第7話 「分岐点」
朝、目が覚めると、見知らぬ天井が目に入った。
「あ~……」
外から聞こえる虫の声は明らかに都会のモノじゃない。というか、こんなじっとりとした汗が気持ち悪くて起きたこと自体初めてだった。
起き上がって木組みの枠に紙を貼り付けたカーテン――障子というらしい――を開けた。
眼下に広がるのは、斜面に合わせて建てられた家の屋根と港。奥には水平線も見える。
「そっか。引っ越したんだっけ」
なんてつぶやいてると、襖を叩く音が聞こえた。
「起きた?」
「ああ。うん」
襖を開けると、花村さんがいた。
「よかった。ちょうど朝ごはんできたから。あ、もしかして朝食べない人だったりする?」
「や、食べる。すぐ行く」
僕がそう返事をすると、花村さんは笑顔で頷いてリビングに戻っていった。
「先に仮想空間にアクセスするんだよね?ここにないならどこでやるの?」
味噌汁のお椀を手に取った花村さんに聞いた。
「ん~……ここなら学校かなあ。一番近いし」
「ふうん」
学校は仮想空間と現実世界の両方で生活指導を担っているため、何かあったときには対応してくれる施設として一番適している。
ちなみに仮想空間と現実世界の学校では構造から先生まで全部違う。仮想空間には仮想空間で担任がいるし、現実世界では風見先生のように別で担任がいる。ただ、実際の授業そのものは仮想空間で行うため、それぞれの科目を担当する先生は仮想空間にしかいない。
「私も引っ越したから今日はついでに学校への最短ルートも探そうね」
「はいはい」
朝ごはんを食べ終わり、出かける準備をする。
「あ、そういえば連絡先もらってたんだっけ」
机の引き出しにしまっておいたメモを手に取る。連絡先がちゃんと書いてあるかどうかを確認した僕はポケットの中にしまって部屋を出た。
「じゃ、行こっか」
「ん」
僕が玄関まで来ると、花村さんは先に外に出た。
「学校があるのはあっちの方だからとりあえずその方向に進んでみるってのでどう?」
「いいんじゃない?」
靴を履いて外に出た僕はそう言うと、笑顔で頷いた。
「案内なしで行くの初めてだから丸投げになるけど、迷わないでよ?」
「大丈夫大丈夫」
花村さんはそう言って階段を下りていった。
それにしても、玄関からいきなり階段とは。平地だらけの都会じゃ考えられない生活だなあ。
「早く~!置いてくよ~!」
「は~い!」
階段の一番下で手を振ってる花村さんを追いかけるように、僕は階段を下りた。
前を歩く花村さんはときどき後ろにいる僕の方を見ながら慣れた足取りで階段を進んでいく。
「よくそんなにすいすい行けるね」
「慣れてるもん」
そう言って軽い足取りで1段飛ばしで進んでく。
「そういう狩村くんは遅いね」
「階段はあるけどみんな使わないんだよ。エレベーターとかエスカレーターがあるから」
「わ。ずるいな~」
段差をものともせず上がっていく花村さんだけど、それを追いかける僕からはスカートの中が気になってしょうがない。
といっても、中のパンツは昨日の夜から変わってないはずだし、見たところでなんだって話でもある。けど、ひらひらしてて奥が見えそうで見えないというのは、それだけで好奇心をくすぐるものがある。
「ねえ」
見えそうで見えないスカートの中を気にしてると、花村さんの足が止まった。
「どっちがいいと思う?」
と、言われた先には分かれ道があった。左は目の前にある山を迂回する上に来た道と同じように細いけど道自体は真っ直ぐ進む。一方の右はこのまま進んでくと大通りに行きそうな道。
「どっち?って方向でわかるんじゃないの?」
「どっちも距離的には変わらないと思うんだよね。階段は……わかんないけど」
「ん~……」
右の道に目を向けると明らかに下ってる。学校はたしか駅よりそこそこ高かったから大通りに出るとなると、どこかで上らないといけないはず。
「左、かなあ?」
「こっち?」
僕から見て左側を指した花村さんに頷く。
「じゃ、こっち行ってみよ」
前を進む花村さんに置いて行かれないようについていきながら、時計を見てみる。
「まだ5分……」
あれだけ階段を上り下りしたわりに、時間は思った以上に経ってない。にもかかわらず、体の疲労感は20分くらい歩いたくらい疲れてる。
「どうしたの?」
「いや……」
無意識に足が止まった僕を心配したのか、花村さんが戻ってきた。
「体力なさ過ぎ。それじゃここで生きていけないよ?」
「今ちょうど実感してるよ……」
「なにか飲む?一応持ってきてるけど」
花村さんはそう言ってカバンから水筒を出した。
「ああ。うん」
「暑いからちゃんと言ってね。都会と違ってこっちは快適性ゼロだから」
「はい」と飲み物が入ったコップを渡してきた。
一口飲むだけで、体に水分が行くのがわかる。
「はあ~……ウマい」
「タダの麦茶なのに。大げさ」
花村さんもコップを出して1杯飲んだ。
「は~。学校行ったらもらわないとなくなりそう」
「もらえるの?」
僕がコップを返しながら聞くと、頷いた。
