第20話 「制服エプロン」
「ナオ。アンタ、アレどう思う?」
帰り道の途中、女子2人に挟まれて歩く僕に優佳さんが聞いてきた。
「アレ?って、ゲームのことだよね」
「当たり前でしょ」
優佳さんはため息を吐いた。
「あの場では言わなかったけど、なんとなくヤな予感がするんだよね」
「ヤな予感?」
「そう。ヤな予感。取り返しがつかないほど壊れるみたいな予感がするの」
なんだそれ?と思ったけど、右を歩く蓮花さんが僕の腕を強く握った。
「それっていつもの冗談じゃなくてガチの……?」
「そう。悪い方だから」
恐る恐る聞いた蓮花さんに優佳さんが頷いた。
「ええ……やめてよ。そういうときの優佳。マジで当たるんだから」
「アタシだって当てたくないんだけど」
「はあ……」と優佳さんはため息をまた吐いた。
ため息が出るってことはそれだけホントに当てて来たんだろう。信頼と実績なんて聞こえはいいけど、当たるのが悪い方向なら印象としては最悪だ。
「ナオが言ってた連絡が途絶えたってのはバージョンアップで戻ったみたいだけど、なんで起きたのか、その間何があったのか誰もわかんないままなんだよね」
「ベータテストだった。じゃ足りないもんなあ」
「ね。だったら今までも起きてるはずだし、対処されてるもんね」
対処されてアレだとしたらゲームに不安が出てきても不思議じゃないのに、誰もそれに関して何も言わなかった。
「ま、とりあえず1ヶ月は様子見、が妥当じゃないかな。みんなを人柱にするみたいでヤダけど」
優佳さんはまたため息を吐いた。
「あ、今日は泊まらないから」
僕が家の玄関のドアを開けたところで優佳さんは思い出したように言った。
「あれ。泊まらないの?」
来れば泊まってたのに、今日はご飯だけ食べて帰るとは。珍しいこともあるものだ。
「うん。念のため向こうに行っとこうかなって。ゲームまでは行かないけど、ギルドにいないと何かあったときに困るし」
「ああ。そっか。そうだね」
靴を脱いでリビングに向かう。
「あ~……」
出入口の壁にカバンを立てかけて置いた優佳さんは、そのまま滑るようにして畳の上に寝っ転がった。
「あ~……マジでラクだわ~」
エアコンの真下でぐて~っとしてる姿は暑さに負けたネコとそっくり。
「あ~……一生このままでいい~」
「一生そこでもいいけど、干からびるよ?」
蓮花さんが呆れた声で優佳さんに麦茶を渡した。
「く~!沁みる!あ~……細胞という細胞に染み渡るわ~」
優佳さんは一気飲みして声を上げる。
「オッサンくさ」
「うっさいな。いいでしょ」
思わず出てしまった言葉に反応した優佳さんが僕を睨んできた。
「アンタだって飲んだらわかるって」
蓮花さんに空になったグラスを向けて、おかわりを注いでもらう。
「わかるけど、やるのは別じゃない?」
「出ちゃうんだからしょうがないの。呼吸と一緒」
蓮花さんに目を向けると、苦笑いしてる。まあ、最初にウチに来たときもやってたから別にどうってことないんだけど、それにしても男子が想像してる姿とかけ離れすぎてる。
「あ~……」
なんて言いながらお菓子をボリボリ食べてるこんな姿を見たら、憧れなんて一瞬で吹き飛ぶだろうな。
「優佳、いつ帰るの?」
「あ~……8時くらい?」
テーブルに突っ伏した優佳さんは壁にかけられた時計を見て言った。
「8時?」
「うん。そのくらいで一回状況を聞きたいって言ってあるから」
「ならそろそろ作ろっかな」
蓮花さんは立ち上がってキッチンに向かう。
「ね。エプロンないの?」
蓮花さんを目で追ってた優佳さんが僕の足を蹴ってきた。
「いった。ある、のかなあ?見たことないけど。蓮花、エプロンつけないの?」
「え?エプロン?あ~……そう言えば制服でやるのマズいか。どこに置いたっけなあ」
キッチンの奥に姿が見えなくなると、ガサゴソ音が聞こえてくる。
「そう言えばこっちに来て使ったっけ?」
「僕は見てない」
「ん~?ってことはまだ箱?全部開けたと思うんだけど」
キッチンを出た蓮花さんは、階段を上がって2階へ。
「制服エプロン……ゴクリ」
なにを想像したのか知らないけど、優佳さんがヘンな想像をして息を飲んだのはわかる。
「だからオッサンかって」
「だって制服にエプロンだよ?」
「だから何だって」
