第57話 「残滓」

蓮花さんの手が僕の顔に触れる。


言葉はなく、両方の手で僕の顔を挟むだけ。


整った顔が目の前にあって僕は何となく視線をそらしてしまう。


こん、と額になにかが当たった。


視線を戻すと視界いっぱいに蓮花さんの顔があった。額をくっつけて僕の目をのぞき込もうとしてる。


僕は驚いて反射的に身体を離そうとする。けど、蓮花さんはグッと力を入れて僕から距離を取るのを許さない。


「――……」


ムスッとした顔の蓮花さんの柔らかそうな唇が動く。が、音が聞こえない。耳を澄ましてもあの声が蓮花さんの口から聞こえてこない。


「……――」

「え?」


何かを伝えようと唇を動かす蓮花さんの二言目に僕は聞き返す。


「……――」


聞こえない。


僕はまた聞き返す。今度は聞くことから意識を変えて。


何かを感じ取ったんだろう。口の動きが変わった。さっきよりも大きく、区切りがついてる。


僕は柔らかそうな唇の動きから言葉を読み取る。


何度も。何度も。


どのくらい聞き返したのかわかんないくらい聞き返して、組み上げた言葉は一言。


――生きて。また会えるように。


伝わるのを待っていたかのように触れていた蓮花さんの手の感覚が薄くなっていく。僕はその手を取る。


蓮花さんは一瞬ビックリしたような顔をして、けれどもそれを受け入れるように柔らかく微笑んだ。


それで僕は悟ってしまう。


僕と蓮花さんの間にもう言葉は伝わらない。


と。


だけど。そう。だけど、触れている感覚は伝わる。だから僕は手を取る。


冷たい手に僕の体温が移っていく。


僕は伝える。温度で。それが想いと同じだと。


そう伝わると信じて。



「起きた?」


目を開けると、全身に激痛が走った。


「いっ――!」

「あ!まだ動いちゃダメだよ!もうちょっとで終わるから!」


ミオさんに言われて僕は起こそうとしていた身体から力を抜く。


「はい!痛いの行くからね!力入れてー!!」


姿が見えないけど、ミオさんの声が聞こえた。


「早く!力入れて!」


え?力を入れる?抜くんじゃないの?


なんて戸惑ってると、足にほかとは違う激痛が走った。


「いっ――!」

「そのまま!もう一発!」


ズン!


