない程に成長を遂げていた。

 ただ、この状況を考えてみても、森の中を女性が一人で来ているので危険は無いのだと思う。

 それに女性自身、周りを警戒する様子が全く無いのだから。


 女性が森を歩く事10分程。

 ようやく、森の出口が見えて来た。

 その出口には、太陽の日差しが光のカーテンみたいに広がっている。

 僕達はその光のカーテンを通って森を抜けた。

 森を出ると直ぐに、教会らしき建物が見えた。

 どうやら、僕達が出て来たこの森は、その教会の裏手一杯に広がっているみたいだ。

 そして、その教会の正面口に回ると、木の扉の前で修道服を着た別の女性が立っていた。

 その女性は不安そうに、胸の前で祈りを奉げるように手を組んでいる。


(お祈り?しているって事は...ここって危険な森だったのか!?)


 足音でこちらに気付くと、その女性は安心したのか、不安で強張っていた表情は笑顔になり、祈りに込めていた力を抜いて脱力した。

  

「■■■■。■■■■■■■■■...■■、■■■■■?」

(良かった。無事だったのですね...まあ、赤児ですか?)


 この女性は、僕を拾ってくれた女性よりも小柄で、まだ七〜八歳位に見える少女だ。

 その優しそうな垂れた翠の瞳に、鼻の周りのそばかすが特徴的だった。

 少女は、女性みたいにベールを被っておらず、地頭が剥き出しだった。

 髪の色は茶色で、肩の長さまで真っ直ぐ伸びている。

 その茶髪の少女が軽く息を吐いて、安心したかのように喋り始めた。

 ふと、こちらの顔を覗くように見て。

 相変わらず、何を喋っているか言葉が解らない。

 どうやら、英語では...無さそうだ。


「■■■■、■■■■■■■■■■。■■■■■■。■■■■■■■■■」

(今日から、ここで一緒に暮らすわ。神の導きです。大変ですが宜しくね)


 僕を抱えている女性が頭を優しく撫でながら茶髪の少女に伝える。

 すると、茶髪の少女は少し驚いた後にこちらを見て笑った。


「■■■■■■■。■■。■■■■■■■■!」

(神の導きですね。はい。精一杯頑張ります!)


 言葉は解らなかったのだが、何となく歓迎された気がした。

 その少女の笑顔から「これから宜しくね」と。


 教会に来ると、初めに僕は、井戸がある場所で身体を清められた。

 清められたと言っても、身体を水で洗うだけの話だが。

 この場所には、お風呂もシャワーも無い。

 身体を洗うと言う行為も、水で全身を流すだけ。


(石鹸やシャンプーは、無いのかな?)


 まあ、僕は洗って頂いている立場なので、水で身体を流すだけでも、とても有難い事だけど。

 ただ、僕は自分の身体を見る事が出来無い。

 見えないから確認する事が出来無いのだが、何だか、背中部分が嵩張っているように、少し変な感じがする。


(何だろう...この背中の違和感?)


 水で身体を洗い終われば、濡れた僕の身体を何かで拭いて貰えた。

 ただ、その身体を拭く物は、タオルみたいに柔らかくて吸収が良い物では無く、ゴワゴワとした硬い布で、無理矢理身体の水気を取った、そんな感じだ。

 そして、身体を拭き終えた時。

 服を着せるのでは無く、布を身体に巻き付けた。

 勿論、下着なんて物は無く、オシメなんて物も無い。

 排泄物は全て垂れ流しの状態だ。

 ただ、変な話。

 僕は寝たきりの状態が多かった為、他人に生命活動を救助されていたからこそ、そう言った羞恥心や罪悪感は無かった。

 これが普通の人ならば、かなり戸惑う事だとは思うけれども。

 しかし、後始末はそのまま放置するだけで、おしりも軽く水で流すだけ。

 衛生環境はかなり劣悪なものだ。

 現代社会において、此処は何処の田舎なのだろうと考えてしまう程だ。


(海外だから...文化が違うのか?)