「はあ~……まだ若い。若いよ」
なんで「この良さがわからないんだ?」みたいな溜息を吐かれないといけないんだ。
「あったあった。これでいい?」
2階から降りてきた蓮花さんはエプロンを付けてくるんと回った。
「どう?」
「ヤバい。最高」
優佳さんはグッとサムズアップしてる。
ただ制服にエプロンを付けてるだけなのに何がそこまでいいんだろう?本気でわからない。
「もーちょっとスカートが短いといいかな」
「ええ?こう?」
「あと一折!」
「ええ?見えちゃわない?」
「大丈夫大丈夫!あ~!いい!これよこれ!最高!マーベラス!!」
別に下着が見えるとか絶妙に隠れてるとかそういうわけじゃない。にもかかわらず優佳さんは手を叩いて褒めまくってる。
「ナオはこの良さがわかんないんだって。もったいないよね~」
そう言って優佳さんは蓮花さんに抱き着いた。
「もう。こんなことしてたら遅くなるって」
「大丈夫大丈夫。行ったところで話を聞くだけだし」
優佳さんは蓮花さんの胸に顔を埋める。
蓮花さんも「仕方ないなあ」と、優佳さんの頭を撫でる。
「そんなことやってるから授業中に腹が鳴るんじゃないの?」
「は?」
見てる分にはいいけど、そろそろ空腹具合に限界が来はじめた僕は、優佳さんの暴挙を止める言葉を唱えた。
「ふ。結構響いたよね。しかも、可愛げなんてないホンキの音が」
「う、うるさいな!」
クスクス笑う蓮花さんに顔を真っ赤にして優佳さんが叫んだ。
「隣のクラスも聞こえたって話だよ?」
「はあ!?」
優佳さんのお腹が空腹を訴えたのは、4時間目。学年単位で一斉にペーパーテストをやっていたときだった。
「それ、私も聞いた。結構後ろの席の子が言ってたってね」
「そうなの?」
後ろの席の子ってことまでは知らなかった僕は蓮花さんに聞いた。
「みたい。まあ、あの時間に石焼き芋はズルいよね。しかも風下でいい匂いまでしてきたし」
蓮花さんはそういって笑った。
「そうそう!アタシが悪いんじゃない!悪いのはあの時間に来た焼き芋屋!!」
優佳さんはぶっくりほっぺたを膨らませると、座って麦茶をグラスに並々と注いだ。
「じゃあ、連絡があったら教えるから」
「ん。なにもないといいけど、何かあったら来て」
「わかってる。じゃ、また明日ね」
蓮花さんが手を振ると、パタンと玄関のドアが閉まって優佳さんの姿がなくなった。
「ふう。どうする?お風呂?」
「もうちょっと休憩」
「ん」
リビングに戻ると、さっきまでの喧騒が嘘のように静かになる。
「何か飲む?」
「冷たいの以外」
学校でも家でも冷たい飲み物ばっかり飲んでたせいか、飽きてしまった。
「ええ?水かお茶しかないよ?」
「じゃあお茶」
「はいはい」
蓮花さんはキッチンに向かった。
「はい。お茶」
「ありがとう」
「ん」
受け取るときにこの一言を言うと、蓮花さんはいつも嬉しそうに笑う。機嫌が悪くてもすぐ元通りになるから、すっかり習慣になってしまった。
「よいしょ」
壁に寄りかかってる僕の隣に蓮花さんが座る。
「着替えなくていいの?」
「ん?あ……」
制服のままだったのを忘れてたらしい。
「まあいいや。あとはお風呂入るだけだし」
こてんと僕の肩に頭を載せてきた。
「大丈夫、だって。今までこんなことなかったのに」
こっちに来てから僕が仮想空間で行ったのは学校だけ。というか、学校から外に出ていない。
いや、出られない、と言うのが、正しいのか。
みんなと同じように学校の外に出ようとすると、急にノイズが走って動けなくなる。
学校の中に戻ると、すぐに元通りになるから特に不自由はしてないんだけど、仮想空間でなにが起こってるのかを自分の目で知る機会がなくなってしまった。
それは蓮花さんも同じらしく、友達に誘われても断るしかなくなってしまい、今では優佳さんしかまともに話せる友達がいなくなってしまった。
明らかに僕が来てから変わってしまったことがわかるため、僕に向けられる視線はかなりキツい。
それでも表立って何かしてこないのは、ギルドマスターの優佳さんが近くにいるからだろう。
「とりあえずで渡したけど、どこまで効果があるか」
と、ビデオ通話の通知が来た。
「優佳?」
「うん」
通話ボタンを押して、蓮花さんと画面を共有する。
「見える?」