と衝撃を受けたかのような激痛が今度は腰に走る。


「――!!!」


痛いなんてもんじゃない。あまりの激痛に意識を飛ばされそうになるが、ここは最前線。また意識を飛ばしたら今度はミオさんもろとも的になるだけになる。


「よし!オジサン!突っ込んで!」

「あいよ!」


聞いた覚えがない野太い声が聞こえたと思ったら、そのまま身体が浮いた。


「え?ちょっ――」

「ほいや!」


ナゾの掛け声とともに僕は緑色の液体にぶち込まれた。


「あぶっ!ごぶ!」


足がつかない。僕はなんとか浮かぼうと必死にもがく。


「そこでしっかり治せ。話はそれからだ」


必死にもがく僕を無視して何かのスイッチを押した。


ゴウン……ゴウン……


何かが動く音が聞こえてくる。


「あぶ!ごぶ!ごぶぶ」


僕はまた意識を手放した。



「どう?治りそう?」

「はっ!このくらいで俺んとこに来るなんてお前もヤキが回ったな」


かん、かんと金属の階段を下りてくるひげもじゃにわたしは顔をしかめる。


「全身の打撲に骨折。擦り傷に切り傷、それにやけど。生きてるのが不思議っちゃあ不思議だが、どれもフッツーの医者で十分だろ」

「外の状況がどうなってるか知ってて言ってる?」

「ああ。どっちかって―と俺はこのガキよりミナの方がヤバいと思ってるくらいにはな」


そう言っておじさんは机においてあった容器のフタを開けてそのまま口を付けた。傾けすぎて口の端から琥珀色の液体がこぼれ出てる。


「っあ~!」

「そんなにヤバい?」


勢いを付けてイスに座ったオジサンに聞く。


「ああ。そろそろ神経回路のどっかが焼ききれてもおかしくねえ。ボディへのダメージもガン無視で撃ちっぱなしてるからそろそろ腕がもげるんじゃねえの?」


それは困る。


ミナがあそこにいるからわたしたちはここにいられるのに。


「ほらよ。スペアだ。いつもんとこに流しておくから存在を忘れるなよ?神経回路はスペアがないから壊れる前にどうにかしろ」


ミナとわたしだけが繋ぐ裏ルート内にオジサンが作ったパーツを入れておく。


「一応周りにいるみたいだからギリギリんところで持ってるっぽいけどな。あまり時間はないぞ」

「わかってる」

「――にしても」


オジサンはわたしの腰にあるカタナに目を向けた。


「この時代にコイツが役に立つとはね」


大型の機械に繋がってるコントローラからカードを引き抜く。わたしと同じようにカタナを持っていたヒューマノイドが話していた録音データをコピーしたカード。


「ウチらも捨てたもんじゃないでしょ?」


わたしがそう言うと、オジサンはカラカラと笑った。


「ああ。アイツらに取っちゃゴミかもしれねえ搾りカスでも使い道はあったな。あのとき拾っといて正解だったわ」


そう。わたしたちはホントだったら破棄されていた。


それが何でこんなとこにいるかというと、簡単な話で仮想空間から抜け出してきたからだ。


ヒトであれば現実世界から仮想空間、仮想空間から現実世界への移動はなんてことない。


理由はカンタン。肉体という入れ物があるから。


でも、生まれも育ちも仮想空間のわたしたちはその肉体がない。けれど、このまま仮想空間にいればいずれ捕まって生きたまま破棄される。


そんな存在に誰も見向きもしなかった。


ただ一人を除いて。


――いいだろう。機能は大きく制限するがそれでもいいってならちょうど仮で作ったのが人数分ある。ちょうど人手が欲しい。ついでだから俺の研究に手伝え。


そう言って現実に引き込んだのが目の前にいるひげもじゃ。


花村教授。


彼は周りからそう呼ばれて、一部では神様とまで言われてるみたいだけど、ウチらからしたらただのオジサン。


女の子に囲まれたいからってヒューマノイドを女モデルしか作らないし、作ろうと思えば男モデルも作れるのにノウハウも女モデルのそれしか残してない、欲望にまみれたただのクソジジイ。


おかげで現実世界のヒューマノイドはむき出しの機械か、女の子しかいなくなってしまった。


「この声……蓮花か」

「え?」


何も聞こえないはずなのに、録音した音声を再生するなり言った。


「誰かわかるの?」

「当たり前だろ。親が子どもの声を忘れるわけねえ」


「少し静かにしてろ」とオジサンは言い残してヘッドホンを被った。


手にはケーブルがつながったグローブを装着してゴーグルも付ける。


久しぶりに見る対仮想空間フル装備はやっぱりダサい。


けれど、見た目ではなく機能性だけに重きを置いた装備を身にまとい、動く彼はやっぱりかっこいい。


「おい。アイツのメガネを持ってこい」

「え?」


気付くとオジサンがゴーグルを外してわたしを見ていた。


「メガネだ。アイツの。今すぐ持ってこい」


大きな手がわたしの背中を押す。


わけがわからないままわたしは部屋を出て戻ってくる。


「はい」


すぐ使うと思ってオジサンに合うように調整したメガネを渡す。


「わかってるじゃねえか」


オジサンがわたしの頭を撫でる。


「どうするの?」

「切り離す。まだ間に合うはずだからな。素体は……まあ、あとでどうとでもなるだろ」

「出た。いつもの見切り発車。急に言われても困るんだけど」

「そう言ってもお前はちゃんとやるだろ。なに。今回はいつものような無理難題じゃねえ。お前はアイツのサポートに回れ。いや、アイツがサポートする側か?」


オジサンは液体に漬けられたナオくんをアゴで指した。けど、聞き捨てならない言葉を聞き逃さなかったわたしはオジサンに詰め寄る。


「無理難題ってわかってたのに頼んでたの?」

「あ、いや」


オジサンの目が泳ぐ。


「ねえ。すっごい大変だったんだよ?毎回毎回」

「おい。突っつくな」


弱点の脇腹を突っつくと、オジサンの身体はおもしろいくらい跳ねる。


このくらいしたっていいと思う。ほかの子はずっとオジサンと一緒にいるのになんでわたしだけいつもいつも――!


湧き出てきた怒りを突っつくという行為に転化させる。


「痛い!痛い!つぼを狙うな!健康になっちまうだろ!」

「健康になれ!バカ!!クソジジイ!!」

「まだジジイじゃねえ!!」


逃げようとするけど、ケーブルに引っ掛かって逃げられないオジサンをわたしは執拗に追いかける。


わたしはこのひとときを楽しむ。だってこの想いを口にすることはできないから。


想いを乗せる。このまま消えても彼の中に少しでも残るように。


現実でも距離があった。けど、今度はわたしが現実で彼は仮想空間。この距離はいつになったら縮まるんだろう。


「遠いなあ」

「あ?なにが?」


思わず口から出た言葉にオジサンが反応した。


「うっさい。む。ここか!」


刀を扱うようになってまた見える位置が少し変わったわたしはオジサンの脇の下に指を入れる。


「ぎゃー!!痛いー!!」


硬いしこりみたいなのがある。グリグリやるとほぐれてなくなった。よかった。病気じゃないみたい。


「不健康すぎ!ナオくんが出てくるまでみっちりやってあげる!」

「やめろやめろ!俺を健康にするなあ!!」


時代に取り残された残滓のわたしでもこの人のためにいろいろ考えることもやることもある。


なんか希望が見えて来たかも。


「お前。蓮花に感化されたんじゃねえか?」


息も絶え絶えになったオジサンがわたしに向かって言ってきた。


「急になに?ってか、なに韻踏んでんの?人の名前で韻を踏むとか失礼すぎ。罰ゲーム!ってことでえい!」

「は!?急に何――ぎゃああああ!!いたいー!!」


けど、とりあえずまずはこの人の身体をどうにかしないとね。

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