第36話 「甘い八つ当たり」

「ただいま〜!」


学校が終わって家に着くと、蓮花さんは着替えに2階へ、優佳さんは制服のまま風呂に向かった。


「なんかすっかり住んでるよね」

「優佳?もう2ヶ月になるもんね。どうするんだろ?」


2階から降りてきた蓮花さんがキッチンで米を研いで、炊飯器のスイッチを押しながら言った。


「よし。これでご飯はおっけー。次は――っと。そうだそうだ。たしかアレ食べないと」


夏休み中ずっと僕のTシャツだけだった蓮花さん。ふとTシャツの裾から覗いてるのが下着じゃないのに気づいた。


「そういえば下に履くようになったんだね」

「ん?」


と、蓮花さんがかがんだまま僕の方に顔を向けた。


「ハーフパンツ」

「ああ。これ?さすがに寒くなってきたからね~。ワンピースでもいいんだけど、掃除とか料理するときはやっぱ邪魔だから」

「ふーん」


僕にはわからないけど、思ったよりちゃんとした理由があるらしい。


「履かない方がいい?」

「いや、履いて。というか、夏でもちゃんと着て」


僕が食い気味に言うと、蓮花さんはクスクス笑った。


「暑くなかったらね」


蓮花さんはそう言うと、おかずを作りはじめた。


「ふ~……掃除してきた。ついでに入ってきちゃっていい?」

「ありがとー!いいよ!」


蓮花さんの返事を聞いた優佳さんはリビングを通り過ぎて2階へ。着替えを取りに行ったらしい。


なにもすることがない僕は畳に横になって学校で調べていたものの続きを見てみる。


相変わらずIDの喪失に関する情報はどこにも出てこない。10や20あっても不思議じゃない出来事のはずなのに、検索結果はゼロ。関連した項目すら出てこない。


「じゃ、先に入るから」

「どーぞー」


蓮花さんと優佳さんの声が聞こえた気がする。けど、それもすぐなくなって、蓮花さんの鼻歌と何かが炒められる音がBGMになる。


「ねえ。ナオくん。薫さんどこにいるか知ってる?」


調べ物の途中で蓮花さんの声が聞こえた。


「薫さん?知らない」

「そう?おかしいな。家にいないんだよね」


家の中を探したらしい蓮花さんが首を傾げた。


「ええ?」


と思ったけど、言われてみれば朝会ったきり今まで姿を見ていない。


「学校、とか?」

「う〜ん。スケジュールには書いてないんだよね。急用かな?」

「優佳さんが何か頼んだとか」

「かなあ?出てきたら聞いてみるね。あ、もう食べられるよ。優佳が出てくるまで待つ?」

「ん。その方が楽でしょ」

「おっけ」


蓮花さんはそう言ってキッチンに戻っていく。


時計を見ると、短針が7を通り越して8に近づいていた。


女子の風呂は長いって聞くけど、優佳さんもその例に漏れず長風呂。僕が風呂に入って出てくると、びっくりされたくらい長風呂。


「蓮花も長いよね」

「長い?」

「風呂。なにやってんの?」

「長くないよ?別にフツーに髪と体を洗ってあったまるくらいだし。そういえば、ナオくんは早いよね?ちゃんと入ってる?」

「入ってるよ。失礼な」

「だよね。たまに私の使ってるみたいだし」

「へ?」


急にそんなことを言われた僕は変な声が出てしまった。


「あれ?気付いてないと思った?わかるよ〜?」


煮物を置いた蓮花さんがニヤッと笑った。


たしかになくなったのを忘れて風呂に入ったときが何回かあった。困った僕は近くにあったシャンプーとリンスを使わせてもらったけど、そんなこと覚えてる?