「うん。水分補給しないと死んじゃうよ~って」
「へえ」
僕がいた都会はそんなこと言われなかったけどな。というか、そもそも歩くだけでこんなに水分が欲しくなるほど喉が渇くこと自体なかった。
「行ける?」
「大丈夫」
と、僕が頷くと、花村さんはまた歩き出した。
学校に着くと、花村さんと一緒に職員室へ。
どうやら仮想空間に行くのに許可を取る必要があるらしい。
「ケホン」
と花村さんは咳払いをすると、職員室のドアを叩いた。
「失礼します」
昨日初めて聞いたときと同じ、いかにも真面目そうな声を出すと、花村さんは職員室の中に入った。
「狩村くんも」
「僕も?」
都会にいたときはいちいち許可なんてもらわずに仮想空間に行ってた。こっちは毎回許可を取るのかと思うとめんどくさい気がする。
「学校の使うでしょ?家のだったらいらないけど」
「ああ。そういう……」
中に入ると、夏休みなのに先生たちがいた。僕らは風見先生のところに向かう。
「ハルちゃん。やっほ」
「やっほー。どう?こっちは」
花村さんとハイタッチした風見先生は僕に目を向けた。
「暑いですね」
「あ~ね。そうでしょ?こっちは空調だっけ?あんまないからね。建物の中は涼しくなってるからできる限り建物の中を通るようにしてね。まあ、通学のルート的に難しいと思うけど」
「難しいってかムリ」
「努力目標くらいにしとけばいいから。って、ここに来たってことは仮想空間?」
「うん」
「ならわたしも行くから一緒に行こっか」
先生はそう言うと、デスクの足元にある鍵を手に取った。
「仮想に行ってきまーす!」
と先生は花村さんと僕を連れて職員室を出た。
「アクセスするだけでいいんだけど?」
誰もいない廊下を先生と花村さんの後ろから付いていく。
かつては外だった部活も今は仮想空間。外から聞こえるのは虫と鳥の声だけだ。
これが都会なら空調の音だけになる。場所によってはその音すらも消されてしまうため、自分の足音しか聞こえないなんてこともある。
とはいっても、都会はなんだかんだで人がどこかしらにいる。話し声なんかは聞こえたりするので、完全に一人になるってことはない。
ジャラッと金属が触れる音がすると、いつの間にか目の前にドアがあった。
「狩村くんは都会の学校から仮想空間にアクセスしたことある?」
「まあ。授業は学校からだったので」
「なら大丈夫かな」
ガチャンと重たいドアを開けると、都会の僕の部屋にあったものと同じ棺桶があった。1クラスどころじゃない。ずっと奥までずらーっと同じものが並んでいた。
「えーっと……狩村くんはZA62か」
先生はそう言って奥に歩いていく。
「柱に数字が振ってあるからそれを目印にして」
「こんな感じ」と先生は途中にあった柱を指した。
四角い柱の4面にデカデカと「Z1」と書かれている。ってことはZAだともっと奥じゃないか?どこまで奥に行くんだ?
「歩いてくのが面倒だったらそこに自転車があるから自由に使って。返却は……近くまで行ってからにしよっか」
先生はそう言うと、自転車のところに向かった。
「あ、花村さんは先に行って待ってて。あとで狩村くんが行ったときに迎えに行ってくれるかな」
「えー……まあしょうがないか。ZA62だっけ?」
「そっそ。メッセージにも送っといたから」
「はーい」
しぶしぶという顔を見せる花村さんと別れた。
「さって、外じゃダメだけど、ここは誰も見てないからね。2人乗りで行こっか。狩村くんは乗れる?」
「当たり前ですよ」
僕がそう言って自転車にまたがると、先生は荷台に腰を下ろした。
「じゃ、まずはZA1の柱のところまで。そのあと62まで行こう」
「了解です」
久しぶりの自転車に僕は強くペダルを踏みこんだ。
「じゃ、仮想空間(向こう)に行ったら花村さんを探して。一応場所は教えてあるから待ってれば来ると思うけど」
「はあ……」
僕が使う棺桶の前まで来ると、先生はそう言った。
「それと着いたら身に着けてるモノ一式は使えるようになってるはずだから私に連絡して。連絡するのは狩村くんね。花村さんじゃなくて。それでちゃんと使えてるかどうかのチェックにもなるから必ず狩村くんがするように!いい?」
「わかりました。先にするのは連絡?」
「うん。やってるうちに花村さんが来ると思うからそうして」
「了解です」
そう言って僕は頷くと、棺桶の中に入った。
どんな場所でも同じ棺桶であれば、中身は一緒。
プシュ―と音をがすると、棺桶のフタが閉じて体がスライムのようなモノに沈み込んでいく。
デバイスで顔や身体を触って取り込んでた時代もあったみたいだけど、今はそんなことしない。
身体が沈み、顔だけが残ると、フタの手前に画面が現れる。IDの最終チェックだ。操作は目の動きでやる。
「認証完了。目を閉じてください」
女性の声がすると、僕の身体はさらに深くまで沈みこんでいった。
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