第41話 「罪な晩餐」

「蓮花〜なんか食べるのない〜?全然足りなかったんだけど〜」


風呂から出てきた優佳さんが濡れた髪を拭きながら言った。


ホントに足りなかったらしく、きゅっとくびれた優佳さんの腹の虫が声を上げた。


「え〜?なんもないよ?」


僕の上に座っていた蓮花さんは立ち上がって冷蔵庫を開けた。


「ん〜……ないこともないけど、この時間に食べるのはなあ……」

「え〜……」


時間は夜10時。


草木も眠るような時間になっていて、先に風呂に入った紗耶香さんはうつらうつらしていて、今にもテーブルに激突しそうだ。


「ハルちゃん。夜になったら出かけるからって言ってたんだけどな」


キッチンから戻ってきた蓮花さんが風見先生に目を向けた。


そんな先生は飲みかけのビールを手に握りしめたまま、寝息を立ててる。


「ん〜……」


蓮花さんが先生の手からビール瓶を抜こうとすると、唸り声を上げて胸の谷間にしまってしまう。


吸い込まれるように下へ下へと落ちていくビール瓶。まるで底無し沼のようだ。


「……ナオ?どこ見てんの?」

「え!?」


仁王立ちした優佳さんが僕を見下ろしていた。


「い、いや、ビール瓶。こぼしたら僕じゃ掃除できないなあ〜って」

「はあ〜……」


僕の言い訳が通じたのか、優佳さんは大きなため息を吐いた。


先生の隣に座った優佳さんは先生の脇腹を突っつく。


「ん〜……」


優佳さんの手を払いながらも先生はまだ起きない。


「いい加減起きてっての。腹減って死にそうなんだから」

「んん……」


左、右と払う手を躱しながら優佳さんは先生の脇腹を執拗に狙う。


「ほらほら。さっさと起きないとずっとやるよ〜?」


優佳さんは何かに目覚めそうなニヤついた顔で先生の脇腹をツンツンし続ける。


「んん〜!!」


払っても払っても続くツンツン攻撃に先生の声も大きくなっていく。


「んあ〜もう!なに!うっざいな!!ってつめた!?」


飲みかけのビールが瓶から溢れたらしい。


「ヤバっ!瓶!早く!」

「ふあ!?」


優佳さんの声に寝落ちしてた紗耶香さんが飛び起きた。


「あばばば!」

「優佳!ハルちゃん!お風呂!!」


テンパってる先生を優佳さんが引っ張ってく。タイトスカートにお漏らししたみたいに大きな地図が広がってるのが一瞬見えた。


「ナオくん。これ、冷蔵庫に入れてくれる?」

「う、うん」


蓮花さんからビール瓶を受け取って冷蔵庫に入れる。


「ぎゃあ!冷たい〜〜!!」

「うっさいわ!いい大人がお漏らししてんじゃないの!」

「漏らしてないって!!冷たっ!?あ!撮るな!撮るなあ〜〜!!」


風呂の方から優佳さんと先生の声が響いてくる。


「――見に行っちゃダメだよ?」

「ひっ!」


フッと耳に息をかけられた僕は飛び上がった。


後ろを振り返ると、さっきまで寝落ちしてた紗耶香さんがニヤニヤ顔で立っていた。


「心臓に悪い」

「ごめんごめん」


まったく謝る気がない謝罪に僕は息を吐いた。


「よっし!じゃあ、そろそろ行こっか!」


濡れた髪を乾かしてスッピンになった先生が膝を叩いた。


「行く?この時間に?」


時間は夜12時。日付が変わって気温は昼間より下がって肌寒さを感じるくらいになっていた。


「そ!あれだけじゃ足りなかったでしょ?その補填」


先生はそう言って玄関に向かう。


「早くしないと置いてくよ〜」


ガラガラと玄関の引き戸が開く音が聞こえた。


「こんな時間にどこに行くんだろ?知ってる?」

「いや」


僕は首をふる。紗耶香さんに知ってるか聞いてもわからないと返ってきて謎が深まる。


「まあ、行けばいいんじゃない?あの言い方だと食べるとこっぽいし」


先生に反撃を喰らって着替えた優佳さんが言った。



外に出る。


最初に目に入るのは、真っ黒に染まった瀬戸内の海。今にも全てを吸い込んでしまいそうな黒が広がってる。


その黒から目を背けるように視線を下に移すと、飲み込んでしまいそうな黒に対抗するように街の光が煌々と陸地を照らすのが見える。


中でも目を引くのが、左に見える造船所。


