第38話 「心の準備」

「はい。じゃあ、ホームルームはじめるけど、全員いる?隣近所でいないって人は手を挙げて」


風見先生がクラス全体を見渡す。


教室の端にいる僕も同じように見渡してみたけど、手を挙げた人はいない。もっと言えば、空席もない。


どうやら僕がいるクラスで消えた人はいないようだ。


学校からの連絡事項を伝えた先生はもう一度クラスを見渡した。


「学校からはこのくらい。なにか質問は?」


静かな教室の中で手を挙げる人はいない。先生は肩をすくめた。


「あ、今日は私学校にいないから。6時になったら帰るからよろしくね」

「え!ハルちゃんいないの!?」

「ハルちゃんじゃない!風見先生!!」


声を出した男子を指して風見先生が叫んだ。


「まったくもう……10人ずつの持ち回りになったから今日は帰ります!誰が何と言おうとね!」


ふすっと鼻息を荒く、シャツのボタンが悲鳴を挙げそうなくらい胸を張った。


「メッセージは受け取れるから何かあったらそれで送ってきて」


そう言ってから、もう一度聞きたいことがないか確認を取ると、先生は教室を出ていった。


「蓮花~もう帰る?」


先生がいなくなって騒がしくなった教室で女子が話しかけてきた。さっき蓮花さんに課題で泣きついてきた女子とは別の女子で、黒髪のボブに前髪をヘアピンで留めてる。


「どうしたの?」

「ちょっとね~」


と、なぜか僕の方を見てきた。


「蓮花。ちょっとナオ借りるね。終わったらメッセ」

「あ、うん」


ため息を吐いて立ち上がった優佳さんに引きずられながら僕は教室を出た。


廊下はこれから部活に行く人や教室前でほかのクラスの人と話してる人たちで騒がしい。


優佳さんはそんな中をズンズン進んで行く。


「どこに?」


と声をかけるも反応なし。


階段を下りて職員室の前に着いたところで声が漏れ聞こえてきた。


「――わかった。まあ、どうせ帰ったところで家に入れないんじゃ、こっちの監督責任になるからな。しょうがない。引き続きそっちのことはそっち側のみんなに任せる」


どこかで聞いた声に優佳さんが足を止めた。


「にしても、今度は『消えた』ですか?IDが消えて今度は身体ごと?そんなバカな話あるわけないと思いますけどねえ」

「仮想空間ならデータが飛んで一時的に消えるってのは聞いたことありますけど、現実世界で?何かの見間違いじゃないんですか?」


嫌味が混じったような声がスピーカー越しに響いてきた。


「へえ?まあ、アンタたちならそう言うと思ってたんでちゃんと証拠はとっておいたんですけど」


と、男の先生の声がしたタイミングでドアが開いた。


「あ、優佳さんゴメン。まだかかりそうだから狩村くん家で聞いていい?あとで行くから」


ドアの向こうから風見先生が顔を出した。


「え。今日来るの?」


蓮花さんからなにも聞いてない僕は先生に聞いた。


「さっき決めたの。花村さんにも言ってないよ。抜き打ち」

「……」


テストならともかく、家庭訪問で抜き打ちは止めてほしい。蓮花さんが掃除してくれるから別に汚いわけじゃないけど、来るなら来るで心の準備が必要だと思う。


「――見えます?右が朝で、左がついさっき。差がわからないってなら合わせて――」


と、さっき話していた男の先生の声が聞こえると、先生は「ゴメン。あとで」とドアを閉めた。


「う~ん。学校にいる間の方がよかった気がするけど……ま、いっか」


優佳さんは教室に向かって歩き出した。


「あれ?僕になにかあったんじゃないの?」

「あったけど、なくなった」

「ええ?」


曲がり角まで来たところで優佳さんが振り返った。


「ってか、さっきの。さすがに空気読んだ方がいいって」

「さっきの?」


僕は何のことかわからず首を傾げた。


「美帆――って言ってもわからないか。さっき教室で蓮花に話しかけてきた子のこと」

「ああ」


僕の方に目を向けてきた女子のことか、と納得した。


「蓮花と話したそうにずっとこっち見てたの気付かなかった?」


責めるように言ってきたけど、僕には心当たりがない。


関わりを持つ段階にたどり着く前にクラスメイトのほとんどがゲームの世界に行ってしまったため、視線を感じるのはお互いの認識が「転校生」のままになっているせいだと思ってる。


