第21話 「侵食と対抗、そしてドジ」

都会にいたとき、僕が一番好きだった授業は近代科学史だった。


コンピューターという大型の計算機が起点となった近代科学史はその内容もさることながら、ヨボヨボのおじいちゃん先生がつらつら話す時代のウラにあった出来事まで赤裸々に語ってくれたのが面白かった。


先生は大の仮想空間嫌いで、向こうに行ったのは3回ほどだったらしい。授業は唯一現実世界で行われるため、人気がなかった。けど、物好きというのはいるようで、僕のほかにも数人がこの授業を受けていた。


「君たちが楽しんでやってるゲームはほどほどにしておいた方がいい。ああ、君たちの親と同じようなことを言うじゃないか、と思うかもしれないが、そうじゃない。むしろそれだけだったら君たち自身の問題だ。大人があれこれ言ったところでうるさいだけだし、言われれば言われるほど、やる気がなくなってしまうのは仕方がない。俺もそうだった。ちなみに1回電源を付けてからはじめた最長プレイは36時間だ。どうだ?説得力なんかかけらもないだろう?君たちの親だって同じだ。勉強しろ、と言ってる片隅で疲れただのなんだの言い訳にしてぐーたらしてる。そんな大人にケチを付けられたところで聞く価値などないに等しい。そうだろ?」


僕は大きくうなずいた。


「だが、仮想空間はその中身を知るとほどほどにしておいた方がいいと身にしみてわかる。仮想空間は人類の大いなる発明だ。社会構造そのものを大きく変えた存在として、間違いなく後世に残されるだろう。しかし、所詮は人間が作るもの。3度の同族殺しの大戦を引き起こし、今も火種は仮想空間に移っただけでくすぶったままの愚かな人間が作ったモノだ。必ず欠陥があることを忘れてはいけない。近代科学史はこうした人類が刻んできた科学の歴史を紐解いていく科目である。と、同時に、仮想空間への完全な依存に対する警告を教えるモノでもある」


先生はメガネをかけると、僕らにもメガネを配って同じようにかけさせた。


「これから見せるモノは君たちがよく知ってるモノだ。よく見ておくといい。諸君はこの授業でこれがスキルとして身に付く」


透過した画面に映ったのは、1丁の銃。


それだけじゃない。残弾数から装備、残り体力、体温、気温、風向きなど、FPSをプレイするなら絶対に欲しい情報がそこにあった。


「さて、はじめようか」


そこからはじまったのは蹂躙と弱者が強者になるための生き残るために必要な修行だった。近代科学史の授業は実戦の中で文字通り叩き込まれた。


数学や国語のように座学ではない。現実世界にいるのに、仮想空間と同じように身体を動かしながらの授業だった。


サバイバルでどう生き残るのか、食べ物や飲み物の調達、戦い方。それらを教えながらいつ対抗策がどのようにして生み出されたのかを実践を交えて教えてくれた。


「これは別に仮想空間でなくともできる。というか、仮想空間でなければできないというのは幻想だ。仮想空間ができるまで人類は限られた数ではあるものの、この現実世界でやっていたことだ。が、この100年で仮想空間はそれを仮想空間でしかできないという幻想を、人類に産み付けた。これは非常に危険だ。人類を蹂躙するに足る術を身に付けた、といっても過言ではない。どういうことかわかるかね?ゲームで的になった。都市を生成した。武器を生み出し、新しい使い方に対抗する手段を編み出した。君たちは喜んでそれを享受した。それは仮想空間も同じだ。が、どちらが対抗策を生み出すのが早いか、を考えて見てほしい」


毎回先生はそう言った。毎回授業が終わる10分前に現実世界に引き戻された僕らは常に息が切れていた。僕ら以上に動いていた先生は、僕ら以上に動いていたのに、息ひとつ切れてない。