オレンジ色に光る灯りは夜の闇を切り裂かんばかりに輝いてる。


「玄関で突っ立ってないでよ。邪魔」

「腹減った〜!」


たちすくむ僕の横を優佳さんたちが通り過ぎていく。


「ナオくん」


定位置になった僕の隣に収まるように蓮花さんが来た。


1段、2段、と降りて5段目で振り返る。


「早く行こ」


蓮花さんが手を伸ばす。


「はいはい」


僕はその手を取って先生たちを追いかけた。



駅周辺には巡回と思しきヒューマノイドが数人歩いてるのが見えた。


「付き添いがいればオッケーだから」


と先生がここにくる前に言ってたけど、巡回用のヒューマノイドの見た目はロボットそのもの。なんの覆いもなく、剥き出しの金属で、目もレンズがそのまま剥き出しになってる。


日中見かける掃除担当のヒューマノイドは女性の見た目をしてるのに、なんでこっちはロボットなんだろう、と思ってしまう。


「夜の巡回は見た目が怖いって聞いたけど、ホントなんだね」

「まあ、あれでビビるくらいならさっさとおウチに帰って布団被ってろってことなんでしょ」


なんとも思わないのか、優佳さんがシレッとした顔で言った。


ガション、ガション……とヒューマノイドの足音が建物に反響する。


途中からしがみつくように僕の腕を掴んでる蓮花さんの手の力がさらに強くなる。


「蓮花、大丈夫?」

「大丈夫」


という割には、顔色が悪い。


僕は蓮花さんの手を握って高架下を潜り、港に出る。


わずかに人の声が聞こえる。


近くとさらに声は大きくなっていき、その奥に車が見えてきた。


「なに?……あれ」


僕の声を蓮花さんが奪うように呟いた。


見た目は8人くらい乗れそうなワゴンだけど、スライドドアの部分がトランクのような上に開けるタイプになってる。


ほかにも軽トラックみたいな車もいて、ワゴンと同じようにドアが庇のように開かれていた。


「知らない?屋台だよ。屋台。は〜いい匂い」


先生は深呼吸をして漂う海の臭いとば別の香りを吸い込む。


「ん〜……今日はこっちかな〜」


吸い込んだ香りに誘われるように先生はフラフラとした足取りで軽トラの屋台に向かう。


「おいっす〜!」

「らっしゃい!ってなんだ、ハルじゃねえか。今日は酒ねえぞ」

「飲んできたからお構いなく〜」


口の悪い女の人の声が聞こえた。


先生が手招きしてきたので、僕らもその車に近づく。


「好きなの選んでいいよ」

「いいの?じゃあ、これにしよっかな」


とラーメンとチャーシュー麺しかないメニューに紗耶香さんが指したのは特盛。1000円なり。


「じゃあ、アタシはその1個上のに、チャーシュー追加で」


優佳さんもスパッと決めた。


「ナオくんは?」


2つしかないメニューなのに、蓮花さんが聞いてきた。


「うーん。普通のラーメン、かなあ」

「じゃあ、それ2つ」


と蓮花さんが指を2本立てた。


「はいよ!硬さは?」


屋台のラーメンを食べるのが初めてな僕は厨房にしては狭すぎる車内を見ながらオススメを選ぶ。


「オススメか〜。好きなのでいいんだけど、ハリガネかコナオトシかな。ハルはこの時間に食うのはキツいかもしんねえけど」

「そんなことないし〜!まだイケるよ!ってことで大盛りハリガネ!」

「あいよ。できたら持ってくからテキトーに座っててくれ」


注文を済ませると、僕らはキャンプに使いそうな簡易テーブルに座る。


「この時間にラーメンねえ。ハルちゃんの顔がたまにむくんでるのって……」

「え!?うそ!?むくんでた!?いつ!?」


紗耶香さんの声に先生が立ち上がった。


「いつだっけ?」

「あ〜……先週とか?」

「うっ!?」


先生は心当たりがあるらしく、胸を抑えてテーブルに沈んだ。


と、そこに女の人がラーメンを持ってきた。


「お待たせ〜。ってなにやってんの?」

「現実を突きつけられて致命的なダメージが入っただけ」

「なら平気だな。ほい。大盛りからな」


軽くスルーされた先生はこのあと「ヤケ食いだ〜!」と叫んで2杯目も大盛りを食べた。

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