もっと言えば蓮花さんと話したい人はそれ以上にいるわけで。話したそうに見てるだけならそれこそ数えられないくらいいる。その中からピンポイントで気付けるかと言われればさすがにムリだ。


「はあ……」


まったく気づいてないと言わんばかりの僕の反応に優佳さんが溜息を吐いた。


「蓮花もそうだけど、ウチのクラスは察してって子が多いから。もっと周りを見て」

「ええ……」


めんどくさいことこの上ない注文に僕が声を出すと、有無を言わさない目で僕を睨んできた。


「善処するってとこで」

「はあ……」


優佳さんは2度目のため息を吐いた。ただ、そのため息はさっきのような呆れ混じりのため息じゃなかったのは間違いない、と思う。


教室に戻ると、蓮花さんと紗耶香さん、それとついさっき優佳さんとの話題に上がった女子が話していた。


「へえ〜!あ!これなんかかわいい!マジで手作りなの?それも一晩で?やば……」


紗耶香さんが何かを手にしてまじまじと見てる。


「昨日の夜ヒマだったからさ〜。試しにやってみたんだけど、思ったよりできたんだよね。まあ、一晩で作ったから結構作りはザツいけど」

「え〜?そんなことなくない?これもかわいいじゃん」


何かのキャラクターなのか、蓮花さんも手にとってまじまじと見てる。


「すごいなあ。裁縫は私にはできないもん」

「や、んなことないって。慣れよ。慣れ。誰でもできるって」

「いやいや。アタシにはそんなかわいいモノが作れるセンスないし」


優佳さんはそう言って僕の席に座った。


「優佳は……まあ、うん。そうね……」

「家庭科とか図工、壊滅的だったもんね……知ってる?クリーチャー作ったんだよ?」

「ちょっと!」

「え?知らない。クリーチャー?なにそれ?」

「画像あったっけな」


紗耶香さんがデバイスを使って探してると、女子の顔が優佳さんに向いた。


「そういえば、用事は終わったの?」

「終わってないけど、学校じゃなくて蓮花ん家でって言われた」

「「え?」」


蓮花さんと女子が声を上げた。


「優佳、それいつ?」


蓮花さんが慌てた様子で聞いた。


「さっき。抜き打ちだ〜って」

「ええ……急に言われてもなにもないよ。どうしよ」

「転校生に用事があったんじゃないの?」


頭を抱えてうんうん言い出した蓮花さんに目を向けながら女子が聞いた。


「ナオ?あるわけないじゃん。ほら、さっきの。ハルちゃんに言っとこうと思って。一緒に連れてけば証人になるでしょ?」

「消えたヤツ?やっぱ見間違いじゃなかった?」

「蓮花もナオも見てる」

「ええ。こっわ」


女子は自分の腕で身体を抱えた。


「アンタは?カウントダウンあるの?」

「あった、と思う。どのくらい残ってるかわかんないけど」

「そう」


楽しそうに話していたさっきの雰囲気から一転。一気に重苦しい空気になってしまった。


「向こう側じゃどうしようもないってさ」


優佳さんは背もたれに寄りかかった。


「誰が?」

「向こうの先生。誰だかわかんなかったけど、向こうとこっちで会議やってて」

「ふうん。まあ、向こうはそんなもんだよね。わたしだって向こうの先生覚えてないし」


と紗耶香さんが呟いた。


お互いにかける言葉がなくなったらしく、教室の中は静けさに包まれる。


開け放たれたままの窓からは10月にしては暖かい風が吹き込み、傾いてきた日が赤く教室内を照らす。


女子3人だけの教室は実に絵になる光景だった。

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