優佳さんの猫っぽい顔が映った。後ろには白い壁と本棚が見える。
「ああ。そっちは?」
「ちょっとザリってるけど、大丈夫。見えなくなったり、聞こえなくなったら言って。回線変えるから」
「おっけ」
優佳さんは画面の向こうでカタカタ何かを叩いた。
「えーっと?視点切り替えだっけ?」
「そう。左上、かな?多分」
「あ、このカメラに輪っかのやつ?」
「そうそう」
優佳さんが画面の右上を指すと、視点が切り替わった。
「どう?」
寂れた現実世界とは違い、そこには高層ビル群が立ち並び、多くの乗り物が飛び交う巨大都市があった。
「そこから波止場って見える?」
「波止場?見えるよ?この辺」
と、拡大してもらうと、たしかにそこには現実世界と同じ形をした波止場があった。
視線を上げてもらう。
海の青が映り、徐々に陸地が見えてくる。
僕は慌てて外に出る。
目に入るのは煌々と光る照明とこの瞬間もヒューマノイドが働いて船を生み出しているだろう錆びた赤い屋根。
「どうしたの?そんなに慌てて」
蓮花さんが僕の隣に来た。
心配そうな顔の手前には同じように煌々と光る建物の姿があった。
大都会ともいえるくらい大きな都市にいた僕はこれまでの教えを思い出す。
「仮想空間の都市はそれぞれの都市を再現したものである。これはどの都市でも共通であり、差異がある場合はすぐに調整するようになっている。仮想空間が進み過ぎてる場合は仮想空間の成長速度を抑え、そのリソースを現実世界に移すことで、現実世界の都市を成長させる。逆に……まあ、そうなることはないと思うが、仮想空間の都市が荒廃してる場合は、現実世界のリソースを仮想空間側に移す。こうすることで、共に成長し、どちらかがどちらかを飲み込むということが起こらないようにしている。これが仮想空間における抑止論だ」
この説明を聞いた僕は、すぐに手を挙げて聞いた。
「もし、片方に寄ってしまったら?人口の流れを見ればわかるけど、仮想空間の方が多いですよね?」
「いい問いだ。だが、その問いはすでに過去の歴史で幾度となく証明されている」
先生は歴史の教科書を取り出した。ずいぶん使い込んでるみたいにボロボロで手にあったってるところは色が抜けてる。
「最初は領土を奪い合った。そして2度目はエネルギーを、3度目は水をそれぞれの理由で奪い合った。だが、これはあくまでもヒトとヒト、身内の醜い争いでしかなかった」
開いた本をパタンと閉じた。過去の歴史に区切りをつけるように。
「だから、先人たちは仮想空間を生み出した。同族を殺し、殺される醜く酷い争いを生まないために。この本のように編纂を繰り返しながら一歩一歩そのあゆみを刻み、それを残してきた。もはや1冊の本としては成立しないほどに」
思いを馳せるように本に手を置いた。
「仮想空間は今この瞬間も学び、生み出している。君たちと同じように。君たちの要望に応え続ける。そしてそれはこのシステムが変わらない限り永遠に変わらないだろう。どういうことかわかるかね?つまるところ、歴史は繰り返す、そう言ってるのだ。仮想空間と現実世界のバランスが崩れたらなにが起こるか?そんなこと考えるまでもない。抑止論は双方のバランスが取れてこそ成り立つ。逆に言えばバランスが取れていなければ抑止論は成り立たない。仮想空間はそこに至るまでの知識を持っているからそんなことは起こらないとタカを括ってるバカもいるが、そうではない。だったら人類は3度も醜い争いを起こすはずがない。仮想空間は人類が生み出したもの。であれば、思考プロセスは人類とそう変わらない。今、この瞬間も虎視淡々とその機会を狙ってる。牙を研ぎながらな。バランスが崩れたのが見えたなら、一刻も早く逃げろ。対抗策なんざない。丸腰のお前らはただの的だ。重要なことだからもう一度言っておく。バランスが崩れたのが見えたら、一刻も早く逃げろ。仮想空間から全てを切り離せ」
煌々と灯る照明。
一方は燃えるような赤。遠くまで自分がいると証明せんと、命を燃やすような赤。
もう一方は、白。真っ暗な夜の黒の中から希望を示さんと燦然と輝く白。
あまりにも違いすぎる光景が目の前にあった。
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