 僕の身体が清め終われば、教会の中へと移動を開始した。

 教会への入り口である木で出来た両開きの扉を開けると、中は聖堂になっており、奥に女神像を祭った祭壇があった。

 ただ、この教会には、ガラスやステンドグラスと言った物は無く、木製の立て掛け開閉式の木窓だけ。

 但し、窓がある場所は、太陽の光が女神像を照らすように計算されていた。

 光が差し込むと女神像が輝いて見える。

 この聖堂からは、応接室、二階建ての居住空間のある部屋へと繋がっているようだ。

 他に部屋が何部屋かあるようで、意外と広いみたいだ。


 食事は赤児なので母乳を飲む事になる。

 固形物は食べられないし、流動食も無い。

 転生したばかりだと言うのに、これは詰んでしまったか?

 そう不安に思っていると、教会には金髪のシスター?とは別に乳母が存在していた。

 僕の他にも赤児が一人居るみたいで、どうやら、その子の母親みたいだ。


(いや...母親なのか?この人も随分と若く見えるし...)


 見た目で言えば14~15歳前後に見える。

 海外の人だから大人っぽく見えるけど...

 まあ、母乳が出る事からも見た目なんてものは当てにならないのだろうけど。


(それにしても...この人も異様に綺麗な人だな...人間なのか?)


 その女性は、そう思いたくなる程の美しさを誇っていた。

 まあ、僕は、その人から母乳を貰えた事で生命を繋ぐ事が出来た訳だけど。

 プロネーシス曰く、これは相当運が良いとの事だ。

 何故なら、生まれたばかりの赤児は、母乳摂取で栄養や免疫をつくる為だ。

 母乳が飲めないだけで、死亡の確率がぐんと上がってしまう。

 後々、知る事になるのだが、この世界の赤児の生存率はかなり低いもの。

 状況を考えれば、転生して赤児(裸)のまま森の中に居た僕は、かなり危険な状態だったと言う訳だ。

 教会のシスター?に拾われて、本当に良かったと思う。


(ふあ~。何だか眠い...)


 体力が無い所為なのか?

 それとも、成長の為なのか?

 この身体は起きているだけでも時間が経てば直ぐに眠くなる。

 まあ、起きていてもどうせ動けないので、僕からすれば寝ている方が楽で、そっちの方が全然助かるのだけれども。

 相変わらず、この世界の言葉は解らないままだ。

 知らない世界に、知らない場所なのだから、当然なのか。

 一応、プロネーシスが言葉を全て記憶して、言語を解析してくれている。

 まだ、ハッキリとは解らないが、元の世界には無い言語らしい。

 僕自身も言葉を注意深く聞いてみるが、その言語がさっぱり解らない。

 周りにいる人達も僕(赤児)に話し掛ける事は無いし、親切に言葉を教えてくれている訳では無いので、その言葉は単純に右から左に流れるだけなので仕方が無いのだろうけど。

 これは、早く言葉を覚えなければと痛感した瞬間だった。


 そうして無事に一日を問題無く過ごす事が出来た。

 今僕が居るのは、森の中で拾ってくれた金髪の修道服の女性の部屋。

 ベッド?(木の箱の上に藁を引き布を被せた物)の上で、仰向けで寝ている状態。

 正直、赤児のまま意識がハッキリしているのはかなり辛い。

 喋る事も、動く事も、僕自身では何も出来無いのだから。


 でも。

 それでもだ。

 それでも、僕は生きているんだ。

 病院の白い天井を眺める事しか出来無い、寝たきりの生活では無くて。

 生命を繋ぐ機械音しか聞こえなかった無機質な部屋では無く、様々な生活音が聞こえる、生きていると言う実感。

 そして、点滴では無い、味のある食事。

 見える景色はその都度変わり、人と触れ合う事が出来る。

 機械に繋がられた冷たさでは無く、人の温もりで確かな優しさを感じて。

 生きていく上で、直接その身体に五感を得られる喜び。

 ああ、本当に。

 本当に、転生出来て良かった。


(今度こそ...生き抜いてやるぞ!)

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