動揺してる僕に追撃をかけるように、蓮花さんは僕の隣に座って肩を寄せてきた。


フワッと香る甘い匂いと触れる肩の柔らかさに身体が強張る。


「いつもこうするじゃん?3回くらいかな。匂いが違ったの」

「へえ」


蓮花さんが僕の肩に頭を乗せた。


「誰かな〜って思ったんだけど、心当たりなくってさ。でも、お風呂に行く前まではいつものままだったからおかしいなって」

「ちょうどなくなってたんじゃなかった?」

「そう!それでお風呂に入るときにナオくんのがないのがわかってさ!」


僕の太ももを叩いた蓮花さんは頭をグリグリしてきた。


「痛い痛い」

「3回だよ!3回!それも忘れたころに!もう!!」


バシバシ叩いてくる蓮花さん。完全に八つ当たりだけど、僕はされるがまま。


ここで何か言おうものならさらなる攻撃が僕を襲う。


反撃に出たい気持ちを抑えて無の境地を目指していると、蓮花さんの動きがピタリと止まった。


「蓮花?」


あまりに不自然なくらいピタリと止まった蓮花さんに目を向ける。


「どうしたの?」


廊下の方に目を向けたまま固まってる蓮花さんの視線の先を見てみると、引き戸と柱の間に目が縦に6つ。


「あれ?もう終わり?まだ待ってた方がいい?」


一番下の目が上に向いた。


「ちょっと。見つかるって。こっからが面白いんだから黙って」

「お腹減った……蓮花のご飯早く食べたい……」


僕の方にまでお腹の音が聞こえてるんだけど、突っ込んだ方がいいのかな?


そんなことを思ってると、蓮花さんが静かに立ち上がった。


「やばっ!気付かれた!早く逃げ――」


スパン!と小気味いい音を立てて引き戸が開けられると、リビングに女子3人が雪崩れ込んできた。


「いたあ!ちょっと優佳!重い!」

「うっさいな!アタシだって――」


「乗っかられてる」と言おうとしたんだろうけど、一番上にいた薫さんは立ったままお腹を鳴らしていた。


「優佳?」

「待って。これには深いわけがあるの」

「ふうん?あ、薫さん、キッチンにあるから先に食べていいよ。ナオくんも」

「そう?じゃあ、お言葉に甘えて」


薫さんがキッチンに行くのを目で追う蓮花さん。その隙に優佳さんが逃げようと身体を動かすも、服を踏まれていて、ジタバタするだけ。


「紗耶香も?」

「や、わたしはいいとこに来たって優佳が」

「ちょっと!アタシを売るの!?」

「ふううん?」


僕からは背中しか見えないけど、声と2人の怯え方からその迫力を窺い知ることができそう。


「脳筋ゴリラなギルマスでも勝てないのってあるんだね」


2人分の味噌汁とご飯を持ってきた薫さんが呟いた。


「ちょっと!誰が脳筋ゴリラよ!」

「優佳?」

「ひっ!」

「録画ファイルは消して。今すぐ」

「え!?なんで!?」

「やっぱり撮ってるじゃん。もう。優佳は2日間ご飯と味噌だけね」

「ちょっと!?」


手伝いはじめたとはいえ、優佳さんの料理の腕はからっきし。


相変わらず蓮花さんに頼りっきりなので、仮に卵があったとしても卵焼きもできないし、なんなら目玉焼きですら焦がすレベルなのは変わらない。


ご飯だけじゃなく、味噌がついてるだけまだ慈悲があると言っていい。


「紗耶香は――」

「え!?わたし関係なくない!?」

「でも覗いてた」


反論しようと紗耶香さんは声をあげたけど、蓮花さんの一言であえなく撃沈。


紗耶香さんも僕と同じレベルで家事全般ダメなので、自力で何かしようと思ってもなにもできない。


「ん〜……じゃあ、メイン1つなしね」

「ええ!?」

「不満なら全部なしにするけど」

「ヒトツダケデイイデス」


蓮花さんはふすと鼻を鳴らすと、キッチンに向かった。


「ふ。2日間ご飯と味噌だけ……」

「ふん。別に今日が初めてじゃないし」


優佳さんは肩を揺らす紗耶香さんの上から移動しながら言った。


「そうなの?」


紗耶香さんが僕に聞いてきた。


「まあ。もう10回は超えてるんじゃない?」

「ご飯だけってのもあったしね。あのときはまじで口の中が甘くてどうしようかと思った」

「その時点で謝ればいいのに」

「言ったよ?」

「改善された?」

「するわけないじゃん。メンゴメンゴ〜だよ?ぶっ飛ばそうと思ったけど、ご飯の方がダメージあるからしょっぱい梅干しだけOKにしてあげた」


焼き魚を手にキッチンから戻ってきた蓮花さんが言った。


「嫌いな物ぶっちぎり1位だけOKって鬼畜すぎじゃない?おかげでさらに嫌いになったわ」


紗耶香さんはケタケタ笑ってる。


「今回もそうする?いいんだよ?遠慮しなくて」

「いい。遠慮する。味噌にさせてください。お願いします」

「しょうがないなあ」


蓮花さんはお茶漬けの素を出してきた。


「今回だけね」


やっぱり蓮花さんはどこか甘い。

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