絶対的強者。そう表現するしかないほどスゴがったそんな先生が言ったのだ。


――現実世界と仮想空間で大きな乖離があった場合は、開始の合図だ。見つけたらすぐに仮想空間から自分を切り離せ。そして一刻も早く姿を隠せ。逃げろ。


と。


「どうしたの?顔色悪いよ?」


ハッ!と気づくと、蓮花さんが腕を掴んで僕の顔をのぞき込んでいた。


「あ、ああ。大丈夫」

「そんな顔には見えないけど」


画面の向こうで優佳さんも心配そうに僕を見てきた。


僕はどう伝えるべきか迷った。


おそらくこの通話が僕を仮想空間と現実世界とをつなぐ最後になる。切ってしまったらもう仮想空間には行けない。


けど、西日本最大のギルドが一斉に動いたら確実にバレる。そして、それが蹂躙劇のトリガーになるだろう。


そもそも、こんな話を誰が信じるだろうか。


僕は考える。無いアタマを必死に動かす。


「優佳、時間だけど――」


と、画面の死角から声が聞こえた。


「やっぱおかしい。蓮花、そっちに行っていい?薫も連れてく」

「え?これから?いいけど」


そういうと、優佳さんはすぐに動いた。


「じゃあ薫、10分後。学校に。念のため一式持ってきて」

「おっけ」


そういうと通話が切れた。


白い光が消え、夜の黒と今にも消えそうな赤い光だけになると、僕の身体から力が抜けた。


「あっぶない!」

「ああ。ごめん。ありがとう……」


蓮花さんが慌てて抱き留めてくれたおかげで玄関先の階段から落ちるのはなんとか避けられた。


「大丈夫?」


暑い夏にもかかわらずひんやり冷たい蓮花さんの手が僕の顔に触れる。手は冷たいのに、抱き留められた身体はあったかい。


「ちょっとムリ」

「もう。優佳たちが来る前までね」


そういうと、柔らかく抱きしめられた。


「ふ」


それがあまりに気持ちよくて、僕は笑ってしまう。


「どうしたの?」

「優佳さんがなんで抱き着くのかわかったかも。言わないけど」

「ええ?なにそれ。気になる」


身体に力が入るようになったところで、僕は抱きしめていた蓮花さんの背中を叩いた。


「ん。もうちょっと」

「優佳さんたちが来るんじゃないの?」

「そうだけど」


蓮花さんはしばらく僕の胸元に頭をこすりつけた。


「よし!充電完了!」

「それ、マンガでもあるよね」

「あ~……あるね。ふ、なんかわかっちゃった」


蓮花さんはクスクス笑いだした。


「わかった?」

「こっちの話。ほら、大丈夫なら中入ろ?優佳たちもう来ちゃう」


蓮花さんはそう言って僕の手を引いた。


優佳さんたちが来たのはそれから少し経ってから。


「すごい荷物……どうしたの?」

「一応、ね。無いと困ると思って」


蓮花さんが引くくらいの荷物を持ってきた優佳さんが玄関で降ろした。


「全部非常食。蓮花がいても作れなかったら困るでしょ」


「よいしょ」と優佳さんが自分の家のように中に入る。


その後ろから肩甲骨まである黒髪の女子が来た。この女子がさっき言ってた薫さんか。


「お邪魔します」


薫さんも優佳さんと同じくらいの荷物を持ってきて降ろした。


「ふう~。あ~体が軽い」

「こっちに麦茶用意してあるから」

「ありがとー」


優佳さんたちが一息ついたところで、優佳さんが紙とペンを取り出した。


「こんなアナクロな手段じゃないと話もできないなんてね」

「お父さんは思ってた以上に早かったって」

「ふうん」


と優佳さんはペン先をインクに浸してサラサラ書きはじめた。


「まずすぐにやるべきこと。アンタたちは今すぐにやって。声に出すのはNG」


と紙にいくつか書きだした。


と、その中にすでに1度やってることがあった。


「また?」


「IDを壊す」と書かれたその文字を僕が指すと、優佳さんが頷いた。


「早く」

「どうやって」

「ハサミで切るだけ。こうやって」


優佳さんはハサミとIDを取り出してチップをチョッキンと切った。


「優佳。アンタ、自分のやっちゃダメでしょ。どーすんの?もう仮想空間行けないよ?」

「あ……」


薫さんはそれはそれは大きな溜息を吐いた。

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