第6話 「餞別」
花村さんが「風呂に行ってくる」と言ってリビングからいなくなった。
ここに着いたときは真上にあった太陽は、知らないうちにいなくなってて、辺りは虫の音に包まれてる。
「はあ~……」
畳に横になる。
朝、親父にイカレた重さの荷物とここまでのきっぷを持たされて「引っ越しを」と言われたのが14時間前のこととは思えなかった。
心地よさとはかけ離れたどっしりとした疲労感がへばりついてる。そんな疲労感よりも僕には重大な問題があった。
「仮想空間にアクセスできないってどうしろってんだ……」
先生に何かあったら連絡するようにと言われて渡されたメモを取り出す。
「連絡先知ってても連絡手段がなきゃ連絡できないじゃんか……」
そういえば花村さんの部屋には家具が置いてあったな。
ふと思い出した僕はまだちゃんと見てないリビングと反対側の部屋に入った。
何もなかったリビングの後ろとは違って、こっちには僕が使っていた学習机や服が入ってるケースが置かれていた。
「いつの間に……」
僕が向こうにいたときにはまだあったはず。親父のヤツ、どんな手品を使ったんだ?
机に付けられてる1番上の引き出しを開けると、また餞別と書かれたメモがあった。
「どんだけ餞別寄越すんだよ」
学習机の天板にメモを放り投げた。
2つ目の引き出しを開けてみる。また餞別のメモがあった。
どかしてみると、そこには錆びた銅のような緑色の光沢を持つ金属のブレスレットが1つ。
「置いていけ」と言われて置いてきたモノと同じようだが、どこか雰囲気が違う。
手に取ってみると、使ってたものより少し重い。
腕につけてみると、意外なことに思ったより重さを感じない。
「餞別」と書かれたメモはここまで最初に渡されたメモとここに来てから見つけた計4枚。
「餞別」の意味が分からない僕でも、何となくこの言葉と一緒にモノを渡すのはせいぜい1度きりでは?くらいには思う。
けど、これだけあると逆にほかの場所にもあるような気がする。
机の引き出しを全部出してさらに奥まで見てみる。
「……なにやってんの?」
「へ?」
――ガン!
「いったあ……」
声をかけられた方に顔を向けようとしたら、天板に頭をぶつけた。視界に星が散る。
「ぷ……ダッサ……」
吹き出した花村さんはクスクス笑う。
痛みと恥ずかしいところを見られたので、言葉が出ない。
ジンジン痛む頭を押さえながら引き出しの中から頭を出す。
「いたたた……」
「大丈夫?」
顔を上げると、目の前に花村さんの顔があった。
「ふあ!?」
「ひゃああ!!」
僕が声を上げると、花村さんも声を上げた。
「びっくりさせないでよ!ばかっ!」
花村さんが僕の肩をバシッと叩いた。
「いたい!?」
と思わず声が出てしまったけど、音の割に痛みはなかった。
「もう……で?なにやってたの?」
花村さんは僕が頭を突っ込んでいた引き出しの奥をのぞき込んだ。
「何もないじゃん。何か落としたとか?」
「いや」
ボディーソープの香りなのか、さっきより花村さんのいい匂いがする。
「これが何枚もあったから」
と、僕は花村さんに餞別と書かれたメモを見せた。
「なにこれ?……読めないんだけど」
「え……」
マジか。餞別って読めないの?
「餞別って聞いたことない?」
「なにそれ?センバツなら知ってる」
と、ドヤ顔。
「センバツ?」
「選び抜かれたって書くヤツ」
「ああ。選抜ね。じゃなくてセンベツ。言っとくけど『選んで分ける』方じゃないよ」
僕がそういうと、「あ~……そっち?って違うの?」と花村さん。かわいい見た目で料理もできるのに、勉強はアホの子っぽい。
「で、そのせんべつ?がどうかしたの?」
花村さんは首を傾げた。
「餞別ってまあ、プレゼントみたいなモンなんだけど、机の引き出し全部に入ってたからさ」
「全部の引き出しに?なにそれ??あ、その腕にしてるのも、そのせんべつ?っての?」
「そう。でも、僕が都会で使ってたのとは違うみたい」
僕は引き出しを元の位置に戻していく。
「ふーん」
出したついでに中身もチェックしてみたけど、全部使っていたときのモノがそのまま入っていた。違ったのは、あの「餞別」のメモとブレスレット、それから別の引き出しにメモと一緒にあった拡張現実用のメガネ。
これさえあれば都会は最低限生きていける装備が揃った。けど、僕が使ってたのはほかにもあったので、フル装備には程遠い。
「わ。これ、まだあったんだ」
花村さんは僕のメガネを取ってつけた。
細い濃いめのブラウンのフレームに細めのレンズで、デキる女子感がある。
「どう?似合う?」
「デキる女子っぽい」
「ぽいじゃなくてデキるの。見てたでしょ?」
「まあ」
見てたって言っても僕が見たのは料理だけ。ああ、あと道案内か。でもそれくらい誰でもできるような気がするけどなあ。
「これ、どうやって使うの?」
花村さんがメガネのフレームを爪でコツコツ叩いた。
「花村さんのペンダントと一緒。1対1だから僕じゃないと使えない」
「え~」
不満そうな声を上げた。
「じゃあ、使って見せて!IDの認証したら使えるんでしょ?」
「って思ったんだけど、使えなかったんだよね。やっぱ一度仮想空間(向こう)に行かないとダメっぽい」
「え~……つまんないの」
そう言って僕のメガネを返してきた。
「あ!じゃあ、明日買い物のついでにそれも買いに行きたい!」
「これ?」
と、僕がメガネを指すと、頷いた。
「そう!」
「必要ないと思うけど」
仮想現実が全盛だったのは、仮想空間ができるまでのほんのごくわずかな期間だったらしい。
らしい、と言うのは、仮想空間が当たり前になった今では、その話を知ってる人は誰もいないから。
それに拡張現実を使わなくても似たようなことは仮想空間でもできるので、わざわざ現実世界に拡張現実を持って来なくても問題ない。
「でも使ってるじゃん。なんかあるんじゃないの?」
「都会は入り組んでてこれがないと迷子になるんだよ」
「へえ。じゃあ、ここだといらない?」
「たぶんね。ああ、でも一人で迷子になったときには使えるかも」
「え。道案内しか使い道ないの?」
「ないよ?」
「こんなとこ迷う人なんていないよ?」
「だから必要ないって言ったじゃん」
「え~……でも、せっかくだから一緒のが欲しいな」
「はあ。まあいいけど」
後でわかったけど、このときの選択は大きな分岐点だった。当然だけど、このときの僕はそんなこと知らない。
「なら、明日はまず仮想空間に行ってそれを使えるようにするところからかな」
と、花村さんは僕のブレスレットを指した。
「よいしょ。もう少し話したいからリビングに行かない?」と花村さんに言われた僕は、金魚のフンよろしく花村さんの後ろをついていく。
小さい背中に見合わないくらい大きなTシャツを着た花村さんは、リビングを通り抜けて冷蔵庫を開けた。
「オレンジとリンゴ、牛乳、あと……あ、紅茶があるけど、どれがいい?」
冷蔵庫のドアの向こうから花村さんの声が聞こえた。
「ジュースって気分じゃないから牛乳で」
「おっけー」
飲み物を手に戻ってきた花村さんを見て、ふと気になったことを聞いてみる。
「花村さんもそのTシャツ持ってるの?」
「これ?」
と胸元をつまんだ。
「そんなわけないじゃん。アニメのTシャツなんて小学生で卒業したよ?っていうか、こんなサイズのTシャツなんて手に入ると思う?」
言われてみればそうだ。
仮想空間で買い物をするならAIが見繕った服を自分好みに調整するだけ。Tシャツに分類されてるのであれば明らかに花村さんの身体に合ってないサイズのTシャツが選ばれることなんてないはず。
「じゃあ、どこ――」
と、僕はキャリーケースから引っ張り出された服の山から花村さんが着てるTシャツを探す。
「もしかして……」
「あーあ。バレちゃった。暑いからいいでしょ?」
花村さんはニヒっと笑った。
制服と同じくらいの丈と思ってるおかげで、しゃがんだり座ったりしてると水色のパンツが見えてるんだけどな。
「はあ。まあいっか」
まあ、気付いてないみたいだし、それと引き換えならいいか、と僕は頷いた。
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